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私の水墨画観

 「現代水墨画の世界」という本が今月半ば過ぎに日貿出版社より発刊されます。すでに予約販売が始まっています。
 私は巻頭の久山一枝先生と根岸嘉一郎先生との鼎談に加え、作品を11点ほど掲載させていただいています。
 本書では作品に加え、それぞれの作家が「私の水墨画観」を書いています。
 そこで今回は本書に掲載した私の「私の水墨画観」を記します。実際の本では他の作家と合わせるために、ですます調に修正されていますが、せっかくなのでここでは初稿で書いた文章を載せたいと思います。


【私の水墨画観】

 創作という行為は祈りである。 
「意が乗る」で祈り。 
 水墨画は単に写実など形似を追うのではなく写意、つまり作家の意思を対象に乗せて表現するのであるから、まさしく水墨画を描くことは祈りの行為に等しい。

 また祈りは同時にメディテーション、すなわち瞑想といってもいい。これは禅にも通じるものだ。水墨画がもつ単色かつ簡略、省筆の方向性は、物質的な色界よりも精神的な無色界を是とする仏教哲学に相似する。ゆえに日本草創期の水墨画は黄檗宗の緇徒によってもたらされた。

 般若心経は確かに心が中心にある。色即是空空即是色、色と空、物事が存在するのも存在しないのもすべて我々の心の働きによる、と私は解釈する。すなわち自らの心意があらゆる事象の有無を決定するのだ。
 このことは水墨画の特異な表現方法である余白にもなぞらえることができる。余白は単に紙の白さではなく、空であり雲であり山であり花であり、時には人や建物が隠れているかもしれない。その画面の余白にあるものは作者の心意によってほのめかされる。

 水墨画を描くということは単に対象を象ることではない。画家が自らの筆に神を宿して心意を表現することであり、私にとっては祈りの行為であるのだ。

伊藤昌

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