2014年9月23日

ベルマーレをずっと応援してきて、特に忘れられない日というのがいくつかある。

その中の一つが、2014年9月23日(火・祝)。

ベルマーレな皆さん、覚えてますか?

2014年J2リーグ、京都さんとの対戦で第33節。

18時キックオフで、結果は2-2だった。

勝てはしなかったけど、この同点弾のおかげで、J1復帰が決まった試合だった。


遠方サポーターは、なかなかチームの優勝や昇格などの節目の試合の現地にいられることが少ない。

でもあの日の西京極には、私も行けた!


9月末でも夏のような気候だった。

青からだんだん紺、黒に暮れていく空が目の前に広がってた。


私は基本的に、ベルマーレでは特定の背番号つきのユニフォームは着てない。

12番または、背番号なししか着ない…ようにしてる…のかな。

コロナ禍前から、もし特定の選手を特に応援したいと思っても、なかなか身近に接する機会もなかった。

サッカー選手は移籍が多いから、仮に1年で移籍…なんてことがあると、「もっとスタジアムに応援に行きたかった」「一言でいいから、実際に顔を合わせて『体に気をつけて』と伝えたかった」などなど思ってしまうから。


チーム全体を同じように、全員を同じ熱量で応援してれば、そういうモヤモヤもまだましだろうという、長年の思いからだった。

(ベルマーレでは、と書いたのは、個人的に前から応援してる選手のユニフォームはその選手の背番号つきで着たりしてるからです。

これについてはおそらく、いろいろと賛否両論あると思うので、書ける範囲でまた書きたいと思います)


だけど、2014年シーズンは、私のベルマーレ人生の中でも珍しく、ある選手の背番号がついたユニフォームを着てた。

ベルマーレに来る前から注目してた選手が、私にとって驚きの形でベルマーレに来て、「今年はその背番号を着たい」と思った。


私のその背番号を見た、右後ろにいたおじちゃんが声をかけてきた。

「〇〇選手応援してるの?」

「はい!全員大好きですけど、特に〇〇選手を今のベルマーレでは応援してます」

「そうなんだー!僕は特に△△選手を応援してるんだ。〇〇選手と△△選手、出身地近いよね!」

「そうですね(^^)」

ふと見たら、そのおじちゃんは片方松葉杖。

「足、ケガされてるんですか?大丈夫ですか?」

「うん!どうしても昇格の瞬間に一緒に居合わせたくてさ、神奈川から来ちゃった(笑)」

「そうなんですね…!お疲れ様です!」

「だって、今日絶対決めんべ!!」


なかなか普段は現地での応援が難しい自分、足をケガしてもどうしても京都まで来たかったおじちゃん。

私やそのおじちゃんだけじゃなく、周りのみんなにそれぞれベルマーレヒストリーがあって、その中に今日という1ページがあるんだろうなと思った。


顔見知りの仲間たちは、「京都?近所だべ!」といった感じで、全く疲れを見せることもなく、当然のように試合前からピッチを見つめて戦闘態勢だった。

「湘南!」「湘南!」

手が腫れても手拍子を続ける。

声が枯れても歌い続ける。

小さい頃はこれが「平塚」だったけど、一体どれだけの回数、私はこの名前を呼んできたのかなと思った。

初めは「地元じゃないチームをわざわざ応援してくれてありがとう」と、他人とまでは言わないけどお客さんみたいだったのが、いつしか同じ地元の近所の仲間みたいな空気になって、湘南弁の中に身を置いてることがとても心地よかった。


西京極のスタジアムグルメの店員さんは、半ば顔見知りになりつつあった。

見た目はどう見ても湘南から来た人なのに、喋れば突然西日本イントネーションな私を、初め見た時は思わず笑ってた。

湘南弁も喋れるけど、西京極ということでちょっと西日本バージョンが抜けてなかった(笑)

(そういえば「いかにも湘南顔だもん。あ、横浜じゃねーべ?」ってよく神奈川ベルサポさんたちに言われる…笑)

透明のプラスチックコップに、初めはなみなみと注がれてたお茶も、跳びながら歌いながら叫びながら、少しずつ水分補給をしてるうちにだんだん減っていく。

次のお茶をどのタイミングで調達するかを考えながら、目はピッチから視線を外せずにいた。


J1復帰の条件は引き分け以上。

もちろん勝ちたかったけど、条件ギリギリで昇格(復帰)を決めて、まるで勝ったかのように周りの仲間たちとハイタッチするベルサポたちは、あまりにもベルマーレらしくてみんなで笑った。


実際、月とか星が空に出てたかは分からない。

でも、キラキラした夜だった。

私がその年特に応援してた選手は、ケガもあってあまり試合に出てなくて、その試合にも出てはなかった。


だけど、J1を掴んだのはピッチにいる選手や現地に来れたサポーターだけじゃない。

監督やコーチ、スタッフさん、その試合に出てても出てなくても選手全員と、チームに関わる全てのみんなで掴みとったJ1だった。

ものすごく感動した。

これが、現地で節目の試合に一緒にいるということなのか!!


感動に浸ってたら、監督やコーチ、選手たちがアウェイゴール裏に歩いてきた。

チョウさんがホッとしたような、嬉しさを心の奥に燃やしたような顔でこっちに来るのが見えた。


その日は、「地元チームのサポーターだけど、ベルマーレも応援したい」と言ってくれた地元の知り合い2人も一緒に西京極に行ってたので、その2人にまず「前に行っていいよ!」と言って行ってもらった。

ベルマーレを身近に感じて、地元チームの次でいいから応援してもらえたら嬉しい、そして湘南という地域ごと好きになってくれたら嬉しいと思うから。

せっかくこんなに感動の節目にいるのに、初めて来てくれたその2人が蚊帳の外みたいになってしまったら、私も悲しいし辛い。


チョウさんは私から少し離れたサポーターから順番にハイタッチしていった。

近づいてくるごとに、チョウさんがものすごく汗だくなことに気がついた。

監督も必死なんだな、選手と一緒に心の中ではピッチを走ってるんだと思った。

チョウさんとハイタッチする時、何か言えば良かったと今も思ってるけど、実際には「おめでとうございます」「ありがとうございます」「嬉しいです」とか何か言ったような覚えもある。

普段はそんなに緊張するタイプではないけど、あの時は本当に緊張したし、胸がいっぱいだった。


チョウさんの地元の西京極で、J1復帰を決めてチョウさんとハイタッチした夜。

あの時の熱気、手の温かさ、周りの歓声、みんなの笑顔…その全てを今も忘れることはできない。


「おめでとう!ベルマーレはええなぁ。J1で闘えるんやもん。サンガが上がるまでちゃんとJ1で待っといてや!」と京都さん関係の方に言ってもらったことも、すごく心に残ってる。


今の私は、アウェイも含めて当時より端っこの方でひっそり見てる。

ひっそり…というほどひっそりかは分からないけど。


でも、あの日あの感動の渦のど真ん中にいられたのは、顔見知りの仲間が「いいじゃん!ここで応援しようよ!」と、応援にあの場所を選んだからこそだったのかもしれないと今も思う。

「ベルマーレ最高やん!Nikoが湘南も地元って思う気持ちが今日一日でよう分かったよ」

地元から来てくれた知り合いたちは、私が貸したベルマーレのタオルマフラーを返しながらそう言ってくれた。

「これからも応援するわ!初めてベルマーレに来て、こんな試合絶対忘れないよ」


その後、メディアに1枚の写真が載った。

「え?これNiko?

チョウさんとハイタッチしてる!!」

あんなにたくさんの人が写った写真。

言われなければ、その写真の中でチョウさんとハイタッチしてる手の相手が私だとは誰も気づかないだろう。

本当に一番大切なことは、形ではなく目に見えないものとして心に残っていくのかもしれない。

それでも、写真という形であの瞬間が残ったことが、私には本当に嬉しかった。

「遠くからでも、胸張って湘南を応援していいんだよ。それが自分だと思えるなら、これからもそうすればいい」という、サッカーの神様からのメッセージのような気がしたから。


この時期になると、毎年改めてあの日を思い出す。

これからもずっと忘れないあの日の記憶。

宝物の記憶。


時は流れて、今日は金JでFマリノス戦!

この前も川崎さんと神奈川ダービー。

今日はFマリノスさんと神奈川ダービー。

いつもは神奈川仲間だけど、試合では負けられない!

何と言っても、降格圏まで勝点1の差しかない。

平日の夜の試合はなかなかDAZNで見るのも難しいんだけど、心はベルマーレの勝利に向けて、レモンガススタジアムに飛ばしておこう!


試合の前に、まずは台風が心配だけど…。

台風が来る度に、みんなの無事と川の水位がとても気になる。

私は台風の通り道(たまに上陸)の町に住んだことがあるから、台風の怖さが本当によく分かる。

皆さん、気をつけてください…!

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