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徒然なるVim

深夜の書きなぐりなので、特に文章の脈絡も気にしない。

ここのところ、Vimが止まらない。たかがテキストエディタ、されどテキストエディタ。Vimに無限の可能性を感じている。

Vimにはまるで宗教のような熱狂的なファンがいる。これにはきっと理由があるだろうと思い、長年心にしまってきたのだが、ここにきてなぜか試す気になった。

ただ、断片的な情報だとまったく便利さがわからない。単純にキーストロークを少なくする、という意味で言えば、単純にタイピング速度を速くすればいいんじゃないのかな?と思っていた。

ということもあり、まずはVimの勉強のための勉強をすると、チュートリアルがあるらしい。それを一通りやってみる。うん、とても思想が伝わってくる。

特に、単語間の移動をいかに少なくするか、置換を効率的にやるか、ということなんだな、というあさーい理解をしていた。

あさーい理解だとVimにそこまでの魅力は、少なくとも宗教を換えるほどの魅力はなかったのかなと思う。ただ、そこでVimに見切りをつけずに、もうひと踏ん張りしようと考えた。そこでたどり着いたのが、「実践Vim 思考のスピードで編集しよう!」であった。

この本はまさに宗教染みていた。Vim愛であふれているのはもちろんのこと、キーストロークを1、2回減らすのにいかに命を削るか、を考えているのがありありと伝わってくる。そこまでの情熱を見せられると、やはりポジションを離れざるを得ないマウスを使った操作や矢印キーでの操作が罪悪に感じてくる。そう、どちらが効率的である、という問題を通り越して、正義か悪かの問題に切り込んでくるのである。

これは、別の問題で言うとロボット掃除機にもあてはめられると考える。ロボット掃除機とは、本来人が掃除しなくてもいいようにする装置であるが、ロボット掃除機を効率よく稼働するためには、ロボット掃除機が動きやすいように環境を整える必要がある。要は、人間側の働きや生活習慣を変革するが求められており、これは本来の目的からすると本末転倒である。

ただ、これが悪いかというと別問題である。本来、ロボット掃除機を手に入れた真の理由は、部屋をきれいに保ちたい、である。そのための時間がない部分をロボット掃除機にゆだねたいと思うわけだが、その過程でロボット掃除機が動きやすいようにすることは、結果的に部屋をきれいに保つことにもつながるわけで、最終目標には到達しているわけだ。

話がVimからロボット掃除機にそれまくったが、要は、Vimはテキストエディタのロボット掃除機のようなものであると考える。Vimを使用するためにはいろいろと個人のスキルも磨かなければならないし、下手をするとファイル構成や文章の書き方もいじらなければならない。はっきり言って面倒極まりないわけだが、Vimのこの教本を読んでいる限り、これを続けていればいつかテキストエディタの極みに行けるのではないか!?という期待が持てるし、本来やりたかった効率的なPCライフ、ということに、テキストエディタの枠を超えて貢献してくれるのである。

と、ここまで書いているのだが、そこまでVimを使いこなせているわけではない。モードの切り替えもスムーズではないし、uを意識してノーマルモードと入力モードを切り替えたりもできていない。ただ、ものすごく可能性は感じていて、毎日よるVimでの文章入力とトレーニングを続けているくらいである。(この文章もVimで書いている、が、入力のみで構成しないので、特にVimでかくメリットを享受しているわけではない。)

今後、プログラミングのコードを書くなどなると、本来的なVimのよさをもっと実感できるのだろうけど、そこまでいかなくてもVim自体楽しい。

締めのような形になってから書き足すのもあれだが、教本で一番ショック?だったのが、検索の使い方である。検索、とは、知らない情報、見えていない情報を探すために使うものという認識があったが、Vimはそれをキーストロークを最低限にするための手段として、見えている情報も検索する、という方法を選んでいる。これは結構カルチャーショックだった。同一行内だけで検索して飛ぶためにコマンドを使う、というのは、ぶっちゃけ矢印キーを何回か押せばいいじゃん、と思ってしまうが、そこを検索できるように慣れるだけでだいぶ世界が変わるのではないかと思うし、実際、Vim以外の操作時もそのように考えるようになった。

とても良いね、Vim。

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