高度に発達したインターネット文明は斯くも無力か


「よく道を聞かれる人」というカテゴリがあるとすれば、私は恐らくそこに分類される方の人間だと思う。

何かと人違いをされるほど平凡な容姿の為か、それとも、方向感覚や距離感覚には不自由しない性質が外見にまで滲み出ているのか。
自分ではよく分からないが、昔から兎角に道を尋ねられる。

住み慣れた場所や故郷の地ならまだしも、初めて訪れた土地勘も何も無い旅先でさえ「すみません」と声を掛けられた事が一度や二度の話ではないくらいだ。
連日連夜せっせと立ち働いて馴染み切った街での仕事中ともなると尚更である。
夜の繁華街に不似合いなローテンション(勤務中なので)、黒無地のシャツとブラックジーンズに白黒スニーカーという軽装(少々汚れようが裂けようが大丈夫な仕事着)、おまけに作業用グローブを着けた両手には伝票類と荷物。全身から「この界隈に棲息している人」オーラを放っている自覚くらいはある。
(外出非推奨期間の今でこそ随分減ったが、)普段あまり外で飲み慣れない人々までもが街へ繰り出す師走の繁忙期など、数日に一度は見知らぬ通行人から道を尋ねられるのが常であった。

それはまあ良いとしよう。

私とて、仕事中や観光中に数秒そこら呼び止められただけで苛立つほど狭量な人間ではない。それどころか至って親切かつ寛大な紳士である。
いつでも道くらい尋ねてくれればよろしい。

ただ一つ、どうしても納得しかねる点がある。

「このお店どこですか」と尋ねてくる人の実に9割近くがその手にスマホを携え、しかも、ご丁寧に位置情報付きで地図アプリを起動させている事だ。

あんたのその手に持っているモノは何だと問いたい。

いや勿論、これはただ反射的にそう“思う”だけだ。決して顔にも口にも一切出さない。私は紳士なので。

かかる魂の叫びは胸中に封印しつつ「どちらのお店でしょう」と柔和かつ友好的な微笑を浮かべ、そのスマートフォンを謹んで拝見させて頂くのみである。

薄い板状の本体にIT技術の粋が詰まった有能なる情報端末、果たしてその画面上では、道案内アプリが起動され、目的地を指す赤いピンのマークが文句無しの正確さで地図上に表示されている。
のみならず現在位置まで補足済みだ。
私は必要性を感じないので殆ど使った試しが無いのだが、最近の位置情報サービスというやつは実に精密である。
スマホの持ち主たる迷子の御仁の現在位置、すなわち彼/彼女から絶賛道を尋ねられ中の私と二人して立っているその場所が、リアルタイムにGPSで補足され、寸分の狂いもなく同じ地図上に表示されている。
更にはその現在位置と目的地、2点間を最短経路で結ぶ移動ルートまでもが、他に読み違えようのない明快な青い直線でばっちり示されているときた。

一点の曇りもない模範解答。
完膚なきまでのQ.E.D.である。

あんたは一体それ以上の何を求めているのだ。

折角、時代の最先端をいく文明の利器が導き出した完璧なケースクローズを手中にしておきながら、そこから何をどうとち狂って「そこら辺の人に訊く」という限りなくアナログな手法に立ち返ってしまったのか。

全くもって意味が分からない。

そんな100点満点の解答を見せられて「どこですか」と訊かれても、その画面に表示されている通りだ。「この青い線に沿って進んで下さい」としか答えようがない。
それ以上の情報を要求されても困るのだが、あれか?「この店は海鮮が美味いですよ」とでも言えば良いのか?
と言うか、あんたは自宅ないし駅やバス停からここまでずっと、その青い線に従って歩いて来たんじゃないのか。それが何故、目的の店まで残り僅か6メートルという所で突然全てを見失ってしまったんだ。些か情緒不安定が過ぎやしないか。

俄には信じ難い話かも知れないが「上には上がいる」とはよく言ったもので、更に酷い時は「どこですか」と訊かれて「ここですね」と返すケースすらある。
要するにもう着いているのだ。
頼むから落ち着いてくれ。最早「方向音痴」云々の問題ではない。自力でしっかり到着しておいて道案内も何も、という話である。
地図アプリに従って進んで、目的地に着いたのなら看板くらい見れば良かろう。
スマホ越しに足元ばかり見ていても、公共の道路上にさながらマンホールの如く出入口を設えている店はそう滅多にあるまい。ちょっと顔を上げて、路面ではなく建物の方を見てみるが宜しい。大概そこには“看板”と呼ばれる、店の名前がくっきり印字された親切な便利グッズが鎮座ましましているものだ。それを視認して扉を開けるという事くらい、一々誰に教わらずとも普通に自力でやれないものであろうか。

正直ちょっと理解に苦しむ。

※一応念の為に明言しておくが、私は決して「口実は何でも良いから話しかけたい」などと思われるほど容姿端麗な人間ではない。実際、私に道を聞いてくる人々は性別も年齢もまちまちである

そんな風に無数の疑念がコンマ数秒間に脳内を去来して止まないが、かかる心中の罵言は当然おくびにも出さず(再三申し上げている通り私は紳士なので)、にこやかに「ああそれなら」と笑って「真っ直ぐ行って信号の手前右側ですね」だとか「この目の前の建物ですよ」などと、スマホ画面上の情報をそっくりそのまま読み上げて差し上げる訳だ。

ちょっと自分でも悲しくなるくらい目新しい情報など皆無なのだが、それでも皆様「ありがとう! 助かりました」と大層晴れやかな顔で去って行かれるのが不思議でならない。
本当に何故か満足気なのだ。私はお手元の地図アプリと全く同じ事しか言っていないにもかかわらず。

最先端テクノロジーの敗北を感じる瞬間である。

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