アイアム主人公
どうも靭帯びよんびよんおじさんです。
病院の先生に言われました。何だか横柄なお医者さんでした。
ボルダリングでやってしまいました。
何だか久しぶりの怪我なような気がします。
子供の頃は擦り傷切り傷打撲が、毎日更新されるくらい遊んで部活してという日々を過ごしていたのに。
年を取ったのか。シンプルに痛いし、怖い。
変化のない日々が好きです。
明日も明後日もまるで今日の繰り返しのような日々が続けばいいと思っています。。
それでも世界の濁流となり、俺を襲うのです。
今年に入って早二十日。
いつになったら気楽にやれるのかわからん宿、突如の就職の誘い、移住の誘い。そして怪我が痛い。
何か動き出す一年なんでしょうか。
幸せのハードルもプライドも低ければ低いほどいいと思っている。
俺は正直今の暮らしに満足しているのですが。
『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」
芦田愛菜さんが言っていました。笑
こだわらずすがらずすべての事に対しニュートラルでいたいなんて思っちゃいるけど所詮無理な話で。
それでも本と音楽と映画と好きな事に向かう時間も取れる暮らしを続けよう。
久しぶりにゴットファーザーを全部見てやろう。
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