夜と霧 を読んで

心理学の面から人間は劣悪な環境に立たされた時にどう振る舞えるのかを記された本だった。
ただの伝記ではないことが分かる。
人間は与えられた環境の中で生き抜くために奇跡とも思えるような行動、対応を取るものなんだと感じた。

苦痛でしかない日常だからこそ些細なことに対してのアンテナを張ることが出来、自然の魅力について感嘆するとこができるのだ。
物理的な制約によって身体の自由は奪うことはできるが最後のその人の心までは誰も奪うことは出来ない。

生きること意味をまとめるのではなく、生きることが自身に意味を求めている。自分がなんでいきているのか、常に念頭に置いておいておかなければ話にならない。

本を読みながら実際に自分がそこにいたらどう立ち回ることができるのか常に想像しながらページをめくっていた。こうやって綺麗に洗濯された服を身にまとって、さっき昼食を食べたばかりの膨らんだお腹で本を読んでいる自分がいかに幸福か。同時にそのありがたみも忘れてしまっている。人間はその環境が普通だと捉え、なんの感情も抱かなくなってくるものなんだな。
程度はまるで違えど収容所生活もそうなのかもしれない。今の生活レベルに応じた喜び、苦しみがある。一度高次元の生活水準を味わったあとに全てを奪われると、またかつての喜びを味わいたいと現実のギャップに苦しんでしまう。クリスマスなどのふいなきっかけで記憶がぶり返し、耐用レベルを振り切ってしまうと死んでしまう。
こうしたことも生きることに目的、意味を待っていれば襲いかかる苦しみさえも生きることの一つと捉えることが出来る。
自分が普段、そのように生きているのか。何も考えず、ただ生かされている自分は収容所に入れられた人からしたらいかに罪深いか痛感する。
こうやって不足なく生きていけることに感謝することを忘れてはならない。
そう感じさせる一冊だった。

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