人格のキメラ(映画JOKERの感想)

映画JOKERを観てひどく嫌な酔い方をした気分になった。作中の主人公であるジョーカーに強く心惹かれるものの、考えれば考えるだけ気持ちが悪くなる。思い返せば、こういった作品、キャラクターを避けて過ごしてきた。

子供のころ、歳が離れた漫画好きの姉が2人いたので、家には漫画が沢山あった。単行本は勝手に読むと怒られるけど、週刊少年ジャンプは読んでもよかったから、幼稚園くらいから読んでいた。(当時は話がわからなくて、絵を追っていただけだけど)

週刊少年ジャンプには、次から次へと新作漫画が掲載されるけど、その中の7割は10周で打ち切りになってしまう。打ち切りになる漫画は打ち切りになるだけあって、それなりに救いようがなくつまらないのだけど、時々妙に心に残るキャラクターが出てくる漫画があった。嫌な酔い方をするキャラクターだ。

そのキャラクターは一見魅力的な人格を持っている。例えばそれがヒロインだと、「見た目が可愛くてクラスで一番モテる」「親を大事にしている」「趣味は漫画やアニメ」「恋愛に奥手」。漫画ばっかり読んで引きこもりがちだった僕にとって、一見いかにも魅力的なキャラクターだ。

なんとなくそのキャラクターに惹かれて、そのキャラクターのことをあれこれ妄想するが、そうなるとどんどんどんどん気持ちが悪くなってくる。そのキャラクターの魅力の裏側に、作り物然とした無機質なところが透けて見えてきて、非常に寒く冷たいものを感じる。

そういったキャラクターを構成している人格の要素ひとつひとつは魅力的かつ、「まあそういう人もいるだろうね」というリアリティを持っている。それをまとめてひとつすれば当然、魅力的な人格が生まれる。けれども実は人格の要素はそれぞれ有機的に繋がっていないから、見れば見るほど人工的な化け物であることが分かってくる。僕はそんなキャラクターを“人格のキメラ”と勝手に呼んでいる。

中学生くらいから、人格のキメラ避けるようになった。漫画もアニメも映画も小説も、信頼できる批評家が褒めたものしか見なくなった。出来が良い作品はキャラクターの造形も良くできていて現実味がある。そんなキャラクターに感じた魅力は、現実に生きる人への興味になって、生きる活力に繋がる気がした。魅力だけを振りまき、無機質で寒く冷たい気持ちにさせる人格のキメラに出会いたくなかった。

そして本当に久々に、ジョーカーに人格のキメラを感じた。「貧困・病気に苦しみながら献身的に母親を介護している」「小児病院に銃を持ちこむ倫理観の欠如」「妄想彼女と付き合っている」「怒りにまかせて撃った銃で見事に一撃命中で即死させる殺しの天才」「体の中に音楽が流れているかのように優雅に踊る」「テレビ以外の娯楽に全く触れない」「テレビ番組収録会場に銃を持ちこむ狡猾さ」「自分に優しかった小人病の友人には優しさを返す」「リンチにあっている罪もない刑事を嘲る」「スタンドアップコメディで意味さえ通じない最低レベルのネタを披露する」「自分が虐げられた苦しみをテレビ番組内で非常に雄弁に語る」「自分に対する無関心や虐げには非常に敏感に反応する」「知人を殺しても冷静で動転しない」

どのキャラクターを人格のキメラと捉えるか、捉えないかはその人の主観によるし、ジョーカーを実在感がある生身の人間だと感じる人がいるのも分かるし否定しない。けれども僕にはどうにもひとつひとつの人格が繋がっていないように感じて、気持ちが悪いキャラクターだった。

「そんなに気に入らなかったならジョーカーの話なんてするなよ。なんなんだ。」と思うかもしれない。いやいや、だからジョーカーは魅力的なんですよ僕にとっても。惹かれてしまってしょうがない。だからタチが悪いって話です。


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