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幾何学紋様の交錯

"俺は若い頃、人生というものは、複数の原因と結果が美しい幾何学紋様を描いて交錯、重なったポイントが発光して輝くものだと思っていた"

町田康の「人生の聖」のラストに出てくる一節を、最近はなぞるように、温めるように反芻している。なんと美しい一文だろう。

これまでの人生の中を振り返ると、あの瞬間は幾何学紋様の交錯だった、と感じる場面が、何度かある。
交錯は解けることはなく、ただただ、私の人生の中で織り重なっていく。


しばらくの休暇で別府の実家に戻り、愛おしむように何度も地元の温泉に入った。
温泉に入るという行為は、社会人になって地元に就職するまではなかった習慣だけど、
故郷を遠きにありて思う今、そこかしこで沸いてる温泉に入ることによって、私のルーツ・育った環境の再認識を行うことに成功している。


出張や旅行で、色んな場所に色んな手段で行ったり滞在したりしていると、自分の居場所が曖昧になって、どこにいるのかよくわからない感覚になる。それでも旅先で出会った景色が、過去に出会ったあのまちに似ている、などと、どこか思い出の端々にリンクすると、なんとも言えないノスタルジーを感じるのである。

そういえば、旅行で訪れた高千穂の町並みは、いつか訪れた佐賀の古湯温泉に似ていた。

凡て過去になりゆくのだ。こうしている今現在のこの時間も。
明日には東京に帰り、冴えない顔で、また満員電車に揺られて、会社に向かっているのだ。でも、そんな凡庸な日々も、いつかかけがえがないものだったと思う日が来るのだろうか。

あまり年は取りたくないけれど、思い出が増えるのは悪くない。

秋が来る。

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