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VΔLZオリジナル曲『No Reason.』は3人がリスナーへ贈ったラブソングなのかもしれない

去る2023年6月9日にZepp Yokohamaで開催されたVΔLZの1stライブ「一唱入魂」にて発表され、デジタルリリースもされた『No Reason.』を聴いて思ったことを書き綴ってみる。
※以下の文章はあくまで筆者の感想と想像ですので、自身の考えと異なる部分があっても、ドラゴン桜の阿部寛の台詞「それも正解だぁ!」という感覚でご覧ください。

正体不明の違和感

まず正直に書くと、初めて聴いたとき、どことなく違和感があった。
もちろん曲の完成度は素晴らしいものだ。
長尾から始まり弦月甲斐田の順で個人パートを聴かせ、フック(=サビ)に向かって3人の声を重ねながら歌い上げる。
疾走感のあるメロディーに3人の個性が乗り、歌詞中の「三つ巴の花」も相まって、あたかも家紋の三つ巴の成り立ちのように3人の独立した歌声の奔流が、ぶつかり混じり合い、巨大なひとつの渦になっていくようなイメージが浮かんだ。
好きかきらいかで言えばまちがいなく好きな曲だ。

だが筆者は違和感を覚えた。ここで言う違和感は、悪い意味でもないが良い意味でもない。
例えるなら、いつもは気にならないTシャツの袖がなぜか気になるといった類の感覚である。

曲の印象

『No Reason.』Rapであることは一度聴けばわかった。
長尾の歌い出しの「おい、まだビビってんじゃないか? 切り取ったSoul like a大火」(以下に記す歌詞はすべてiTunes版)
この時点でRapなのは自明である。『ないか』『like a』『大火』で韻を踏んでいる。
『like a』は「ライカ」とカタカナ英語気味で歌うのがRapの定石(ライカの韻をひたすら踏み続ける『ライカライカ』という曲もRapにはあるくらいだ)のため、筆者は「できるだけ自然になる歌い方にしてて、この辺のバランス感覚うまいなー」と思っていた。

歌詞の中身も、長尾の二刀の剣士であることを『研ぎ澄ます』で表し、金銭にシビアな性格を『慈善事業じゃねえ』とファンならニヤリとできる歌詞を披露。

弦月は長尾パート終わりの『It's OK?』を拾い『滑稽』『天啓』『Mayday』と続け、『Wipe Out』『Time Out』『Black Out』の『Out』でバトンを渡すことで、甲斐田の発音と歌い方を調整した『What's Up?』につながるようになっている。

そして甲斐田は甲斐田で『天才引きこもり 僕は怠惰』と自慢なのか自虐なのかわからない歌詞を歌い出すが、これは「怠惰」と「甲斐田」で韻を踏めるので「天才引きこもり 僕は甲斐田」と自己紹介になるというイントロダクションとしては最高のパンチラインを決める。(ちなみに『What's Up?』も『like a』と同じようにカタカナ英語で「ワッサ」と歌う日本語Rap定番の言葉なので『What's Up?』が実は『まあさ』にかかっている。)

聴き込むことでわかったこと

この時点でRap好きオジサンはかなりノリノリになってリピート2周目からは自分でも歌いながら曲を楽しんでいた。

と、ここで筆者はあることに気がついた。
この『No Reason.』には奇妙なまでに頻出する母音の組み合わせがあるのだ。
それは「あ→い、a→i」だ。
自分で歌ってみると、とにかくこの「a→i」の口の動きが多い。
以下に、それを含む箇所を曲の1番の部分だけ書き出してみる。

じゃないか?
like a
大火
Wipe Out
Time Out
天才
怠惰
譲らない?
めんどくさい話はもうしたくない
狂乱の世界を
玉座を狙い
Wanna know why. No reason.
走り続けてきた
高み目指しもがく まだハイみたい
期待したい まだ止まれない時代
痛い思い忘れては無いみたい

「a→i」となる言葉が1番だけでこれだけの量が含まれている。
特にサビの終わりに3人が1フレーズずつ

甲斐田「た『かみ』目『指し』もがく まだ『ハイ』み『たい』」

長尾「期『待』し『たい』 まだ止まれ『ない』時『代』」

弦月「い『たい』思い忘れては『無い』み『たい』」

と歌い上げる部分は、言うなれば「a→i」の大洪水で、同系統の音がハイテンポかつ連続で鳴る感覚はこの曲の中でもっとも心地よい瞬間だ。

頻出する「a→i」には『No Reason.』=理由はないのか?

無論、(韻を踏んでいる以上ある程度は意図的ではあるにしても)この母音の繋がりがただの偶然という考え方もあるだろう。3人あるいは製作陣全体の気持ち良い歌詞を当てはめていったら「a→i」が多くなっただけではないか?という見方だ。
だが、筆者はその考えには否定的だ。という根拠は曲の最終盤、いわゆる大サビの部分にある。

「今、叶わない事もあるけれど」
「息ができない時もある でも」
「足を止める事はできないから」
「これはそのための決闘」
と3人で声を合わせ歌い、曲を終える。

この箇所の存在が『No Reason.』が3人からリスナーへのラブソングであると考える最大の理由だ。

違和感の正体

筆者は曲を初めて聴いたとき違和感があったと記した。
その違和感の正体が各フックの最後にある「決闘」という言葉だ。
歌詞の流れを考えると、3人がさらなる高みに挑戦していく姿をみんな見ていてほしい。というような意味になるだろう。

そんな歌のテーマそのものである『決闘』の韻を踏むために、3人が前に置くこと選んだのは『けれど』『でも』だった。
綺麗に収まりの良い正真正銘の曲の最後の言葉「闘(とう)」ではなく、「決闘(『けっと』う)」なのである。
これがなにを意味するかというと、製作陣は本当に伝えたいものから逆算してリリックを書ける技術と熱量を有しているということだ。
そして、「決闘」につなげるための言葉も曲中で初めて出てくる逆接の接続詞であり、それまでの「a→i」ではなく、あえて「e→o」を採用している。
これによって聴いている人間に強い印象を与えられる。

筆者には、ここまで出来る彼らが「あい、a→i」の言葉を闇雲に使うとは思えなかった。VΔLZの3人は明確な意図を持って「a→i」で韻を踏み、その韻を3人のオリジナルRapとしてリスナーに届けたと考える。

そういう意味で『No Reason.』は3人が自分たちを応援してくれているリスナーへ贈った日頃の感謝と愛を伝えるラブソングなのかもしれない。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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