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コトバの戦争 〜戦争は否定するくせに彼らは戦争をしている。〜


戦争、北朝鮮、中国の話、自衛隊や米軍の話を熱く語る人の気持ちはわからない。





彼らの会話を聞いていると特徴的なスタイルがある。

それは相手にかぶせたり、相手を否定したりする言い方が目立つ。 ということだ。


まるで、相手に打ち勝つための話し方をしているように聞こえる。

まるで言葉でも戦争をしているみたいだ。

「だから!」 
「話聞いてくださいよ」
「いやいや、それは違うでしょ」

国会中継でもこんなシーンがあったような気はするけど

 

このやりとりを聞いていて
仲良くなり、相手のことを知るためのコミュニケーションには思えない。

むしろマイナスなコミュニケーションになりそうだとすら思える。


もし、相手の防衛論?とかに共感できたとしよう。
でもそれはその人のことを知れたのとはまた違うと思う。

一緒に戦ってくれる同盟軍を見つけたのと同じ。
または強力な兵器を手に入れたのに近い感覚。



ネットの中でも同じことが行われてる。

誰かの意見を激しく肯定、否定。
「いやいや、〇〇は間違ってるでしょ」
「そんなこともわからないんですかー? 笑」
「ジャズといえば〇〇だよね!!」

そうして同盟軍を見つけつつ有利な状況で
誰かを攻撃して打ち負かしたい。
そんな感じ。

スポーツを熱狂的に応援する人や、
歌手、アイドル、芸能人のファンも同じ。

自分の肯定するモノや人を兵器に見立てて
何かを否定して自分を満たす、
代理戦争をしているだけではないのか。


 

結局、彼らは戦争をしたいだけなのではないのか。



僕はそういう人の議論に巻き込まれた時、
どうやってその場から逃げるか
ということだけ考える。

議論のフィールド
つまり戦場に立ってしまったら、
勝ちか負けかしかない。
**相手を傷つけるか相手に傷つけられるしかない。 **


その時間は何も生み出しはしない。

だから、何かを生み出すためには
戦場にいてはダメだ。

戦場からは逃げるしかないのだ。


弱腰だって指さされたって、
負けて逃げるのか?ってバカにされても
逃げろ。

戦いは何も生み出さない。

だから僕はそんなときは
チャンスを見つけ、
そっとその人との議論から逃げ、
自分の文章と向き合う時間に使うことにしている。

僕は自分の変えたいことを変えるのにこの頭と貴重な時間を使いたいから。


僕は
何かや誰かを否定をするアンチや、
肯定をするファンになりたいわけではないから。

僕には好きなものややりたいことがあるから。

だからそれをやる。

代理戦争なんかじゃなく、僕自身がプレイヤーでいたいから。







p.s.

もし相手のことを打ち負かしたい、自分を表現したい
ではなくて、本当に防衛のことを憂いているなら行動に出るはず。
本気なら、そこらへんの凡人に語る暇はないはずだ。

誰かの意見を否定すること、飲み屋で自分の意見を語ることは容易い。
でも現実感ない。
行動も伴っていない。

だから僕は戦争とか防衛とか国家の話に興味が持てない。

どうせ僕が話したところで世界は変わらないだろうと思ってしまうから。


もしも僕が本気でそれを変えたいと思うなら実際に動く。こんなところで語ってる時間はない。

ネットの人も、なにかのファンの皆様も
本当にそれが好きなのか、戦争をしたいだけなのか。

何かズレてしまっていないか、いちど考えてみてはいかがだろう?

 
 
誰かを打ち負かすことではなく、

ありのままの自分の心で好きだと思うものを好きと言い、
やりたいと思ったことをやろうじゃないか。

世界中の戦争はなくせなくても、
自分の周りで起こっている小さな戦争はなくすことができる。

その小さな戦争をみんながなくしていけば、
世界は平和になるのかも

なんて、思考停止してみる。
今日はお酒飲んで気分もいいし、たまにはいいよね。

こうやって僕の気分が緩めば、
誰かにちょっと優しくできて、半径2メートルの戦争をなくせるかもしれないしね。

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