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DB超SHの悟飯について

ピッコロさんやPP軍と同じくらいの熱量で悟飯を語るとかって事は自分には正直難しいのでそこは本当に申し訳ないのと、ネットでの文章ではどれだけ気を使って書いてもほぼ100%
「そこが言いたいんじゃないんですけども」
「だからそうじゃないって」
「いやいや、だからね…」
と延々繰り返しになる事も分かり切った上で、一応自分なりにフォローをしておきます。
と言うかわざわざピッコロさんやPP軍贔屓だと謳った上で書いたアレに無理やりツッコむのではなくて、悟飯好きな方は映画を観たまま悟飯の魅力を書けばそれがDB超SHという作品の魅力を語る上で相乗効果になるんじゃないかなーと自分なんかは思ったりするのですが、前回の記事の補足に近い形で自分から見たDB超SHの悟飯について書かせて頂きます。


DB超SHの中の2つの柱と悟飯の描かれ方

前回も書きましたが、あくまで自分の目から見てDB超SHは
 「戦闘面は悟飯とピッコロさん」
 「日常を絡めた話全体の牽引はピッコロさんとパンちゃん」
が中心という形になっていて、制作側は99分に納める為にその構成を崩さないようにそれぞれの最適解を選んで、様々な点で取捨選択をしていると思います。
取捨選択の例を挙げると、パンちゃんの子どもっぽいしぐさは「取」、普段悟飯からパンちゃんを大事にしていると伺えそうな過剰な描写(自分が前回書いた例だとパンちゃんと悟飯の写真の提示など)は「捨」でしょうか。
それはあくまで映画を作る上でDB超SHの中での最大公約数的に伝わって欲しい部分の取捨選択であり、それが鳥山先生の頭の中の構想すべてではないんだろうな、というのがポイントかなと。
その中で、自分はDB超SHで描かれた部分を中心にたまに憶測を織り交ぜながら辿っているだけで、自分の憶測が合っているかは分かりませんし知りません。
ただ、描かれている事はDB超SHの中での事実だと受け取っています。

DB超SHで悟飯がパンちゃんに対して淡泊に見えるのはそう見せる必要があるからで、何故必要があるかと言えば、そうしないとピッコロさんとパンちゃんが2人で話を牽引する柱の1つの妨げになるからではと受け取ってます。
ただし「悟飯がパンちゃんを大事にしている」という当たり前過ぎる部分は当然にして必要なので、それはパンちゃんが誘拐されたと知った悟飯が家を半壊させるくらいに怒り狂うシーンでしっかりと描写されてますし、実際あのシーンの悟飯の咆哮は映画内でもMAXだったんじゃないかな…更にあのシーンで流れたサントラは「忠告」というタイトルで、獣化した状態と違って理性を持った状態の“親として”の悟飯の怒りが最大限に表現されてるのではないでしょうか。
残念ながらパンちゃん本人には伝わってないけど悟飯はパンちゃんを大事にしてるんだな(何故それをパンちゃんに分かるように見せてあげないんだろう?)、と観た人にはストレートに分かるようになっているかと。

このシーンの悟飯の雄叫びは本気でレベル違いなのでガチで音量下げます。。

で、話の展開上悟飯が怒る場面はピッコロさん(と15番)しか見てないので、この段階では「パンちゃんが抱えている不安」はまだ解消されてなくて、その後悟飯が仕事を放り出してRR軍基地まで迎えに来て1号との戦闘で覚醒していって強いところも見せてくれたことで…もっと言うとパンちゃんは多分意味も分からずピッコロさんに言われるままに半信半疑で演技をしたところパパが本気で怒って覚醒したのでパンちゃんは凄く嬉しくてピッコロさんとグータッチしたんじゃないかなーと。
つまり、アルティメット化のシーンは家を半壊させた時の怒りをパンちゃんの前でもはっきりと見せたシーンであり、強さを表現しているだけではなくて、パンちゃんが危険な目に遭ったら本気で怒ることをパンちゃんにもRR軍にも知らしめる場面にもなっているんじゃないかなーと。その流れと組み立て、それぞれのキャラが見ている視点で矛盾が無い丁寧な描写がされているのがDB超SHだと思います。

と言うか、そもそも悟飯の部屋にある標本が仮に全部パンちゃんの写真だったりしたらハナからパンちゃんの不安は無かったと思いますし、逆にそれだけ悟飯は好きな研究に没頭してるんだよ、念願叶って学者になったんだよ、でもパンちゃんを不安にさせてしまうレベルで没頭してしまってるんだよ、という描写だと自分は受け取ってます。悟飯がパンちゃんも満足するレベルで溺愛していたらそもそもDB超SHの冒頭から話が始まらなくなりますし、ピッコロさんいらなくなるのでw

そんな悟飯の姿が何だろうな…適切な言葉が浮かびませんが、令和の時代に受け入れられやすい?父親像から離れて見えてしまうのは、DB超SHでそう描かざるを得ないだけの理由があるからで、その理由として挙げられるのは「パンちゃんが寂しい思いをしている事にピッコロさんだけが気づいてる」状況を前提とさせる為なんだろうなぁと。
それは現時点では庇いようのない事実というか設定の話なので、今後DB超SHの後の悟飯が描かれた時にどう描かれるかが楽しみです。
原作でのブウ戦から10年後として描かれた話で悟飯とパンちゃんが一緒にいるシーンはありませんが、悟飯がパンちゃんを応援する時に「ほどほどにしとけよー」と声をかけていたので、悟飯はパンちゃんが修行を頑張っている事をちゃんと知っていたとも受け取れますし、何故パンちゃんが悟空と修行をしていたのか、その理由はもしかしたら強くてカッコ良くて世界を救って家を半壊させたパパを見たパンちゃんがパパの強さに憧れて修行に本腰を入れたのかも知れないなーとかって想像が浮かんだりします。


悟飯の戦闘シーン

悟飯が通常→超化→アルティメット化と段階を踏んで戦うのがダルいとかって話を見かけましたがそうでは無くて、そんなん言うたら超ブロリーはどうなるのかと。それだと最初から青いゴジータで戦えよという話になってしまう気がするのですが、そうではなくて、家を半壊させた時にあれだけ激しく怒り爆発していたのにその爆発力が1号と戦っている時に見られなかったからピッコロさんはやきもきしたんじゃないかなーという話で、前回はPP軍贔屓に書いたので省きましたが、悟飯の戦いに無駄な描写は無いと自分は思っています。
理由を挙げるなら、まず通常状態での戦闘シーンは、激しく振り回されながらもメガネが手放せないレベルで視力が悪いという印象を残す為なんだろうなぁと。これが後々仙豆を落としてしまう理由になっていたり、悟天とトランクスを見間違えたり、後に出て来るシーンと色々絡む設定になっていると。
これは想像ですが、そこまで目を悪くするほど研究に没頭していた(=パンちゃんが満足するレベルで構ってあげられなかった)という事を匂わせて補完もしているのかなと。
で、超化した時に視力が戻ってメガネを外して放るしぐさがありますが、自分はめっちゃカッコいいと思いました。

つーかカッコいいから絶対に外せないなぁと思って318祭りMADでもしっかりメガネ外すシーンを入れてたりしますw

余談ですが、この戦闘や流れの組み立ては何気に鳥山先生の「無駄のない」戦闘描写そのものだなぁと思っていて、自分が真っ先に思い出したのは自分的ベストバウトの第23回天下一武道会の悟空vsマジュニア戦だったりします。
ピッコロさんの追跡弾を悟空がギリギリで避けてピッコロさん自身が喰らってしまうシーンがありますが、鳥山先生が見せたかったのは多分その次のピッコロさんが腕を自分でちぎり捨てて新しい腕を生やす部分だと自分は思っていて、そのシーンを見せる為に単に悟空が攻撃してピッコロさんの腕を痛めるのではなく、悟空のセンスを光らせる描写を前に持ってくる、という見せ方をさせているんですよね。
ピッコロさんが自分で腕をちぎって新しい腕を生やすシーンは、大魔王戦で手足を痛めつけられてピンチに陥った悟空と対照になっていて、腕1本やられたくらいではピッコロさんは倒せないんだぞ、と見せつけるシーンでもあるんじゃないかな、と。
しかもこの腕生やせる設定はDB超SHでも使われる、戦士型ナメック星人の主な特徴の1つにまでなっているという。。
悟空の攻撃を単に喰らって痛めてしまうのではなく、クリリンvsマジュニア戦でクリリンが最初に披露した追跡弾をピッコロさんは目からの光線で防ぎましたが、悟空ならどうやって回避するのか、同じ手段は使わないだろうという中で、ギリギリまで近づいてピッコロさんに当てるというセンスを見せつけたと。
この悟空とピッコロさんどちらも下げずに見せたいシーンを引き立てる見せ方って凄いなぁと思うのですが、これに近い感じで通常状態の戦闘は「悟飯の目の悪さ」を印象付ける為に描かれてるんだろうなぁと。

更に超化しても1号に敵わないのはガンマ達の性能の凄さを見せつける為に絶対に欠かせない戦闘であり、一筋縄ではいかないガンマとそれを作り上げたヘドの才能の凄さの確認、更にまだ2号が控えているという今後の戦闘への期待感を高める為に必要なシーンになっていると思います。
で、この後に悟飯はアルティメット化してガンマ1号を圧倒しますが、ここに至るまでにこうした段階を踏んでいるからこそ、悟飯も戦いの勘を取り戻していったという見せ方に繋がっているんじゃないかなと。
補足すると、朝ピッコロさんに重いマントを装備させられていた事も勘を取り戻す手伝いをしていたなら尚良し、順番的にも道着着ていて良かったねwと。
これは超ブロリーのようにお互いに際限なく戦闘力を上げていく戦闘と違って、1つ1つの戦いが意味と狙いと見せ方を重ねている必要不可欠なシーンでもあるので、ダルいと感じた人はむしろそんなにいなかったのでは…?と思います。

自分は前回「ピッコロさん視点で」やきもきした、という事と、視聴者もアルティメットを知ってるのでいつ変身するのか、パンちゃん助けに来たのに何で一気に畳まないのか、という事は確かに書きましたが、それがイコール ダルい描写だとは全然思ってなくて、作品の流れとして見せたい部分は丁寧過ぎるほどきっちりと描かれていたと受け取ってますし、むしろ悟飯が基地に到着してセルマックス起動まで13分かかってないので、逆に展開が早過ぎるということをDB超SH実況でついーとしてますw

円盤見ながら実況した時のついーとです


時系列やセリフetc.から自分が認識してること

あとは何だろうなー…DB超SHの描写で読み取れる時系列としては

DB超SHの舞台の当日までの数日間の動き

こんな感じでしょうか。
トレは朝活と保育園後のトレーニングの略で、これ以外にももしFの設定が続いているなら夕食も皆一緒かも知れませんが、ビーデルが「(悟飯は)何日も部屋にこもっている」と言っているのでここ最近は?ピッコロさんとは一緒に夕食を食べていないのかも知れませんし、描写やセリフで夕食に関するものはDB超SHの中にはありません。
それとは別に、ペネンコの数だけ悟飯とビーデルがピッコロさんに何か「お願い」をした可能性が高いという感じでしょうか…パンちゃんから貰ってピッコロさんが気を使って喜んでみせた、という鳥山先生のコメントがあるのであくまで“可能性が高い”のであって、ペネンコの数全部=お願いの回数 とは言い切れないと思います。それと円盤付属のブックレットによるとエンドロールで出て来たピッコロさんの家の2階にあるペネンコの山はギリギリのギリで決まったイラストの1つだそうなので、鳥山先生の構想なのかどうかは定かではありません。

で、映画で舞台となっている当日(ビーデルの大会があった日)のパンちゃんとピッコロさんの朝活後の時系列に関して、セリフとその後の流れをそのまま受け取るなら、

①朝活を終えたパンちゃんはビーデルと一緒に幼稚園へ。
②幼稚園に送ってパンちゃんと別れた後で大会があって迎えに行けない事にビーデルが気が付いた。
③ビーデルがピッコロさんにパンちゃんのお迎えを電話でお願いする。
④ピッコロさんが承諾してくれたことをビーデルから悟飯に連絡した。ただし幼稚園に連絡はしてない。
⑤ピッコロさんが一言物申しに悟飯の家に行った。

映画内では③と⑤しか描かれておらず、他はビーデルと悟飯のセリフからこんな感じの流れなんじゃないかなーという推測です。
④は先生からパンちゃんへの「ママ、もうすぐ来ると思うよ」と言うセリフがあるので、幼稚園にはピッコロさんが迎えに行くことを連絡してない=パンちゃんはビーデルが来ると思っていたのかなと。
「あれ?ピッコロさん?」というのはビーデルではなくピッコロさんが迎えに来たことと、そのピッコロさんが変装していたこと、2つの驚きの意味で取れそうな気がします。
上の時系列と当日の時系列を見て、少なくともビーデルのセリフからもDB超SHの舞台の数日前から悟飯がレポート作りで忙しい時期に入っているようですが、365日毎日忙しいという描写はありません。365日全部かどうかは分からない、という状態ですね。

これは前回も書きましたが、基本的に幼稚園にパンちゃんを送迎しているのはビーデルがメインで、悟飯とビーデルがどちらも迎えに行けない時はピッコロさんが迎えに行っている、という状態だと思ってます。
これはビーデルとピッコロさんの会話を思い返しても、ピッコロさんはまず「悟飯はどうした?」と聞いているので、ビーデルが行けない時は基本悟飯が行ってるのかなと。
もしくは、ビーデルと悟飯が交代で行っているのかは不明ですが、悟飯もたまには送迎しているのかなと。ただし、その後の「あのバカ、またか」というピッコロさんのセリフとペネンコの数からするとピッコロさんが迎えに行く頻度はかなり高めなのかな、と思わせられます。「思わせられる」としか言えないのは、ペネンコが何のお礼なのかが分からないのと、大きさもまちまちなところからパンちゃんの送り迎え以外のお礼が含まれているかも知れないからです。
すべては描写から浮かぶ想像です。
まぁ悟飯が迎えに行く頻度は低くはなかったとしても、ピッコロさんが⑤の行動を起こしていることと、エンドロールのペネンコが鳥山先生の構想ともし重なっているのだとしたら高くもなさそうかな、と。
これだけDB超SHの中で描写がされている中で、“悟飯が子育てに積極的かどうか”という受け取り方に関しては、もはや視聴者それぞれの尺度と感覚、経験やイメージに委ねられているんじゃないかなーと自分は思ってます。
例えば週1回でも迎えに行けば立派な育児参加だ、と言う人もいれば、そんなのでは全然足りん!と言う人もいると思うので。。


結び

…とまぁ、自分は映画で描かれている場面やセリフからこんな感じで受け取っているだけで、むしろこれ以上の想像が出来ないというか。
想像力豊かな方々は更に色々想像を膨らませたり、描かれてない部分に自分の願望やイメージを込めたりして本にしたりマンガにしたり呟いたりしていると思うのですが違うんですかね?
つーかスミマセン、書かないと伝わらないと言うのも分かりますが、ナチュラルボーン面倒臭がりの自分はこんな感じでしか書けませんし、一応このくらいまでは自分の中でかみ砕いて見た上で「DB超SH最高!!」と言ってるのでもう勘弁してください。
悟飯にそこまで関心のない自分などにわざわざツッコむのではなく、悟飯好きな方には悟飯好きな方から見たDB超SHで描かれている悟飯の魅力をいっぱい語って欲しいなぁと思います。

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