2020年7月23日、ドットの種類が統一しない
今日は目覚めがいいんだか悪いんだか、良い夢を見て目覚めた記憶は強くある。
二度寝、三度寝と繰り返した後、5時半をすぎたころに慌てて家を飛び出した。
今日は7月23日。本来は東京五輪があるだろうと、海の日が今日に移動。そして明日はスポーツの日として連休、その後の土日を加えて4連休ができたというそういう流れだ。
で、結局なところ、まあこんなことを予想するだなんて無理なことなのだけれども、疫病の影響で東京五輪は開催されずに4連休を迎えたこちらニッポンでございます。
今朝のアルバイトは、祝日ダイヤという感じの仕事内容だった。仕事は仕事、忙しさはあるのだけども、出勤する人の表情や声色、雰囲気、扱う仕事の内容からも「ああ、今日は祝日なのだな」と感じる瞬間がくる。
新しいエリアの担当になって3日目の今日。それなりの要領の悪さなのか、不慣れなせいなのかはわからないが、終了時刻から少し遅れて退勤。今日は2コマの遠隔授業だなあと、気乗りのしない、重い足取りで家に向かった。
シャワーを浴びる。遠隔授業の準備をする。
学校があれば10分-20分で済ませられるであろう身支度が、1時間以上要してしまう。どうしてこうなってしまうのだろう。非難の矛先は僕にしか向けることができない。
そうやって、自分を傷つけていく。非物理的な自傷行為と言えようか。
今日は言語聴覚障害学特論ということで、2コマの授業を受けに府立の図書館に向かう。
20分ほど歩いたところで到着。
目に付いたのは「本日休館」
そうか。祝日は図書館は休館なのか。
大阪の感染者も徐々に徐々に、というか、急激に増えている。このままだと、公共施設の再度の封鎖も考えられよう。さらにはカフェスペースの封鎖も十分に考えられよう。
そろそろネットを敷く段階なのかもしれないな。
結果として、家を出てから1時間ほどが経ちカフェスペースに到着。
11時半過ぎに到着し、現在16:40。毎日のように5時間ほどを、つまりは1日の1/4あまりを過ごしていることになる。何をしているのだ僕は。
今日思ったことだけども、不安じゃない人ってどういう定義で不安じゃないとなるのだろうか。
僕は不安じゃないことはなくって。だから、不安じゃない状態の人はいないと思っている。
不安な状態を道に迷っている状態だとするのなら、
道に迷っている人が、道に迷っている人に対して道案内をしているということが起きているのだと思う。
言い換えると、
道に迷っている人が、道に迷っている人に道を訪ねているという。
道に迷ってはいても、他の人の調べる道については迷っていない人がそこにはいるんだな。
でも、その人の中ではずっとその迷い道からは出られない。
道に迷うという例えにおける、「ゴールに辿りつく」「家に戻ってくる」とはどういう状態をさすのだろうか。
また気が向いたときに考えて、答えが出たらいいな。
今日は遠隔授業を受けに来て、3時間ぐらいで終わるだろうことを5時間ほどかけてようやく見終わった。
どうしてこうも効率が下がる。というより、どうしてこうも取りかかれないのだろう。
講義を情報を送出する側も大変だと思う。もともとこういう形での教授を想定して教える職業に就いたわけではなかったろうから。
そして、そんな苦労を経ながら送られる動画を受け取る側だって、悩みがあるだろう。というか、ある。
耳も、目も、頭も。入力にはしにくさ・しやすさがあって。
僕がかつて作ったものを人に送り出す側の人間だったから、そういう作り手の苦労を理解して、何かしら受け止める側としても有益な働きかけとかもできないのかな。
なんていうこともふわりと考えたり。
そんなこんなをしていたら、もう17時を回ってしまっている。
今日は時より雨が降るとの予報があったから傘を持ってきたけれども、幸い雨は降らなかった。
今のうち、ここを出よう。
昨日はサウナで自律神経を整えたなと思ったが、1日で完璧に立て直せるだなんてことはないのだろうな。
地道に家の環境を整えて、テスト期間とその先の生活に繋げなくては。
今日の発表値、東京では過去最多の値が発表された。(感染者数)
大阪もそのうち、すごい値が出てくるのだと思う。
感染者数は若年層が多い、と言われて妙に若年層が非難されるきらいがあるのだが、それって、活動量とかを考えればそりゃそうかもねっていうところはあると思う。
この4連休、気持ち的にも息継ぎスペースがない日々になりそうだ。
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