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相模国準八十八か所 その4 旧藤沢宿と白旗神社

江戸時代の文政2年から4年、鵠沼村(現藤沢市鵠沼海岸)の浅場太郎右衛門親子が発起して、四国八十八か所に倣い横浜市(1か所)、鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町に弘法大師像を設置し巡礼地としました

インターネットで調べてみると、2009年に「鵠沼を語る会」の皆さんが詳細に調査した記録(以下「調査記録」)が見つかりました。四国の八十八か所巡りは遠くて行くのがなかなか大変ですが、神奈川県内にあるこの八十八か所ならばと、私もこの調査記録を参考に訪ねてみることにしました。

noteに掲載する第4回目は、一遍上人が開いた時宗総本山、遊行寺(清浄光寺)や、義経伝説の残る白幡神社などがある、東海道五十三次6番目の宿場、旧藤沢宿周辺にある2つの寺院を訪問しました。2021年5月

このnoteを書いている人:
おやちょう
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。

■藤沢駅を起点に遊行通りを行く

JR東海道線藤沢駅北口に出たら、駅前広場からビックカメラの隣りの道に進みます。ここは遊行通り。「この通りは、正中ニ年(1325年)遊行寺が開山されるや、参拝の庶民がその足で江の島、鎌倉へ詣でる唯一の街道として大変な賑わいを見せていた」と、現地の案内板に書いてありました。

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信号のある交差点を渡り暫く進むと右側に庚申堂があります。敷地内には庚申供養塔などの石像類もありまが、「藤沢市ふじさわ宿交流館」のホームページによると、明治時代には小説家のラフカディオ・ハーンもここを訪れたとのこと。堂内にある「青面金剛像」は60年に一度ご開帳されるそうです(次回は2040年)。

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この庚申堂の先で県道に突き当ります。交差点には「江の島道・江の島弁財天道標」と書かれた案内板と、江の島弁財天道標があり、ここを左に曲がって進みます。

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県道沿いの電気設備には、浮世絵の意匠が施されています。

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県道沿いのマンション入り口に、「あんこ屋 営業中」と書かれたのぼりと「あんこ」と書かれたメニューが目に入りました。

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このマンション1階の奥まったところにあるのが平野製餡所。「父が餡を練り、娘が案を練る」などというキャッチフレーズで時々地域の情報紙で話題に上るお店です。

こどもの日も近いとあって、自宅で作れる自作柏餅キットが気になりましたが、今回は買わずに先に進むことにしました。

やがて藤沢橋に到着します。江戸時代、ここは東海道、鎌倉道、江の島道が交わる交通の要所。現在でも渋滞の名所として、ラジオの交通情報でよく耳にするところです。

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浮世絵の東海道五十三次に描かれているのもこの藤沢橋近くの赤い遊行橋。かつての高札場もこの付近にありました。

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遊行橋を渡って少し進んだところに、藤沢市ふじさわ宿交流館があるので立ち寄ることにします。内部には、藤沢宿の模型や藤沢宿の歴史などについて学べる展示やビデオ映像などがあります。

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ふじさわ宿交流館のすぐ近くに、時宗総本山、遊行寺(清浄光寺)の入り口があります。今回はここには立ち寄らずに先に進みます。

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■藤沢宿のお寺で弘法大師像にご対面

旧東海道に当たる県道を西に進みます。「紙」と書かれた黒漆喰の建物は、紙問屋を営んでいた桔梗屋の建物です。本社は横浜に移転しましたが、現在も支店として営業しているとのこと。黒漆喰の建物がいかにも時代を感じさせます(桔梗屋の写真の下にある写真は問屋場跡の案内板)。

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常光寺に入ります。まず目についたのは、山門左手にある「記念碑」。明治5年にこの地に「ら卒屯所」が置かれ、現在の藤沢警察署の元になったもので、藤沢警察署100周年を記念して造られた記念碑とのことです。

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境内に入るとまず目に入るのは2基の庚申供養塔、1600年代中期のものとのことです。

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その先にはカタツムリとカメの謎の石像がありますが、これは一体何の意味があるのでしょうか。

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墓地に目をやるとひときわ立派な木がそびえ立っています。この木は「常光寺のカヤ」として、神奈川の名木100選に指定されています。

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常光寺入り口前には、国の登録有形文化財に指定されている蔵を改造して造られたパン屋さん「関次商店 パンの蔵 風土」があります。

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新型コロナウイルス感染症対策のために入店規制がされており入店待ちの人がいたので、ちょっと中を覗いただけにとどめました。内部には小上がりやテーブル席もあり、ちょっとしたカフェとして楽しむこともできるようです。

続いて荘厳寺にやってきました。このお寺は山門などがなく、県道から路地に入るとそのままお寺の境内になっていました。

本堂向かって左側に小さなお堂があり、ここに第4番と第10番の弘法大師像が仲良く収まっています。

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荘厳寺を出て伊勢山橋と名前の付いた小田急線の線路に架かる橋を渡ると、すぐ左手に真源寺があります。

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真源寺の階段を上ると左手に小さなお堂があります。こちらも先ほどの荘厳寺と同じく一つのお堂に二つの弘法大師像が鎮座しています。68番と85番の像とのことですが、左右どちらが何番なのかは不明です。

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■義経ゆかりの神社 白旗神社

真源寺を出たら、来た道を戻ります。藤沢市民病院に向かう交差点を左に進むと、間もなく正面に白旗神社があります。

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この神社はもともと寒川神社の祭神である寒川比古命をお祭りし、同じく寒川神社と呼ばれていました

奥州平泉で討たれ、鎌倉で首実検された義経の首は、夜の間に白旗川を上り、この地にたどり着いたとされています。

これを聞いた源頼朝は、源氏の旗が白旗だったことから、白旗明神としてこの神社に祭ることを指示し、のちに白旗神社と呼ばれるようになったとのことです。

入り口の鳥居をくぐると、右手に義経と弁慶の像があります。階段を登った先にある社殿は意外と小振りです。

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お参りを済ませたら、階段を降りて広場に進みませす。ここには義経藤と辨慶藤の二つのフジがあります。辨慶藤は既に盛りを過ぎていましたが、社務所前の義経藤はまさに今が盛りでした。

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白旗神社を出て南に進み交差点を左に進み、信用金庫とマンションの間の道を入ったところに、伝義経首洗い井戸があります。白旗川を遡って白旗神社付近に流れ着いた義経の首は、この井戸で洗われた言い伝えられています。

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■最後に

藤沢宿の見どころも、残りあとわずかとなりました。現在は藤沢公民館となっている藤沢御殿跡には行かず、藤沢市民病院前の藤沢御殿の堀跡で写真を撮り、帰路につきます。

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今回訪ねた藤沢橋を中心とした旧藤沢宿地域は、藤沢駅からもほど近く、今なお江戸時代の宿場の雰囲気を感じることができるところです。旧東海道の旅を手軽に楽しみたいと思ったら、旧藤沢宿地域にお出掛けしてはいかがでしょうか。

訪問済みの番所
前回まで:1番、12番、17番、20番、23番、29番、35番、40番、43番、50番、55番、58番、60番、63番、74番
今回追加:4番、10番。68番、85番
「鵠沼を語る会」による調査記録↓(PDF)

http://kugenuma.sakura.ne.jp/sagami88.pdf




ありがとうございます!ホッピーを買おうと思います。