大人の事情

衆議院選挙に加え、静岡では参議院補欠選挙が
行われています。

期日前投票にいってきたのですが、
ちょうど今日は2つの選挙を同時に投票できる
週末だったこともあって、会場は大行列でした。

コロナになってからこんなに人が並ぶという
こともあまりなかったので、久しぶりに見た
光景でした。50%程度の投票率に留まっている
選挙で長蛇の列がみられたということも
ちょっと不思議な光景にも思えました。

どこの政党がどのくらい議席を獲得するかや
どの候補が当選し、どういった政策が今後
取り組まれるかという希望や期待はあるものの
それ以上に、投票率がどの程度になるか
ということが個人的にはいつも気になって
います。

というのも、政治や社会の在り方というものが、
その時々の選択によって選ばれているという
要素が強いと感じているからです。

選ばれているというのは別の選択肢や
在り方も選べたはずだということです。

棄権する場合の多くが、単に関心がない
ということ以上に、選ぶところがない
ということのほうが印象として多いように
も思いますが、棄権という選択肢は
選び取ったその後の社会の変化などに
関心を向けなくなってしまうので悪循環
になるのではないでしょうか。

私が携わっている教育分野はこの20年間
の変化は一つの方向性が示され、それを
選択されて改革が進められ続けています。

どう選択されてきたかといえば、もともと
有能な人がより有利に働くような改革に
なっており、そうでない人は事実上、
「教育されない」環境に閉じ込められて
しまってきているというものです。

勉強は多くの人にとって苦痛だったり
やりたくないものの一つですので、
当事者にとって、この選択は嫌な
選択として受け止められてはいないと
思います。

でも、この選択はちょっと汚い言葉を使えば
愚民化政策です。
それは意図してなのでしょうか?
知らずにそうなってしまっているのでしょうか?
いずれにしてもこのままでは国は滅びます。

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