チャレンジするためにしょぼい肩書きを名乗ることにした。〜僕がホームレスと名乗った理由〜
僕は大学卒業後、ホームレスと名乗って生きている。
僕がホームレスと名乗る目的はたくさんあるのだけど
今回はそのひとつ"期待値を下げる"
について説明していきます。
**★プライドはチャレンジを妨げる。
**
僕は24年間生きているうちに、
**知らず知らず"ムダなプライド"ができてしまった。
そのせいでチャレンジに対して臆病になっていたのだ。
**
プライド1 学歴
"医療系の大学"というのを名乗ると、ほぼ100%人から褒められる。
「すごいね」と。
というか、否定されたことは一度もない。
そのせいで「僕はすごいんだ」というムダなプライドが育まれていった。
いつしか、"医療系の…"という肩書きを名乗らないことが怖くなっていった。
国試を合格して、資格も手に入れたこともムダなプライドを加速していった。
**プライド2
活動**
大学在学中に、週1.2回ではあるがbarを開いた。
メニュー開発から告知なども全部自分で行った。
また、その後個人で出張専門のバーテンダーをはじめ、コンスタントに依頼が来るようになっていた。
他にも、医療系の意識高い団体に入ったり、
代々木公園を借りて0からファッショショーを企画、主催したり、
モデルとして別のファッションショーに出させてもらったこともある。
他にも自分のイベントをいくつもやっていた。
これらの活動により、僕はできるんだ。
というムダなプライドがさらに加速していった。
**プライド3
SNS
**
ホームレスになるまでの僕のSNSは人に褒められそうなことしか書いていなかった。
〇〇を開催しました。
〇〇のイベントに呼んでもらいました。
〇〇とミーティングしてました。
etc
不安や焦りなんかのネガティブな感情や、
カッコ悪いととらえられそうなものはすべて
ろ過され、表に出ることはなかった。
カッコいいと思われそうな投稿は、よりカッコつけて書いた。ウソをつかない範囲でもりまくった。
そうすると、いいねも付きやすいし、コメントもみんなが褒めてくれるからいい気分になった。
そうして、
カッコいいことしか書けなくなっていった。
そしていつしか、僕は新しいチャレンジに対して臆病になっていた。
「やってみたい!」
という自分の心の声ではなく、
「これをやったらどんな評価を得られるだろう?」という目線でやることを選び
確実に"すごい自分"として見られる行動以外をとらなくなった。
それは同時に失敗するリスクを過剰に考えているからと言える。
だから成功する失敗するかわからないことにチャレンジできなくなった。
失敗して"できる自分"ではなくなってしまうのが怖かった。
こうして"絶対に失敗できない"という枷ができてしまった。
このような状態を、僕は
"期待値を上げすぎた状態"
と呼んでいる。
★僕はチャレンジするために期待値を下げることにした。
僕にはチャレンジしてみたいことがたくさんあった。
人前で歌も歌ってみたいし、
もっとイベントもやりたい。ブログも書いてみたい、YouTubeもやりたい…
他にも書ききれないくらいやってみたいことがあった。
でも、"できる自分"の幻想を守るためにそれらはやれなかった。
失敗して、"できる自分"でいられなくなることが怖かった。
しかし、チャレンジをせず、自分の可能性を潰している今の状況を抜け出したかった。
**
だから僕は期待値を下げることにした。
**
"できる自分"の反対の
"しょぼい"肩書きであるホームレスを名乗ることによって
"できる自分でいなくては"というムダなプライドを捨てたのである。
まわりに対して、
"あんまり期待しないでね。だってホームレスだし"
というメッセージを発し、周りの期待値を下げ
「どうせまわりに期待されてないし、失敗してもなんとも思われないよね。」
というふうに自分の期待値も下げた。
まわりからムダに期待されなくなること、
そして自分にムダに期待しないことにより、
「どうせ失敗してもなんとも思われないだろうから、チャレンジしよう」
という考え方になった。
そうして、かつては躊躇してしまっていた
ブログ、YouTube、歌、ラジオなどをはじめることができたし
SNSの発信も、どう思われるかを考えず
本当に思ったことを書くようになった。
「ホームレスに依頼するくらいだから、大して期待してないでしょ」
という感覚を持てているから
司会、登壇などはじめての依頼にもガンガンチャレンジできている。
メンタルが強く、プレッシャーに打ち勝てるなら
「俺はできるやつなんだ!」
と言い続け、それに負けないように成長する"正当な"やり方をすればいいだろう。
でも、メンタルが弱くてプレッシャーで潰れてしまう繊細な僕らは
期待値を下げることでチャレンジすることができるかもしれない。
弱いには弱いなりのやり方がある。
弱くても戦うことはできる。
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