解きほぐしてみる

よく晴れた日曜日の今朝のこと。

出がけに、昨日雨に濡れてびちょびちょになった子どもの靴を玄関に置きっぱなしにしていたことを思い出した。

靴に新聞紙を詰め、洗濯物と一緒に外に干しておこうと思い、
リビングにあった新聞紙を開いた。
破ろうとしたそのページには、ファミレスのパフェの広告が載っていて、そばにいた子どもが「それ、見たい!」と叫んだ。

私はかまっていられないと思い、
そのページを破り、丸め、子どもの靴に詰め、ベランダに干した。

気持ちを無視された子どもが泣き始め、
泣きはどんどん激しくなった。

もう出かけるつもりが面倒なことになり、
私はうんざりした。

夫がなだめに入ったが、
泣きは激しくなる。

パフェが載ったページを子どもに渡し、
別のページを丸めればよかったのだ。
そうしなかった私には、少し意地悪な気持ちがあった。

この土日で片づけようと思っていたことがいくつかあり、
土曜の夜にやるつもりでいた。
子どもと一緒に寝落ちしてしまうことが多いが、
「今夜は寝落ちしないぞ!」と思っていた。

子どもは、寝入るときに私の首をさわる癖がある。
(乳児のころからの癖で、いつ取れるのだろうと思っていたが、
5歳の今もなお続いている…)

昨夜も寝入るときに首を求められ、添い寝した。
首をさわられつつ、眠る前のしりとり(最近はしりとりを
しながら寝入ることが多い)をしていたら、うっかり寝落ちしてしまった。

その日は朝5時前に起きて活動的に動いたので、寝落ちしてもしょうがない面もあった。
が、子どもが寝たあとでいろんな作業を進めるという計画が丸つぶれになり、日曜の朝、「ああ…」と思いながら目覚め、その時点で既に子どもを恨めしく思うような感情があった。

そのほかにも、
・子どもが「今日はこれ着ていく!」と選んだワンピースが、子どもは気に入っているが、私は正直言うと嫌いなデザイン。
というか、あまり子どもに似合っていない。
子どもは気に入っているので何も言わないが、それを着ている子どもを見ていると、内心微妙な気持ちになってしまう…
・今朝、向かいに住む夫の母が少し家に来ていた。濡れた靴をそのままにしていたことに気づいたとき、「きっとお義母さんもこれを見つけて、『濡れた靴を放置してる。だらしがない』と思っただろうな」とモヤモヤした

という要素もあった。

…そんなこともあって少し意地悪な対応をしてしまい、
結果、子どもが大泣き。

夫がなだめに入ってくれているし、
少しイライラしている私は子どもと離れたほうが今は良策かも、
と思い、出かけようと靴を履きかけた。

が、自分が意地悪だった自覚はあったので、
こじれる前に子どもに謝っておこうと思い直し、
リビングに戻った。

干してある靴からくしゃくしゃで湿った新聞紙を取り出し、広げる。
色とりどりのパフェの写真が複数載った紙面を見つけ、
子どもの前に置いた。
「これが見たかったんだよね?
おかあさん、少し意地悪だったね。ごめん」
代わりに、他の新聞紙を破って丸め、靴に詰める。

はじめからそうすればよかったのだが、
さっきはどうしたってできなかった、とも思う。

子どもは、まだ私と仲直りする気は起きないようだが、
先ほどよりはだいぶ落ち着いた。

当初の予定どおり、私は一人で家を出て、
都内へ。
電車の中でこれを書いた。

都内のイベントに家族で行く予定だったが、
行きか帰りのどちらかは単独行動をしたいと
夫に申し入れ、行きは別々に、ということになっていた。

出がけにかばんに入れた
大河原美以『ちゃんと泣ける子に育てよう』を少し読み、
気持ちを落ち着けた。

ネガティブな感情を承認するということは、ネガティブな行動を承認するということとは異なります。感情を承認され、言語化してもらうことは、感情の社会化を促すための支援として重要ですし、感情を承認されることで、気持ちが落ち着くと、次の望ましい行動に自ら移ることが可能になるわけです。

大河原美以『ちゃんと泣ける子に育てよう』 P104




久々に新宿ベルクに行き、一人で飲みながら、
気持ちが落ち着いていくのを感じている。
ベーコンドッグと300円の白ワインがとてもおいしい。

子育てって、難しい。

ちょっとした衝突の裏に
小さな感情のしこりの堆積がある。
そういうものをなるべく解きほぐしておきたいと
思っている。

その実践として、ためしに書いてみた。

こうやって振り返ってみると、
私は結構世間体を気にしているんだな、と再認識した。

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