#田端藤田の生討論 を見て

 Twitterで話題になっていたので見てみました!
 ざっと思ったことを書いてみます。

 田端さん、藤田さんが言っていることはそれぞれの言い分がありますし、
言いたいことはわかりますが、私はやはり田端さん側の意見です。

 藤田さんが目的としていることが何なのか良くわかりません。なんかNPOだかなんだかわからないけれどもお金をもらっているからやらされてその仕事をしているのではないかというイメージを持ちました。

 自分の意見ではなく、所属している団体としての考えなんじゃないかと。だからそこまで頑張って準備しているわけでもないし、言うこともふわふわしていてよくわからない。結局今の自分の団体での立場を守るために言っているだけなんじゃないかと。
 
 本当に今の日本の仕組み(税率かな?)を変えたいんだったらもっと熱いパッションを持ってこの場に挑むんじゃないかなと思ってしまいます。
 
 藤田さんのことはこれくらいですが、カンニング竹山さんが後半ブチ切れていた「甘えすぎ」ということはすごく僕もしっくり来ました。
 
 今の日本が仕事がなくなったら生きていけないわけではないし、割と仕事が選べる社会だと思います。
 そんな日本社会に対して文句を言う人は普通の人とはちょっと違った感覚の人なのではないかと強く思います。
 
 あくまで僕の意見ですが、それは「自責」か「他責」の違いです。
 「自責」の心を持っている人間なら今の給料、待遇に対して文句があるなら全ては自分のせいだと捉えます。私もそうです。そして自らアクションを起こします。それは転職なのか、今の会社を変えるのか。前にNewsPicksアカデミアの講演を観覧しに行った際に”今の会社に不満があるなら、「辞めるか、染まるか、変えるか」と教わったことを覚えています。

 会社を辞める選択肢だけではなく、その会社に染まって自分を適応させるか、その会社を意見を出して変えるのかということもできるということです。僕だったら辞めてしまいますが。

 辞める理由としては、自分ではない誰かを変えるのは自分を変えることよりも想像を絶するほど難しいと思うからです。自分事の様に思えるくらいその人に対して想いがないと変えられるとは思えません。部下がいた経験があるのでよくわかります。だったら自分が変わってしまうほうが良い。むしろ自分を変えることすら難しいはずだと思うのです。人間は常に妥協との戦いだと思っていますので。
 
 だったら今の社会に不満を言うんだったらもっと自分を高めることに対して時間を割くほうがよっぽど有意義だと思いますし、より幸せになれるはずです。

 藤田さんが自責の人だったら同じことを思うはずなのできっと他責の人なんだなと思います。そして社会に対して文句ばっかり言う人も同じです。

 自責の考えってあとからでも身につけられることだと思いますし、僕も少し前までは他責だったなと振り返るとすごく感じます。何か失敗したら外部環境のせいにしてました。でも前職で自責の大切さを学びました。自責性のある人の方が話していて気持ちがいいです。他責性の人と話していても何の学びもないですし、ただの愚痴の言い合いで全く楽しくありません。

 長々と話してしまいましたが結局パレートの法則みたいに藤田さん側の意見はなくなることはないと思います。
 僕自身、全ての物事は正解はないと思っています。時代によって変わっていくものだと思いますし、正解がある必要もないと思っています。

 なのであくまでこういった意見を言い合う「エンタメ」だと捉えて楽しんでみております。

 それでは!


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