円盤も発売されてDB超SHがまだ盛り上がっている中で敢えてのアニメDB超の話

Attention!!
以下の条件に当てはまる方はこの先は見ないでブラウザバックされる事をオススメします。

・アニメDB超が好きで好きで仕方ない方
・アニメDB超がワリと好きな方
・アニメDB超がそこそこ好きな方
・アニメDB超がそこまで嫌いではない方
・アニメDB超へのツッコミや毒が許せない方
・アニメDB超とGTを何かと比較しやすい方
・鳥山先生至上主義の方

アニメDB超に対して毒しか吐いてません。
この毒は2022年の内に吐き出しておかないと多分自分はいつまでも引き摺ってしまうと判断しました。
ぼんやりとではありますが、何となく自分の中でハマる例えが見つかったので毒をどろどろと、でろでろと、吐き出そうかな、と。
あくまで個人的に思っている事なので、この先見る方には「こういう風に感じるヤツもいるんだな」程度に眺めて頂ければと思います。
アニメDB超を野球に例えてます。かなりな長文です。








…よろしいでしょうか?

前書き

まず前提として自分は気持ち悪い程のピッコロさん贔屓であると言う事と、
リアルタイムではアニメDB超をほとんど見ておらず、後から色々知ったクチです。
何故リアルタイムで見なかったかと言うと、神神映画とFの劣化版からスタートしているという噂を聞いたので、わざわざ毎週テレビで見る程ではないなと判断した次第です。
(神神映画とFは映画館ですでに観てましたので)
結果的に、アニメDB超でのF編において何故かピッコロさんがフリーザに殺されたり、フロスト戦ではそんなこと誰も言ってないのに自分の事をいきなり知恵者とか言い出した挙句、頭の良さを何1つ披露することなくやられたりと散々な目に遭わされるピッコロさんをリアルタイムで拝まなくて済んだので、その判断はそこまで激しく間違ってなかったような気がしてます。

ついでに書かせて頂くと、コミックDB超は読んでませんし、読む気もありません。
かと言ってDBZ信者かと言えば実はワリとそうでもなく、特にピッコロさんが悟飯を庇って死ぬ神作画回の28話でピッコロさんが事切れた瞬間に悟飯に「あー、おじさーん!」と叫ばせた脚本に対してマジふざけんなと思っているクチです。
(DBZのみならずDB改もですが、初対面の時ならまだしも一緒に修行した後も事あるごとに悟飯にピッコロさんを「おじさん」呼ばわりさせているのは一体何なのかと)
ついでに書くとナメック星編で生き返ったピッコロさんが駆けつける80話では、ピッコロさんのあまりの足の短さに「工工エエエエエ(´Д`)エエエエエ工工」と何とも言えない気持ちになり(切り抜きを覚えてからはこのシーンをMADで使う事は一切無くなりました)、神様と同化する回では画伯回に当たってしまい、見る度に「あー…」みたいに気持ちになったりしてます。
まぁこれらに関してはzoome時代からずっと言ってますので今更ではありますが、ピッコロさん好きな自分でも色々思う所があって、今も昔も公式全部を無条件に盲目的に肯定はしてません。

更についでに書かせて頂くと、GTに関してはハナから見る気が起きないと言いますか、あくまで自分の中での話ですが、好きとか嫌いとかって話ではなく、全くと言っていい程原作とは関係なくね?という位置づけになっていて、「七珠のドラゴンボール動画」という合作MADに参加させて頂いた際に、リーダーが(尺的にもピッタリだったらしいので)GTの悟空で〆ると言い出した時にワリと最後の方まで渋ったというくらい、原作とGTを分けて捉えている方です。
(とらしろさんのパートは1つのパートとして色んなサイヤ人が出て来るので全然アリだと思ってます)

自分にはこう見えてしまいました

若い方には分かり難い例えになってしまって大変申し訳ないのですが、自分が見た限りで受けたアニメDB超の印象は野球に例えると、四番打者ばかり集めていた印象の強い、かつての某軍を彷彿とさせる感じだなぁと。
これは個人的な好みの問題だとも思うのですが、打者に限って言えば、そもそも自分は四番打者のホームランだけが野球の魅力とは全然思ってなくて、
一番から三番までが四番にどうやって繋げるか、特に一・二番が塁に出ていて三番が左中間の超ロングヒットを打ったりするともう最高!とかって感じる方なので、野球って四番打者のホームランだけでゲームが決まるワケじゃないよね、と。
一番から三番までは決して捨て駒だとかカマセだとか引き立て役などでは無いし、四番が1人でホームラン打つだけではチームが勝てない事が多々あるよね、と。
一番から三番までちゃんと塁に出ていればホームランだってソロではなく
満塁ホームランになるよね、と思うワケです。

それと自分は、ピッコロさんは決して四番打者タイプではなくて、長打力はありますが、どちらかと言うと一番二番の活躍を拾って四番に繋げる為の器用さと判断力を求められるうえに、ゲーム全体を見てもここが肝だろうという超重要な三番打者的立ち位置のキャラだと思っています。思うのですが、野球選手で例えを続けると、
  家事育児バッチリです!
  でも試合では全く打てません。走れません。守れません。
だと普通に「あ、はぁ、そうですか」としか反応出来ないワケで、
アニメDB超でのピッコロさんはまさにそんな印象だったりします。
ピッコロさんの魅力ってそこだっけ?みたいなもどかしさと言うか、
それはそれとしてそこじゃねーんだわ、というのはこの辺にあったんだろうなと。
どれだけパンちゃんの離乳食作ってまっせ、寝る前に歌ってあげてまっせと言われましても、
「あ、はい、そうなんですね。それで肝心の戦いの方はどうなんですか?」となるワケで。
特にピッコロさんは悟空のように農業してるワケでも無く、何も用事が無ければ日がな1日修行している忙しい無職の方なので、戦闘で活躍しなければぶっちゃけその修行にすら意味が無くなると言いますか。
で、自分の目から見て完全に四番打者タイプとして固定されている悟空と王子ばかりビルスとウイスの元で修業をしまくって活躍していたら、そりゃ昔の某軍の姿勢ややり方やオーナーが苦手だった自分では気持ちが離れるよな、と。
まぁ四番打者のホームランが好きな方はそれだけでも十分満足出来るのかも知れませんが、DBには四番打者だけではなく、他にも色んなタイプの魅力的なキャラがいるのに勿体ないなぁと残念に感じる部分が出て来るワケで。
それと一定のキャラへの露骨な持ち上げ方や下げ方が見ている側に伝わる時点で、自分は作り手側の押しつけがましさを感じるので、それも気持ちが離れる原因になったのかな、と。
活躍必至な四番打者的キャラが更に愛妻家で育児も手伝ってます!となったらそれはより一層魅力を感じる選手なんだろうとなるのも当然過ぎるものだと思いますし、実際そうなってると思います。

DB原作だと決して悟空1人で戦ってるだけではなく、王子戦ではヤジロベーが意外な健闘をしたり、フリーザ戦では途中までデンデのアシストがあったり、魔人ブウ戦ではミスター・サタンがアシストしたり、DB超SHでも立ち位置はギャグ要員なのにゴテンクスがポイントポイントで健闘していて、色んなタイプのキャラに見せ場があって活躍する姿が見られるんですよね。。
それも、単に戦闘力だけで言えば悟空にも敵にも圧倒的に敵わないキャラが無理のない範囲で動くのにそれが絶妙過ぎて「おお!そこでそう動くか!」「よくやってくれた…!」みたいな感動が湧き上がるというか。

アニメDB超で鳥山先生は「原案」として関わっているのであり、脚本を書かれているワケでは無いようなので、その原案がどういったものかもよく分かりませんが、原案て要するに「たたき台」なので、鳥山先生の案がどう変わってあのアニメになってしまったのかもイマイチよく分からないと言うか。
「脚本・鳥山明」の「F」がアニメでは何でピッコロさんが死んでんの?みたいな。
(多分ここが自分の中でアニメDB超スタッフに対する不信感の理由の1つになってます)

これが完全にDB超SH公開前のDBという作品・コンテンツに対する不信感へと繋がっていて、自分がDB超SHが公開される前にとことんまで期待値を下げに下げまくって、監督や声優さん達が「ピッコロさんが活躍します」と宣伝していても全く信用出来なかったのは、何十年とこの四番打者ばかりに焦点を当てて来たやり方に食傷気味になっていたからで(キャラとしては嫌いではないのですが、ビルスとウイスの存在もチート過ぎる気が)、公開前にそのイメージを覆すような、払拭してくれる何かがありましたか?と。
前作超ブロリーで主人公から戦力外通告されていたピッコロさんが逆に今更どういった方向で活躍するのかと。
活躍と言ってもパンちゃん相手の子守や育児方面での活躍なんじゃないですか?と思わざるを得なかったワケで。
他の作品とのコラボも含めたTVスペシャル系もたまにありましたが、とりあえず魔貫光殺砲を撃たせておけばいいだろう的な扱いをされ続けていた印象が拭えませんでしたし、もっと言うと公開前に毎週のように上がっていたDB超SHの宣伝でも、ピッコロさんが攻撃を当てるシーンが1つもなかったので。
(オレコロさんがセルマックスに気弾パンチ当てる部分は公開後になって出てましたが)
敢えて書き残しておきますが、自分が縋る思いで「本当に『ピッコロさんが活躍する』という言葉を信用しても大丈夫そうかな?」と感じたのは最強ジャンプだったかな…監督の「ナメック星の若者三人衆が好きなキャラ」というコメントだったというくらいに、正直映画を観るまでは宣伝の文句が遠い世界の出来事として自分の目には映ってましたし、まったく届いてませんでした。
今にして思えば、こういう時こそ立ち位置的に王子役の声優さんが「今回は悟飯とピッコロの活躍が凄いぞ、くそったれー!」etc.と宣伝して下されば「え、マジですか?」となった気がしなくも無いですが。。
まぁ、王子じゃキャラ的に無理かな。

実際のDB超SHでは悟空と王子はビルスの星で修業を続け、13時に迎えに行く予定だったピッコロさんは14時半過ぎに迎えに行ったばかりかパンちゃんの協力の元で狂言誘拐を敢行し、ピッコロさん自身は魔貫光殺砲を撃ってもセリフは無く、戦闘ではボロボロになりながらも最後まで喰らいつくカッコ良さを見せてくれて、見事にすべての予想をいい方向に裏切ってくれたワケですが、逆にここまでされてようやく自分は救われた思いがしました。。

更に、原作やZ(改)まで見て来たハズの、悟空と王子のイメージの逆転現象も何となく地味に気になっていて、DB超SHは自分の中では“凝り固まった筋肉を一旦ほぐす”為に作られた作品というイメージがあるのですが、銀シャリもオレコロさんもその為に出て来ざるを得なくなった感じがしてます。
DB超SHでさえも悟空の謎劣化が払拭できなかったのはワリとマジでキツかったなぁと思っていて、これからも鳥山先生自らの手でテコ入れしないとどうしようもないレベルなのでは、とも感じてます。
(Fからの劇場版の脚本は先生ご自身で手掛けられているようなので)

個人的な願望で「悟空とピッコロさんコンビの珍道中が見たい」と何度も呟いてますが、「悟空とピッコロさんのコンビ」と言い続けているのは、今の段階でここに王子が加わると確実にアニメDB超路線に戻ってしまうのではと思っているからで、これにはぶっちゃけF編だけでなく例のフロスト戦が関わってます。
あれだけピッコロさんをコケにしておいていきなり一緒に行動したりすると、今度は逆に王子のメンタルがヤバい感じになると言うか、
「あれだけピッコロさんをクソ扱いしたのは何だったんだ」になるワケで。
(アニメDB超の中でその後のフォローがあった記憶がありません)
そうなると結局またピッコロさんはカマセにならざるを得なくなると言いますか。
超ブロリーでピッコロさんが戦闘から外れた場所で悟空と王子のフュージョンをコーチしたのも「あいつはたかがナメック星人だぞ」と原作でもピッコロさんを見下していた王子との距離感を調整させる為の時間をかけた準備の1つなのかなぁと思えて来ています。

フロスト戦について

あれは正直TVで流せるレベルの内容ではないだろうと。。
ピッコロさんを王子に置き換えたら、
誰も言ってないのに「オレは第7宇宙では名の知れた料理人だ」とか王子が突然言い出して、延々とフライパンを温めている間にフロストにガスの元栓閉められていて、料理の腕を披露する事も無く、何がしたかったのかよく分からないウチにやられて、後から聞いたら何でも美味しく作れる、洗うのが楽な素晴らしいフライパンでした、
みたいな本気でワケの分からない話に思えるので。。
何故そんな話にピッコロさんを充てたのかもまったく理解出来ませんが、
それを王子にいちいちダメ出しさせる時点で、原作で丁寧に積み上げられていた王子とピッコロさんの絶妙だった関係までも徹底的に壊されたな、と。
というか、あそこまでけちょんけちょんに魔貫光殺砲を全く使えないクソ技呼ばわり&扱いをしたからこそ、全てを塗り替えるようにDB超SHでは最高に美しい決め技になったのでは?と邪推してしまいます。。

自分の中の違和感とDB超SH

自分の中の違和感を全部吐き出すとするなら、1人のキャラの位置づけや方向性が原作から外れ過ぎて、そしてそれがウケてしまった為に、逆に「DB」という作品の幅が極端に狭まったなぁとも感じてます。
でもDBにはピッコロさんもクリリンも悟天もブルマも、色んなタイプのキャラがいますよね、と。
しかもDB超SHでは新キャラのヘドやガンマ達が本当に魅力的でスルッと入って来てくれたのが嬉しかったのですが、そんなキャラがそれぞれの役割を持って適材適所で活躍していく方が自分は好きだという実にワガママな話で申し訳ないです。。
ただ、その四番打者の一角に何でもかんでもイイとこ取りさせようとした結果がDB超SH前の状態なのでは、と自分が感じてしまっているのもまた事実なので。。

でもそうなってしまった原因はアニメDB超ではなく、遡って行くと旧ブロリーにある気がしていて、ぶっちゃけ自分はMADも含めて旧ブロリーをあまり見ていないのですが、それはあまりに王子の扱いが悲惨過ぎて正直見ていられなかったと言うか、ヘタレた王子に喝を入れたのがピッコロさんだったのでかろうじて見ることは出来ましたが、王子とピッコロさんが逆の立場だったらマジでキツいと感じてました。と言うか、王子好きな方々はあの映画大好きなのかな…それすら自分には分かりませんが。
MADの影響も大きいと思うのですが、この作品で根付いた印象を払拭しようと変に加えられた肩入れがその後のDB全体のバランスをおかしくさせたと思ってます。

有体に言えばキャラを入れ替えても抵抗が無い程度に、どのキャラも大事にして欲しいだけなのですが、DB超SHではブルマやデンデ、神龍、場面によってはパンちゃんやクリリン、ゴテンクスやガンマ達などが一番や二番の役割で、ピッコロさんがその都度三番として拾って活躍して(決して四番としての活躍はしていないところがまた凄い…)、最後はきっちり四番の役割を担った悟飯に繋いでくれたのが大きかったなぁと。
もっと言うと他にセルマックスやヘド、マゼンタ、カーマイン、15番も、79番や幼稚園の先生に至るまで皆が役割を持っていて愛されていて作品を作り上げられていたのが本当に良かったなぁと思いますし、変にピッコロさんだけを異様に持ち上げていた作品じゃなかったからこそ、ピッコロさん好きな自分的も何か凄く安心したと言いますか。
自分がDB超SHが好きなのはピッコロさんがメインだから、というだけでなく、作品全体から制作側の愛が感じられるから、というのも大きくて、あの丁寧な作り込みはそれこそ鳥山先生の一番好きなキャラがピッコロさんだからこそだったのかなぁと思いつつ、キャラを1人1人大事にするDB作品をこれからも見たいなぁと思います。

今回DB超SHでピッコロさんのパワーアップ補正がなされたのは、多分今後の展開でピッコロさんの活躍の場を増やす為だと思いますが、
(鳥山先生的にもっとピッコロさんに活躍して欲しい願望があったような感じもしますが)
とりあえず超ブロリーの時みたく戦力外ではなく悟空と同じくらいの強さになった、という設定が付与されたようなので、次は悟空のイメージを修正する為により一層ピッコロさんというキャラが使いやすくなったのではないかなぁと。。
狂言回しにも戦力にも裏方にも先発にもなれるピッコロさんのキャラの凄さがDB超SHで証明されたので、DBのシナリオを色んな方向に膨らませられるのでは…と個人的にはワクワクしているのですが。。

イメージ的にはZソード抜いた後の老界王神交えた辺りの和やかな雰囲気になりそうな気がしますが、次の作品の主人公は別に悟空と悟飯でもいいと自分は思ってます。
ただ、悟空と王子を持ち上げる為に悟飯とピッコロさんをカマセにしないで欲しいなぁと強く願ってますし、折角ここまで丁寧に土台を作り直しているので、また悟空と王子、悟飯とピッコロさんと固定化させずに、ドラゴンボールという作品の方向性を広げていって欲しいなぁと思ってます。
自分はナメック星編で最高に健闘したのは悟空でも悟飯でもピッコロさんでもなくクリリンだと思ってるくらいですので。。

神神映画以降のDB関係の作品に思うこと

アニメDB超に少しだけ関わる話ですが、コレはハッキリ書いておこうと思った事がありまして、、
自分に子どもが出来た影響からだと思うのですが、露骨なイジメ的なものと言うか、ネットミーム(と言うのかな?)に便乗するような事をDB公式で絶対にやって欲しくないと思っています。
特に今自分が物凄く引っ掛かっているSDの1シーン…栽培マンと戦って敗れたヤムチャの死体を見て「くす…」と悟空が笑うシーンは冗談抜きに
「( ゚Д゚)は?」となりました。
原作では悟空が仇であるタンバリンに初めて「ぶっ殺してやる!」という言葉を使う程にクリリンの死に憤ってましたが、そのクリリンが「あ…あれほどの怒りをみせた悟空は…はじめてだ オ…オレたちの立入るスキがない……」と感じる程にピッコロさん、神様、天津飯、餃子、ヤムチャの死に悟空は怒りを露わにしていたハズなのですが。
あの時のヤムチャを笑って許されるのは敵方のナッパと王子だけであって
(実際に王子は原作でもSDでもヤムチャをボロクズ呼ばわりしてますが)、
悟空達は絶対に笑える立場や立ち位置として原作では描かれてないと思います。
と言うか、遅れて来た主人公が自分が到着する前に戦って死んだ仲間を見て笑うとか、普通に言ってあり得なくないですか?と自分は感じてしまうのですが、コレはアレですか、ニコニコあたりで目にする「クズロット」ネタを公式が引っ張って笑い?に繋げようとしているのでしょうか?それとも自分が知らないだけで令和の作品ではそういう主人公が増えていて称賛されているのでしょうか?
すみません、自分はまったく笑えないですし、何故そんなシーンを入れたのか本気で意味が分かりません。
SDは鳥山先生ご自身が監修をされているようなのでとても残念です。
(あのシーンを視聴してSDはDBとはまったく別物と判断したので、つべで続きを視聴するのは止めました)

ちなみに自分はヤムチャが好きとかって事は特に無くて、自分の中ではピッコロさんに服を奪われた元94番くらいの存在だったりします。
…それはちょっと言い過ぎかな、、
何気にエエ声をしている面倒見のいい先輩79番くらいかな。。
ただ、悟空は昔からの仲間であり、地球の為に奮戦したヤムチャを笑うようなキャラなのかと。今後人造人間編へとSDが続いたとして、20号に貫かれた時もまた悟空はヤムチャを蔑むのかと。
自分は今後見る気はありませんが、そうなって欲しく無いなぁと思います。

これに近いのがアニメDB超のダモン戦なのですが、ブロリーMADの影響からなのか、ニコニコでピッコロさんが「ムシケラ」と言われているのは何となく知ってますが、「ムシケラが虫にやられたw」というコメントでも期待したのかと邪推してますし、DB超SHで遠く離れた場所で鳴ったペネンコスマホの着信音をピッコロさんが聞き取っていたのは、ピッコロさんの優れた聴覚設定をガン無視した事へのテコ入れなのでは?とも感じてます。

以前ぷらいべったーに上げたDB超SHの感想でも書きましたが、実は自分がDB超SHで一番突き刺さったのは、マゼンタとヘドが完全に対立した場面で、マゼンタがヘドの最も大事な部分(映画の冒頭からハッキリと主張しているヒーローを愛する気持ち)をバカにした時にヘドが表情を歪めるシーンだったりします。
趣味も嗜好も人それぞれで好き嫌いがあったとしても、人の好きなもの、大事にしているものを敢えて蔑むなと。
個人的に物凄くメッセージを感じているのですが、これを神神映画以降、アニメDB超からSDに至るまで「ドラゴンボールらしきもの」は延々と繰り返してくれましたが、そういった自分にとって嫌な部分をDB超SHは1つずつ丁寧に払拭してくれたような気がしてます。

こう言ったことが積もり積もって、原作者自ら脚本書いて5年かけて劇場版を作り上げてテコ入れするレベルのアニメだったのかと、自分の中でアニメDB超というのはそういう印象が強くなってしまっているのです。。

ピッコロさんの価値観や姿勢が好き

更に個人的な事を書かせて頂くと、こう言うのを地雷?と言うのかよく分かりませんが、原作でピッコロさんが自分自身の心情として珍しくハッキリと言及している
「オレはサイヤ人やフリーザどもが着ていた服など着る気にはなれん」
というセリフと、ピッコロさん(ネイルさんもかな?)のその意思と価値観や考えが自分は凄く好きなので、ピッコロさんがサイヤ人の服を着ている
ファンアートは自分の中ではかなり抵抗があるなぁと最近自覚しました。
特にDB超SHで顕著に感じられましたが、効率重視のピッコロさんであれば見かけ的にももっと防御力の高い服を着ておかしくないと思うのですが、それでも断っていたということは、やはりそこにピッコロさんの確固たる意思的なものを感じると言いますか。
それとピッコロさんは、自分は一切着る気が無くても悟空や悟飯が着る事にはまったく反対してなくて、そんなピッコロさんの姿勢や考え、距離感の取り方が自分は凄く好きなのですが、だからこそ精神と時の部屋で修行を終えた後で悟飯から「ピッコロさんと同じ服が欲しい」と言われた時に喜びもあって「かっこいいやつをプレゼントしてやる」と言いながら笑みを浮かべたんだろうなぁと。
そう言った繋げ方が(偶然なのか何なのかよく分かりませんが)DBは秀逸で神懸っているので凄いなぁと思ってます。


色々と面倒臭くて、自分でも厄介だなぁと思ってますが、とりあえず今回はこんなところで。。

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