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「SLOW MOVE」8ムーブ!

最近引っ越しについて考える。
今すぐしたいというわけじゃないけど、またその内するだろうし、きっと何回かはするだろうと思う。
最近Kindleで本を読むようになったのは、便利だということもあるけどいつかまた引っ越しするから荷物を増やしたくない、という理由もある。
ちゃんとした机や椅子やベッドを買わないのも引越しのことを想像するからだけど、そういう風に考えていたら一生ベッドが買えない。それで結局いつも間に合わせみたいな部屋に住んでるけど、こだわりがないからまあ別にいいのかもしれない。
映画とかだとトランクひとつ持って汽車に乗る、みたいなシーンがあるけどああいう身軽な引っ越しに憧れる。あれも映ってないところではアート引っ越しセンター的なところに頼んで荷物運んでいる?わたしも汽車に乗って華麗に引っ越ししたい。

引っ越しが好きだった。
子どもの頃は父の仕事の都合で引っ越しが多く、幼稚園2つと小学校3つ通ったけど、わたしは引っ越しが嫌じゃなかった。
嫌いな人や環境から自動的に離れることができるということもよかったし、新しい場所で新しい振る舞いができるということもいつも楽しみだった。
新しい振る舞い、というのは、明るくて言いたいことが言えてみんなと仲良くできて、とそういう感じ。そういうのが自分はうまくできなくてもどかしくていつもイライラしていたから。
嫌な人とも環境とも自分とも別れられる引っ越しは、自分にとってはラッキーキャンセルボタン!という感じで、だから引っ越しが好きだった。
でも場所が変わったからといって自分が急に変わるわけではない。子どものわたしはそれがわかっていなかった。
明日からすぐ違う自分!みたいになれることを毎回期待していたけどそうはいかなかった。当たり前だけど。

つまりラッキーキャンセルボタンの効き目はいまいちということです。
今もみんなとは全然仲良くできないし大して明るくもないけど、言いたいことは言えるようになった。それは結局、引っ越しを含む日々の経験の積み重ねによるもので、これだ!というきっかけはなかった。そんなもんなのだ。

今も引っ越しは好きだと思う。
どうせならいろんな場所に住んでみたい。
だけど最近、ふとこんな風に思った。
わたしが引っ越しについて気軽に考えられるのは、わたしの手の中に大切なものが何もないからじゃないか、というような。そんな感じのこと。
そんな気が最近していて、そんなにネガティブに考える必要はないのかもしれないけど、でもちょっとそんな風に思ってしまった。
一生間に合わせみたいな部屋に住むこと自体は別にいいのだけど、お気に入りの椅子や机やベッドを選べるような自分にもなってみたい。手の中に何かある自分になってみたい。ラッキーキャンセルボタンを使わず自分を変化させたい。自分とは別れられないと諦める。


〜〜〜〜〜

引っ越しが好きかは知らないけれど、兄もよく引っ越しをしている。わたしは今兄がどの国にいるのかもわからなくなることが多い。

友達が就職した時、転勤がないからこの会社を選んだのだと言っていた。引っ越し好きのわたしは、へぇそんなに転勤が嫌なんだ、と思った。もちろんそれだけが理由じゃないだろうとも思ったけど、数年前に市役所に転職したと聞き、ああ本当に引っ越しが嫌な人だったんだなと改めて思った。




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