生活のアテ
アテ、を探しにショッピングモールをダラダラと歩き、飯をぬるっと喰らい、電気屋でジャック付きのイヤホンをサッと購入し、本屋を小綺麗に泳ぐ。
14時00分
フラっと立ち寄った古着屋に2時間弱沈殿した後、大きい紙袋を片手に店を出た。
今日は給料日。
アスファルトに染み込んだ小雨。雲はウェットティッシュみたいだ。
これから散歩するから、ぎゅっと握ってくれないように祈る。
16時16分
軽自動車の大群とトミカサイズの暴走機関車
小声で「ブォン」と呟いてみたら、思わず、笑った。
思いっきり車の音じゃないか。
亀戸中央公園は古くから喫煙所として親しまれている。
主に、俺にとって。
真ん中の時計台をベンチから眺めつつ、今年を振り返ってみたものの感傷に浸りかけたので、やめた。
俺の悩みは、外で遊びたいのに雨が降ってるからって遊びに行かせてもらえず拗ねてる子供と同じだ。
つまり、時折我慢しているんだ。
それが良いとか悪いの話じゃなくて、人生には我慢も必要だということに対して未だに駄々を捏ねているのだ。
子供っぽいな。でも俺は50歳になっても全力で鬼ごっこがしたい。
酒にはアテが必要だ。
勿論酒なんてそのままでも飲めるが、些か口が寂しい。
生活だってそうだろう。
朝起きて飯食って働いて飯食って働いて帰って飯食って寝れば、生きてゆける。
けれど、それだと寂しいだろう。
物欲を満たしても満たされない何かが胸で突っかかっている。
つまるところ、何が言いたいのかと問われれば、こう答える。
今日は誰かとショッピングモールに行って誰かとご飯を食べて誰かと電気屋に行って誰かと本屋に行って誰かと服を選んで誰かと公園でタバコを吸いたかった。
きゅうりの1本漬けのような友達やたこわさみたいな家族やチャンジャみたいな後輩が、今日の俺には必要だった。
けれど誰も誘ってない自分が悪いかと、こうしてなだめている。
人間らしくていいね。
夜は丁度予定があるから、孤独には慣れたとうそぶいた今日を取り返したい。
でもまぁ、本当はこの時間も好きだ。
我慢じゃなくて、噛み締めてると思えば、味が出てくるから。
前にもこんな事言ってた気がする。
小雨のお陰で枯れた紅葉を踏んでも音がしない。
だからこそ、この12月半ばに聴くチェット・ベイカーのAutumn Leavesが心地良いのだ。
やっべ、かっこつけそう。
まぁいいか、1人だしな。
17時00分
来年はどうする?どうもこうもないね。
俺はこれまでもこれからも今しか生きてねえ。
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