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寂しさは”自分の存在を認めるためのもの”

「寂しさというのは”自分の存在を認めるためのもの”なのだ」という一節と出会いました。

寂しいは、相手と一緒に過ごした時間がそれだけ楽しかったから、充実していたものだったから、もっと一緒にいたいと思う。

相手との関係性を築いているからこそできる感情だということ。

寂しいから相手と一緒にいたい。ではなく、相手のことが大好きだからもっと一緒にいたいと思う。それが寂しさ。

深いですよね。

寂しい時、悲しい時、辛い時、そんな感情に入り込んでしまいがちだけど、それは相手との関係をそれだけ築けたということ、その感情が起こるほど、自分の中で大好きや大事が育っていたということ。

そう考えると、悲しいも寂しいも感じることが前よりも幸せな気持ちになりました。悲しいと思えるほどに、その時間が楽しかったんだ。寂しいと思えるほどに、一緒にいる時間が素敵だったんだ。

そして、そんな時間を一緒に作れた。

とっても素敵なことですよね。

悲しいと思って相手に会いたいと思った時、相手に依存してしまい、思い出したいなと思う文章でした。

これって、きっと全ての関係性で思い出せるといいよなって感じます。自分が相手をどう思っているのか、相手とどんな気持ちで一緒にいたいと思っているのか、どんな関係性を築いてきていたのか。それは、相手を縛るものでも、相手にどうにかしてもらうものではなく、私が相手をどう思うか。

そして、悲しいも寂しいも持っていて良いって前よりも思えて、だから自分をもっと大事にして、次の時間も素敵な時間になるようにしようと思える。相手に何かを求めるばかりではなく、相手も笑顔でいる時間が増えるように。

そうすると、一緒に過ごす時間も大事だけど、一人の時間もとっても大事で、尊いもの。一人の時間をどう過ごすかで、一緒の時間がどうなるかも決まる。

一緒の時間を嘆いて、相手にどうにかしてもらうばかりでいると、一緒にいる時間も求めてばかり。そうすると、相手が疲れちゃう。それを自分はされたくないから、やりたくないし。

一人を楽しめる人が、一緒も楽しめる人。
一人を満喫できる人が、一緒も満喫できる人。

それは、どんな瞬間も私が楽しめるようになるってこと。

マンガで出会った一文。マンガって奥深い!!

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