心身ともにグズグズだった2月、3月を経て、4月は比較的落ち着いている。
子どもの小学校入学に伴い、体操服袋やら給食袋やらをたくさん作った。
初めは億劫に感じていたけれど、いざ始めると、たのしい。
アイロンをかけ、布に線を引き、断ち、ミシンで縫い、アイロンをかけ、またミシンで縫い…
工程を着実に踏めば、ちゃんとできあがっていくことがうれしい。
今日は裁縫の日と、丸一日をそれに充てた日は過集中状態になり、食べることも忘れてひたすら作業していた。
手芸系のことを今後も細々と続けていくと、メンタル的にいいのかもしれない。
子どもの卒園式、入学式に着けられそうな服や靴が全然なくて、一気にいろいろ買った。
そういうときにしか使わなそうなものを買うのもシャクなので、普段も使えそうなものを、とあれこれ選んだら、結構出費がすごいことに。
もう今年は服や靴は買えない…。
でも、どれもなかなかいい買い物ができたと思っている。
装いを楽しめる余裕が出てきたことが、うれしい。
3月下旬まで畑にもなかなか行けず、作業がたまってしまったが、ここ最近は毎週末通えている。
畑は今年で多分6年目。
今年の目標のひとつが「生理中は無理しない」だったが、1~3月は全然守れなかった。
が、今月は、生理中にわりとぼよーんとして過ごせた。
在宅仕事が閑散期に入り、比較的暇だったことが大きい。
ぼよーん、ぼけーっと過ごしたら、イライラすることもほとんどなく、快適。
4月中旬の整体でそのことを話したら、Nさんに大いに褒められた。
Nさんも、生理中は事務仕事などはしない、とのこと。
なかなか毎月そういうわけにもいかないだろうけど、できるだけそれを目指したい。
2月の整体のときは施術中ほぼずっと泣いていたが、今回はカラッとしたいい状態で受けられた。
「呪いが解けた感じがあるんです」と言ったら、Nさんに「本来のあなたが戻ってきた感じがする」と言われ、素直に喜ぶ。
整体の帰りに実家に寄り、リビングにあった長椅子と、外して放置していたアコーディオンカーテンをやっと粗大ごみに出した。
アコーディオンカーテンは、外してから約2年も庭に放置していたので、ツタが絡まっていた。
気にしながらも先送りしていたことをやっと実行できたときの気持ちよさは、なんとも言えない。
リビングにあった長椅子がなくなったことで、ピアノがあった場所にできているじゅうたんの黒いしみがより一層目立つ。
両親が食事するあたりの食べこぼしによるしみも、かなりひどい。
今年中に、DIYでフロアタイルなどを敷けたらと思っている。
4月中旬の週末には、初めて宗教2世のオンライン自助会に参加してみた。
かなり緊張して参加したが、いざ始まってみると、なんというか、居心地のいい場だった。
普段私は、Kのことをひた隠しにして周囲と接している。
それが、その場では全面的に出すことができた。
そういう場が設けられていることをありがたく思った。
それぞれの人がそれぞれの傷つきを語っていた。
誰かから攻撃されるのではないか、という恐怖は感じなかった。
安全な場において、自分の傷を見つめ、語る人々。
そういう状況にある人が傷ついた他者を攻撃することはないのではないか。
会が終わったあと、静かな気持ちだったのは意外だった。
随分前に何かのトークイベントで、ヨーゼフ・ボイスの「傷を隠す者は救われない、傷をさらす者は救われる」(正確な引用ではない)というような言葉を知り、以来、ずっとその言葉が頭の片隅にあった。
やっと自分の傷に風を当てられたことをうれしく思っている。
つい先日、朝ドラ『らんまん』を見たくて、ついにNHKの配信見放題に加入した。
久々の朝ドラ。
洗濯物を畳みながら見たりすることに妙な喜びを感じる。
15分でひと区切りって素晴らしい。
そういえばと、ずっと見たかった『100分deフェミニズム』も見た。
とてもいい。
上間陽子さんが話しているところを初めて見た。
やわらかさと強さ、自分のリズムに引き込んでしまう感じが稀有だと思う。
『心的外傷と回復』、読みたいな、欲しいなと思いきや、すごく高い本だった…
とりあえず図書館だ。
4月はいろいろ前進した。
以下、横道誠 編著『信仰から解放されない子どもたち』、信田さよ子『タフラブ 絆を手放す生き方』より、重要だと思ったところの抜き書き。
読みたい本が山のようにある。
川上未映子『夏物語』も、なかなか進まないが読んでいる。
ここ数年小説が読めなくなっていたけれど、だんだん読めるようになってきていて、うれしい。