2020年7月20日、手応えのない1日だったような気がして

今朝は深々と眠っており、親からの電話で目が覚めた。5:30を回ったところ。バイトには、せっせと準備さえすれば間に合う。
結局、しっかりと間に合った。

仕事の内容としては結構捌く量が多く、今日が遠隔授業でよかったねえ自分、と声をかけたくなるほどだった。8時終了予定の業務だが、30分以上残る形でひと段落がついたのでバイト先を出ることに。
そのあと、どこかぼうっとしていた僕は、30分近くセブンイレブンのベンチに座って漂っていた。

帰ってから、軽くシャワーを浴び、向かったのはスターバックス。
遠隔授業での動画を視聴するために、ネット環境の整ったところに向かわなくてはならない。何年ぶりだろうというフラペチーノを頼み、飲みながら受講。飲んでいて気がついたが、杏仁豆腐味を目指して頼んだ味は、僕が思っていたものと違う味だ。オーダーの仕方すら忘れてしまったのだなあと一人勝手に悲しくなった。

今日は聴覚障害の講義。
難聴というのは、言語獲得が困難になり、遅くなるというのを授業で幾度も聞いて学んできた。
今日見たモデルは難聴レベルが90dBの赤ちゃんであったが、養育者が楽しみとして積極的にあやし、相手をした結果として、関係を試す行動の表出時期が正常聴力の子どもと変わりなく、
またその関係を試す行動が基盤となって、言葉の意味の理解;言葉の獲得につながったということがとても印象的だった。

また、長い間子宝に恵まれず、待ち望んだ子どもであったものの、難聴の診断があることはその親の心には大きな負担であるということも印象に残った。

赤ちゃんは何度も親の顔を参照して育つはずで、その心の負担によって親に活気がないと、それを見て育つ赤ちゃんにもきっと影響が出てくるはずで、赤ちゃんとのやり取りをする余裕も失われるかもしれない。
親の方の負担を取り除くことができなくとも、それを一人に抱え込ませすぎないように、STを含めた周りが支えられる働きをすることの必要性を考えた。


受講後、入構が許された大学にゆき、書類の提出等を行った。
教科書類を取りにやってきたクラスメイトと少しばかり話をし、スケジュールが変わったこと、出先にて行う実習がなくなってしまったことを労い合った。

それからは、昨日の夜に購入した瀧本哲史著『2020年6月30日にまたここで会おう 瀧本哲史伝説の東大講義』(星海社新書)を読んだ。

昨晩に読み始めてから、あっという間で今日の夕方には読み終わった。僕としてはとても速かった。

とてもおもしろく、僕のこれからを考える時間だった。僕のこれからを、例えばこの国の未来に、どうエネルギーが注げるのだろう。そういうことを考えた。

波に乗れる人というのは、いつ波がきてもいいように準備ができていない限りはそれができない、そういうニュアンスの文章があった。

いつ打席に呼ばれてもいいように、バットを振れる準備をしておかないと、打席に立ってホームラン、ましてやヒットだなんて打てようがない。

いつお呼びがかかってもいいように、いつでも万全でいること。

そのために自分にできることは何か、自分にならできることは何であるか。

よく考えて、進めていかなくてはならぬ。

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