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交通事故を経て感じた事


Prologue

昨晩、Instagramで投稿しましたが、11/28の夜に交通事故に遭いました。
左脚と顔に全治3ヶ月の大怪我を負い、現在はさいたま市内の病院に入院中です。
そこで今回は、事故そのものについてや、入院生活中の出来事やその中で感じた事を綴ろうと思う。

事故に遭ってから病院に搬送されるまで

時は半月ほど遡り、11月28日。
25歳になってからちょうど3ヶ月が経ったこの日は、夜勤のバイトに向かう為、20:30前に家を出て最寄駅へと向かっていた。
ただ、結論から言うと、その日の記憶は、部屋を出た所で止まっている。
そう。
最寄駅へと歩いている道の中で、交通事故に遭って、市内の病院に搬送されたのだ。
僕はよく、道を歩く時などの移動中は、ヘッドフォンをつけて音楽を聴いている。
この時もそうだった。
そして、これは後で親から聞いた話なのだが、横断歩道や信号がない暗い夜道を歩きスマホをしながら横切った時に車とぶつかったらしい。
何が怖いかって、衝突の瞬間の記憶は全く残っていない。
上記のような書き方をしているのは、それが理由。

そして、これまで『当たり前』だったものが突然奪われ、骨折を治し『日常』を取り戻す為の入院生活が始まったのだ。

5日前にInsta Liveで自分の今後の人生について打ち明け、久々の海外渡航まで1週間を切っていた矢先の出来事だった。

入院生活について

まず搬送されたのは、救急病棟。
意識を戻した時は救急車か何かでそこに運ばれていた。
そして、事故に遭った2日後には、左脚の骨を元に戻す為に骨を固定する道具を入れる手術が行われた。
その直前には両親が病院まで駆けつけてくれて、面会した。
前述の救急搬送の連絡が来た時「翔麻は死んだかと思った」と後から直接言われた事もあって、なんとか命拾いした姿を見せ、軽く言葉を交わした。
その後は、ベッドの上でグッタリしてる時間が長かった。
顎がずれた事で噛み合わせもずれたので、それを元に戻す事と内部の粉砕骨折を治す事を主な目的とした顔の手術を今月6日に受けた。
食事に関しては、入院当初は流動食を食べ、足りない栄養に関しては別途点滴を受けていたが、噛み合わせの治り具合に応じて少しずつムースや固形物の物も食べられるようになり、やがて点滴も外れた。
現在では、箸で分けられるレベルの柔らかさの物を食べている。
そうした中で、自分自身、少しずつ元気を取り戻し、現在では、こうして発信活動を再開出来るくらいまでに回復している。

怪我が治るに連れてリハビリも進めている。
移動に関しては、入院から1週間近くは車椅子での移動が多かったが、今では自分1人で松葉杖で動けるようになった。

病院で借りている松葉杖。
使い始めてから1週間以上が経過し、だいぶ慣れてきました。

食事に関しては、前述の通りそれなりに食べられてはいるのだが、病院食は量が少ない。

時々体重を測るのだが、この入院期間に10kg以上落ちていた。
元々平均より低かったBMIが更に低下した格好になった。

そこで、最近では、院内の売店で、病院食と同じくらいの柔らかさの物を買って食べている。

具体的にはこんなもの。
冷蔵庫で保管してます。

食事制限に関しては、顔の手術を受けてから1ヶ月で撤廃されるので、事故に遭う前以上に沢山食べて、体重をしっかり増やしたいと思う。

今回の入院生活の中で考えた事

さて、これまでは事実を中心に綴ってきたが、ここからは、入院生活の中で考えた事や感じた事、わかった事について綴っていこうと思う。

①『今•この瞬間』や『今日』を大切に生きる

前述の通り、事故に遭った日は、ハノイ遠征まで1週間を切っていた。
海外渡航自体が3月以来、レッズの遠征で海外に行くのは初めてになる予定だった事で、気持ちがかなり昂ると同時に、どこかフワフワした気持ちになったり浮かれていたのかもしれない。
美味しいご飯屋さんなどの情報収集目的でもあるのだが、他の人がハノイに訪問した様子をYouTubeやInstagramなどでくまなく見ていた。
そうした中で、気づかぬうちに、自分も訪問した気になっていたのかもしれないと、今振り返って思う。

それで、前述の通り、道を歩いている中で自分の目の前に迫りきている車を避ける事が出来ずに今回の事態を招いてしまったのだと思う。

そこで、入院中に感じたのが、『今•この瞬間』や『今日』を大切に生きようという事だ。

毎日一生懸命生きていてもそうでなくても、『その時』は時間の流れと共に必ずやってくる。
1週間後や1ヶ月後の予定を楽しみにしてそれをプラスのモチベーションに変える事は良い事だと思う。
また、そこに向けてしっかりと計画を立てたり準備をする事は大切だし必要な事だと思う。
ただ、そこばかりに意識を向けすぎて目の前の事を疎かにしてしまい、今回の僕のように事故にでも巻き込まれて予定を断念する事になってしまっては元も子もない。

生きていれば、多かれ少なかれ、毎日何かしら楽しい事はある。
毎日目の前のやるべき事を懸命にこなして、「今日はこれが楽しみだな」だったり、「今楽しいな」と毎日常に噛み締めながら生きていきたい。

②脚を大怪我したサッカー選手の気持ち

過去のnoteで綴った事もあるし他のSNSでは頻繁に発信しているが、僕はサッカー観戦が大好きだ。
毎日のようにサッカーのニュースを追っている中で、選手が脚を負傷して自分で歩けずに担架で運ばれる様子や「〇〇選手が靭帯を損傷し、手術を受けました。全治○ヶ月です。」といった類のニュース、その選手が松葉杖を使って歩いている様子を毎月のように目にする。
今回の事故に遭うまでは「自分は脚に大怪我を負った事はないけど、怪我した人は大変なんだろうな」くらいにしか思っていなかったが、今回自分が左脚に全治3ヶ月の大怪我を負い、今は松葉杖を使って不便さを感じながら生活している事で、そうした人達の気持ちや大変さが少しだけわかったかもしれない。
このような書き方をすると、「サッカー選手以外の人達の事はどう思ってるの?」って感じる方も少なくないと思う。
その人達の為にちゃんと補足しておくと、サッカー選手に限らず、また、脚以外の怪我を乗り換え、立ち直ろうとしている全ての方々に対するリスペクトの気持ちは忘れずに持っています。

③人は1人では生きていけない

大前提として、僕達人間は、常に誰かの力を借りながら生きている。
と言うか、自分一人で全てをこなす事は出来ない。
僕自身、7月から一人暮らしになり、食事や金銭面を自分でやりくりするようになった。
ただ、よくよく考えてみると、普段食べている食材は、自分でゼロから作ったものではない。
どの食材にも、農家の方などの生産者さん達がいて、その食材をお店に運んでくれる人達がいる。
だから、僕達は食材を買って食べる事が出来ているのだ。
また、一人暮らしをするにも、その家を建てた人や、電気や水を供給する為に自分達が見えない所で動いてくれている人がいる。
その事は絶対に忘れてはいけない。

人を頼る事自体は悪い事なんかじゃない。
むしろ、僕達は、何かしらの形で誰かに頼らずには生きていけないのだ。
だからこそ、そうした人達への感謝やリスペクトの気持ちは常に忘れてはいけない。

今の僕だってそう。
松葉杖を使わなければ歩く事が出来ず、フロア跨ぎの移動に関しては看護師さんに車椅子を押してもらいながらの移動になっている。
また、入院中に使う歯ブラシや服装類などは親が持って来てくれた。
様々な形で自分の事を支え、助けてくれている全ての人達へのGIVEを有り難く受け取りながら生きていきたい。

Epilogue

直前の文章に通ずる事だが、今回交通事故に遭った事を打ち明けると、家族や親戚に限らず、沢山の仲間や友人が、心配や励ましのメッセージをくれた。
中には1年以上会えていない人や直接お会いした事がない人もいるけど、本当に自分は仲間に恵まれたなと強く思う。
自分が回復した後、彼らが大変な状況になった時は自分がメッセージを送るなどして、そうした仲間達の事は大切にして生きていきたい。

また、今回の事故に遭った事で、今月計画していた海外遠征は全て断念する事になってしまった。
ただ、これは初めて公の場で書く事なのだが、実は、その航空券は、親に話す前に確保していたものなのだ。
僕の両親は、若い頃にそれぞれアメリカに留学するなど、海外が大好きで、その2人の子供である僕もよく海外旅行に連れて行ってもらっていた。
ただ、様々な国を自分の目で見て来たからこそ、海外の面白さだけでなく、危険な側面も知っている。
そこで、僕に対しては、「海外は日本とは大きく異なる環境だから気をつけなさい」と常々言われると同時に「海外に行く時は航空券を取る前に親に話しなさい」と言われている。
言ってしまえば、今回は、そうした親の教えを裏切る事をしてしまったのだ。
そこで、今後は、自分の事をゼロからここまで育ててくれて、自分の良い所も悪い所も一番近くで見てきて、自分の身に起きた嬉しい事も悲しい事も全てを分かち合ってきた両親、そして、今後も誰よりも身近で大切にするべき存在である『家族』にちゃんと応援してもらえる存在になろうと思った。
そして、自分が「今度あの国に行きたい」と言ったら、「気をつけて、いってらっしゃい」と笑顔で見送ってもらえるような存在になろうと心に決めた。

正直、次に海外に行く日がいつになるのかはわからない。
ただ、また海外に行ける日を楽しみに、今は、リハビリに励む事や今後の人生について真剣に考えると言った、今の自分が出来る事を懸命に取り組みたい。
スキルやお金は周りの同い年よりはないかもしれない。
ただ、時間だけは、病院で暇を持て余すくらい大量にある。
交通事故に遭って入院生活を送ってる事自体は悔しいし、毎日毎日もどかしい気持ちでいっぱいだけど、後々、「25歳の時に交通事故に遭って入院した時期があったから今の自分がある」と胸を張って言えるように生きていく。

2023.12.16 SHOMA.O

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