少子高齢は「共有地の悲劇」?

共有地の悲劇(コモンズの悲劇)という経済用語があります。具体例として、「共有地(コモンズ)である牧草地に複数の農民が牛を放牧する。農民は利益の最大化を求めてより多くの牛を放牧する。自身の所有地であれば、牛が牧草を食べ尽くさないように数を調整するが、共有地では、自身が牛を増やさないと他の農民が牛を増やしてしまい、自身の取り分が減ってしまうので、牛を無尽蔵に増やし続ける結果になる。こうして農民が共有地を自由に利用する限り、資源である牧草地は荒れ果て、結果としてすべての農民が被害を受けることになる」というものです。

日本で少子高齢化が進んだ原因の一つを「共有地の悲劇」と考える説があります。

大昔から日本は大家族制をとっていました。三世代同居というのが一般的だったようです。親は子供に「老後の面倒を見てくれることを」期待する代わりに、子供夫婦の子供たち(孫たち)の面倒を見ました。つまり、一つの家という私的領域で介護と保育が役割分担として回っていたのです。山林に例えれば、家という私有地の山林維持のために伐採(介護)だけでなく植林(子作りと子育て)も行って永続性が保たれていたのです。

ところが、社会福祉が整備されるようになると、子供に面倒を見てもらう必要がなくなります。結婚して子供を育てるより「公的補助」を当てにして生きた方が、(養育費がかからない分)間違いなくお金を貯めることができます。子供を作って(全て国公立で通しても)大学を卒業させるまで一人1000万円というお金を払うより、老後は公的補助を最大限利用すればいいというインセンティブが生じます。山林で言えば、伐採はするけど植林はしないというようなものです。公的補助は税金という「共有地」ですから。

この考えはあまりにも極端で一概に賛成はできませんが、今の日本を見ていると、高齢者世代が「共有地」を伐採しすぎてしまって、次の世代には「はげ山」しか残らない様相を呈しているように感じられます。

少子化を解消する方法として現実的な対策としては、両親ともに生産活動に参加してもらって税収を増やし、増えた税収を子供の保育に充てることでしょう。実際、スウエーデンでは、子供が1歳半になるまで育児休業を取得し、その後は完備した保育施設に子供を預けているそうです。施設保育利用の比率は日本よりもはるかに高くなっています。

今の日本では、夫婦共働きによる税収増だけでは十分な保育は不可能でしょう。高額所得者や多額の資産を持っている人たちも、保育については公的補助がなされているので、いっそ保育を全面的に民営化して所得や資産の低い人たちを個別に保育補助(保育バウチャー)をすれば今よりは保育の質が上がるでしょう。

また、驚くべきことに、年金には3号被保険者という制度が現存しているのです。3号被保険者というのは、サラリーマンなどの専業主婦は年金掛け金を一銭も支払わなくとも老後は国民年金の受給を受けられるという、一種の「ただ乗り」なのです。配偶者控除も存在するため、130万円の壁を超えなければ「控除」と「年金」をダブルで得ることができるのです。これじゃあ、フルタイムで働きに出る気が失せてしまいますよね。実は、最低賃金の適用を受けているのは世帯所得の多い主婦の短時間パートが大半という現実もあります。最低賃金アップは、本当に生活が困窮している人たちを救うのではなく、専業主婦パートの時給を増やす結果になっているのです。極めて意地悪な見方をすれば、十分な収入のある夫の妻がお小遣い稼ぎ程度に働くことを国が奨励しているようなもので、格差の拡大を助長しているとも言えます。

このように考えれば、「共有地」を伐採しているのは高齢者だけでなく専業主婦も含めることができるかもしれません。さてさて、どうやって植林すればいいのか・・・難しい問題です。


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