母親とトラブルの関係性。
ビジネスの先生であったり、小学校の時に僕をこき使ってきた友達であったり、なぜ僕は自分の気持ち(感情)を押し殺して、その人の顔を伺いながら生きてきたんだろう?
と考えた時に、ふとバンコクで「親を投影しているだけなんだよ」と言われたことを思い出した。
思い返してみれば母親は昔厳しかったように思う。
自分の好奇心で棒を振り回していたらカーテンレースを破ってしまい、「怒らないからやったことを言いなさい」と言われ素直に伝えると怒られたし、
コンビニに行っちゃいけないのに友達と楽しいからと言って行くとバレてめっちゃ怒られたし。
途中から優しくなって規制が緩くなったけども、僕が幼い頃はずっと母親=怖いという認識でいたのかもしれない。
それが癖になって親的な存在の気持ちはめちゃくちゃ気にするようになったし、その人を怒らせてはいけない、自分(の感情)が犠牲になってでも。という無意識のトリガーができてしまった気がする。
だから何、という話ではあるが自分のボトルネックとなる原体験をこうやって大人になってから言語化しておくのは大事な気がする。
トラブルには一定パターンのクセがある気がしている。というか僕の場合はある。
脅威になる存在がいて、その人によって自分の感情を押し殺され、窮屈になり、自分のやりたいことが抑制されている。その結果息苦しくなる。
だからこそ「自分らしく生きたい」という欲求に戻れた瞬間気持ちが楽になるし、自分らしさという言葉が好きなんだろうな。
この世の中で誰よりも自由に自分の意思で生きたい人間なんだろうな。
そう強く思えた。
2023/04/03
曙橋のカフェにて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?