2020年7月18日、何を迎える準備をしているのだろうという時間

テストの時間割が出され、一週間後には「この土日が明けたらテスト期間突入」だなんて言っているのかもしれない。

そんな土曜日のお昼過ぎ。僕はスターバックスで大学の遠隔授業を受け、課題を提出したところだ。

元々、今日は先生の都合で午前中は遠隔での受講、お昼からは対面授業という予定だったのだけど。
昨日僕の大学でも(誰に向かって言ってるのかねというツッコみを自分にしてしまった、)陽性反応の学生が出て、昨日急遽連絡があり、大学構内への入構がこの週末の間は禁止となった。

テスト期間が迫ってきているということもあって、学校に教科書類を置いている人たちは大急ぎで取りに行ったようだ。
きっとこれだけでも多大なストレス。変化にはストレスが対価として支払われるみたいだ。

もちろんそれだけではないのだろうけども。

そんなこんなで、今朝は公民館的なスペースへネット環境を手に入れねばと立ち寄ってはみたものの、今週頭の月曜日から30分以上の利用は認めない方針、というか対策をしていたので避難するようにスターバックスにやってきたわけだ。

今日の授業は聴覚障害。

受講した内容の中核は9歳の壁90dBの壁だ。

9歳の壁というのは、
難聴の人が言語獲得に向けての指導を受けたとしても、9歳レベル(小学3年生レベル)より上の言語発達レベルにはなかなか延びにくいというもの。

名詞だったり動詞だったり、語幹はわかるのだけれども、
助詞だったり活用語尾だったりといった単音節のものの聞き分けが難しく、(なぜなら、多音節の言葉はトップダウン処理だったりで補いながら、予測をしながら埋めるようにして理解を進めることができるから。)語と語の繋がり、そして文として不成立なものになってしまう。

不可逆なものはできても可逆性のあるものは理解が難しく、理解が難しいということはすなわち、表出も難しいということになるのだ。

「ならば手話、指文字、読字で補えばいいじゃなか」という声も出るかもしれないのだが、母国語の獲得;思考を整理するためのハードウェアの基盤の獲得ができていない中では、それらも難しいわけだ。

そして、手話だったりは語のみであることが多い。活用形というのはあまり考慮されていないものでコミュニケーションで用いられているために、文を書いてもらうと、感覚から言うと稚拙な印象を受ける文になってしまうというわけだ。

ちょっと何の話をしていたのかを忘れてしまいそうになっているが、9歳の壁のお話だ。

で、そんな9歳の壁としているのには原因がある。
まず、難聴のレベルに合わせた言語指導をしていないというのが原因の一つ。
その人の難聴レベルが~90dBだと、補聴器装用によって何を言っているのかの弁別がかなり向上し、言語指導を進めやすいそうだ。
90~110dBぐらいだと、語音の弁別というのが難しく、韻律情報、イントネーション、プロソディーといった情報で受け止めるようになる。

そのようなレベルに合わせて、言語指導の材料を用意しないとダメですよね、というお話。

他には、やっぱり勉強は根性論!みたいな論調が流布しているのもよくないところ。
上記にもあるが、内側に流れる言語としても、母国語というのがあまり獲得できていない状態でもある人に対しげ、それを勉強すれば、訓練すればできるようになるからと、強いる形での与え方しておらず、そこに利用者の自発性は無視されている。

その人の生活でいかほどに接点のある情報なのかというのがとても大切だというわけだ。生活で接点がある情報は、重要なこと。僕らもそうだけど、そういうものを覚えるし、覚えたくなる。

そういう、よくない"強いれば身につく!"論調が9歳の壁の地盤を固めた。

90dBの壁というのは、先にも述べた、難聴レベルが90dBまでならば補聴器装用により言語獲得が可能になるであろう、それ以上の難聴レベルであると、補聴器装用のみでは言語獲得は難しくなるという、そういうお話だった。


さて、そんなこんなで受講と課題提出が終わり、時間を過ごしていたところ、大学からコロナ対応での続報が届いた。

自粛期間とでも言いますか、大学構内への入構禁止期間が今週末(明日19日)までだったのが来月2日までに延長された。

さてさて、これで僕の受講環境はどうしたらよかろうか。
再来週からはテストということで、多くの授業が終了に向かっていたというのはラッキーだったかもしれない。だけど、どうやって学習環境を作って行こうか。

まあ、今日は帰ったら、読みたい本を読もう。

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