逃げ場の無いトンネル内で救急車に煽り散らされた話


流石にもう時効だろうから、大っぴらに書いてしまっても問題あるまい。

これは私が会社員となって2年目のある日、大絶賛緊急走行中の救急車から、逃げ場も無い田舎の一本道でハチャメチャに煽り散らされた時の体験談である。


秋の終わりの晴れた日だった。

午前10時頃だったか。
私は田舎町の片隅にある某客先を訪問すべく、一人で社用車の軽バンを走らせていた。


地方にありがちな片側一車線の寂れた国道だった。最寄りのコンビニが10㎞先という、まあ、そこそこのレベルの田舎道である。

平日の朝、交通量は多からず少なからず。
私も周りに合わせて車を転がしながら、窓外を眺めては(紅葉のシーズンだなぁ)などと呑気に余所事を考えていた。

途中、長距離に渡って断続的にトンネルが延びるエリアがある。
手前からでも楽に出口を見通せるような短いものが幾つか並んだ先に、全長2km程度だろうか、やや長距離のトンネルが控えていたと記憶している。

初めに(あれ?)と思ったのは、最初の短いトンネルの手前だった。

ほんの一瞬だが、何かのサイレンのような音が聞こえた気がした。
とは言えそれは音の「切れ端」とでも言うべき微かなもので、直ちに緊急車両だと判断はつかなかった。近距離ですれ違う大型トラックの派手な走行音にたちまち掻き消されて聞こえなくなり、つい気の所為かと思ってしまった。


今考えると、あの時もっと自分の耳に自信を持つべきだったのだ。


勘違いかな…と思いつつ最初のトンネルを通過した途端、明らかに聞き覚えのある警報音が突然、はっきりと輪郭を持って飛び込んできた。

救急車か! と思った次の瞬間には、いつの間にか横道から合流してきた白い車体がバックミラーに小さく映り込んでいた。
後方およそ100mの距離から、他の後続車は挟まずにこちらへ向かってきている。

気の所為じゃなかったか。

鉢合わせしてしまったものは仕方が無い。適当に脇へ避けて進路を譲ろう。
…と言ってもこの田舎道の狭さだ。カーブとトンネル続きで見通しが悪い上、対向車も結構な速度でバンバン来ている。ついでに走行車線の真横は深い溝で、路肩に寄ろうにもスペースが無い。
こんな場所で自分一人が停まってみたところで、却って邪魔になるばかりだろうと思われた。

幸いまだ距離はあるのだし、もう少し避ける余裕がある所へ…… と、何気無くバックミラーを再度見てぎょっとした。


既に車間距離が50mを切っている。

えっ速くね?????


いやいやお前3秒前はもっとずっと後ろにいたじゃん、と、思わず二度見した。

勿論、緊急走行中の車両が、律儀に法定速度なんぞ遵守していよう筈もないのは分かっている。
ただそれにしても距離の詰め方がちょっと想定外にえぐかった。

片田舎の一本道、信号機もほとんど無いような場所柄だ。
前を行くこちらにしても決してチンタラ走っていた訳ではなく、寧ろ一般道にしてはそこそこの(婉曲表現)スピードに乗っている。
それにこれ程あっさり追いついてくるあたり、どう考えても並大抵の速度ではない。

最早こいつ私の車の存在を認識すらしていないのでは?? とドン引きするくらいの爆速で追い上げられ、ものの数秒でサイレンの大音量が真後ろに迫った。車体の上部で回る赤色灯の光が、社用車のミラーというミラーにぎらぎら映って焦燥感を煽ってくる。

あっという間に車間距離は20mを切っていた。


いやメチャメチャ詰めるやん。

そこで救急車側から「通ります」「停まって下さい」「道を空けて下さい」と、アナウンスの一つもあればまだ良かった。
停まらせてくれる意思さえ確認できれば喜んで道を譲りたかった。が、実際には不気味なほど無言で黙々と詰め寄られ続けた。

山がちな場所で急カーブも多い道だったが、速度計を見ると軽く70km/hを超えていた。勿論ただの一般道なので、言わずもがな普通に速度超過である。
そこからほんの僅かでもスピードを緩めようものなら、即座に追突ギリギリまで詰めてこられる。
こちらが衝突を予期して思わず身構えるほどの距離感で、しかし一切の躊躇も遠慮も無く、延々と真後ろにビタ付けだった。

終始徹底して不自然なほど無言のまま、
細い山道をオーバー70km/hで、だ。


何かもう普通に怖かった。

一旦はその“圧”に押され、反射的に左ウインカーを出してもみた。
とは言え白線の外はすぐ溝である。脱輪せず安全に避けられるスペースなど、どう広く見積もってもタイヤ一つ分くらいしか無い。

ちょっと狭すぎるようだが仕方無い、とりあえず少々強引にでも停まってみるか? と、ほんの一瞬アクセルを踏む右足を浮かした途端、ノーブレーキで真っ直ぐ突っ込んでこられるのが気配とバックミラーからはっきり分かった。

対向車線が空いていればまだ良い。しかしトンネルの奥から間断なく吐き出されては走り去ってゆく車列が途切れそうな気配など、生憎と全く無かった。
今この状況で自分が下手に停まったらどうなるか。想像すると血の気が引いた。

無意識に「いや無理だ」と口に出していた。
ウインカーは2点滅半で戻すしかなかった。


停まれないし減速もできない。
だからと言って加速しようにも、前方には先行車両がいる。アクセルを踏み込めば普通に追突事故だ。


繰り返しになるが、片側一車線の田舎道である。

道幅に余裕など無く、対向車との距離はごく近いし、車線のすぐ外側は深い溝で、その先は崖だ。


一体どうしろと言うのだ、という感じだった。

そうこうしているうちに、目の前には次の、それも一番長いトンネルが、半月形の入口を黒々と開けて控えていた。
避けたいし逃げたいのに逃げ場など無く、内心ちょっと半泣きでトンネル内へ進入した。


入った瞬間から地獄だった。

トンネルというのは言わずもがな、外界から隔絶され、上下左右を隙間無くコンクリートで覆われた半密閉空間である。


サイレンの音も、警告ランプの真っ赤な光も、それはそれはもう非常によく反響した。


何が酷いって、殆どゼロ距離の真後ろから放たれるサイレンの大音声だ。  地獄だった。

ただでさえ喧しい警告音が、狭いトンネル内で反響する。そのエコーが再び壁や路面に当たり、四方八方に跳ね返され、生まれた残響がまた新たな残響を複製する。
大元のサイレン自体が鳴り止まないので、悪夢のような相乗効果は際限無く続いた。凄まじい反響音が何重にも増幅されていく。
暴力的な轟音が、鼓膜を突き抜けて脳髄に直撃する感覚だった。最早「うるさい」とかいうレベルではない。殆ど精神攻撃の域だ。
皮膚がビリビリと痺れ、心拍数が狂う。


音も酷けりゃ光の反射も大概である。
回転灯の赤ランプが全方位に拡散し、ぐるぐると縦横にうねりながら視界全体を赤一面に染め上げていた。同じ社用車で毎週のように通い、散々見慣れた筈のトンネル内が異空間のように思えた。
真っ赤な警告色に覆われた空間で、すれ違いざまの一瞬、対向車線の見知らぬトラックドライバーから向けられた深い同情の眼差しを未だに覚えている。


言わずもがな、トンネル内には一定間隔ごとに待避所が設けられている。
しかしその数にも収容能力にも限りがある。
それに何より、当然の事ながら、空きを見つけた順に先行車両から入っていくのが自明の理だ。私より前を走る車たちが順番に、一箇所に一台ずつ避けていき、こちらが行き着く時には全ての待避所がことごとく先客で埋まっていた。

相変わらずの片側一車線、白線のすぐ外側は乗り上げ不可能な高い段差、途切れる気配の無い対向車、頼みの綱の待避所は無慈悲にも全く空いていない。

それほど完膚なきまでに逃げ場の無いトンネル内で、しかし後続の救急車は相変わらず大音声のサイレンを至近距離で撒き散らしながら、そして「停まって下さい」のアナウンス一つも無く、フルスピードでバチバチに距離を詰めてきていた。



ド直球の煽り運転だった。
普通に身の危険を感じた。


一瞬でも気を抜けば事故る。



鳴り止まない音の洪水と異常な緊張感の中、一瞥したスピードメーターは87km/hを指していた。

そのトンネル内の制限速度は40km/hだったか50km/hだったか、いずれにせよ、本来なら余裕で一発免停クラスの速度超過である。
とてもじゃないが、きついカーブの連続するトンネル内で出していいスピードではない。
はずなのに、後ろの運転手は何食わぬ顔で黙々と車間を詰めてくる。近づきすぎて、最早こちらのバックミラーには救急車のフロントガラスしか映っていなかった。

そんなに迫ってこんでも分かっとるわ!!!


と、さしもの温厚な私も内心でキレた。
声に出す余裕まではちょっと無かったが。

あんたが急ぐのは分かる。きっとこの道の先に一刻を争う要救護者がいるのだろう。こっちとしても可及的速やかに道を空けたい気持ちは山々なのだ。何なら今この瞬間、世界中で他の誰より強く「さっさと先へ行ってくれ」と願っているのは間違いなく私だ。しかし物理的に避けようがないものは仕方が無いではないか。それを分かっていて何故こうも徹底的に煽り倒してくるのだ。ちょっと減速して停まらせてくれる気も無いようだし、こんなド田舎の狭くて長いトンネル内で、あんたら要救助者をもう一人増やしたいのか?????

半ギレ半泣きで逃げる私は額に脂汗を浮かべながら、追突されまいと必死にアクセルをベタ踏みしていた。
救急車として使用されるマシンの馬力がどれほどのものか存じ上げないが、荷台のみならず助手席にまで荷物を満載した軽四のエンジンのヘボさを舐めないでいただきたい。
ブオオオオ、と、貧弱な動力部が可哀想なくらい必死で唸っていた。


ハンドルを握る手が嫌な汗に濡れて冷たい。
普段は気にもならない走行距離が永遠に感じられた。

実際にはものの数分程度の出来事だった筈だが、もうかれこれ30分以上こうして煽られ続けているんじゃないか、と軽く錯乱しかけた時、ようやく暗い進路の先に半円形に日光が差した。

冗談じゃなく救いの光だと思った。

トンネルを抜けると一気に空間が開ける。
走行車線の左側に、大型バスさえ停まれるほどの広い空き地があるのだ。
出口よりもかなり手前から左ウインカーを出し、既に限界ぎりぎりのアクセルを駄目押しで踏み込み、トンネルを飛び出すと同時にハザードを焚きながらその空き地へ滑り込んだ。

積載量の割にスピードが出過ぎている。
助手席の段ボールを取り敢えず左腕で庇い、手が届かない背後の荷物群に関しては心中で無事を祈りつつ、思い切りブレーキをかけた。

路面に派手な摩擦音を立てながら私の車が横へ退いた途端、救急車は「待ってました」とばかりに嬉々として加速し、ここはサーキット場か何かか?? と錯覚するほど凄まじいスピードで前方へ走り去っていった。

暫くの間、まるで陸上競技の百メートルを全力疾走でもした直後かのように心臓がバクバク言っていた。
呼吸を整えて焚きっぱなしのハザードを切り、荷物の無事を確かめてから再び走り始めるまで、たっぷり5分はかかったように思う。


あの救急車がその後どこへ向かったのか、向かった先で誰かの命を救ったのかどうか、私は知らない。
知らないが、あの時の名も知らぬ運転手が今後一生、口にするシシトウというシシトウが全部ハチャメチャに辛いやつで、アサリというアサリの一個一個にもれなく砂が入っている呪いにかかりますように、とは今でもずっと願い続けている。


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