駅前繁華街、転職3年目の雑感


JR岡山駅前。夕方から深夜にかけての繁華街が私の主な仕事場である。

高校卒業と同時に岡山へ移り住み、大学を出て会社員となった。いわゆる新卒としての就職先へしばらく勤めた後、転職と転居を志し、その会社を辞めて新たに就いたのが現職である。
夜の街に暮らすようになって2年が経つ。

2年前の春、転職直後で不慣れな仕事にあたふたしながら繁忙期の歓楽街を右往左往していた私は今、ネオンの消えかけた街が着実に死んでゆく様を只々どうしようもなく眺めている。


かつて週末や連休ともなると大勢の人で溢れ、所狭しと並ぶ種々雑多な飲み屋の看板たちが煌々と夜を照らしていた、そんな盛り場の光景は今や見る影も無い。
短期間で大多数の店がシャッターを閉め切った。店々の明かりが消え、最も駅に近い目抜き通りでさえ人影はまばらで、さながらゴーストタウンの如く静まり返っている。
閑散とした飲み屋街ほど見ていて虚しいものはない。よく見知った街だけに、成す術の無さがやるせないばかりだ。


ただまあ、身も蓋も無い事を言ってしまえば、だからと言って特別どうという事は無い。今までもこれからも、何が起ころうが起こるまいが、どんな状況下であれ結局は同じ事だ。と、私は思っている。

単純な話である。一会社員としてやれるだけの事しか出来ないが、毎月頂戴している給料分だけ、やれる限りの事はやるのだ。


自己紹介:一介の勤め人(在宅勤務不可能型)

本人としては至って普通の会社員を自負しているものの、周囲からは「サラリーマンにしては勤務形態が謎」との指摘を受けがちなので、一応簡単に前置きをしておく。

我が勤務先は〈朝/昼/夜〉の緩い三部制で回っている。朝と昼、昼と夜の枠がそれぞれ数時間ずつ重なり合うような格好だ。完全な24時間営業ではなく、深夜の数時間のみ完全に休止する。
破滅的な夜型人間の私は、このうち〈夜の部〉にフルタイムで勤めている。アルバイトも複数人稼働する、一日で最も大所帯の時間枠だ。

シフト制で週休2日の週5日勤務。
正月を除き、年中無休で営業している弊社には定休日や祝休日の概念など無い。よって冠婚葬祭など余程の事情が無い限り、週末は必ず出勤である。私は基本的に平日休みだ。日曜休みも取れなくはないのだが、私には家族もないし、自分の休日に何処へ行っても混んでいたり、逆に役所や業者が閉まっていたりするのが嫌いなので、今の所は全面的に同僚らに譲っている。


業務内容は BtoB/BtoC を問わず、末端の現場からオンラインサービスまで。メイン事業以外にも何かと色々手広くやっている会社ゆえ一言で説明するのが難しいが、おおよそ「卸・小売」「物流・配送」「接客・販売」あたりの仕事と思って頂いて差し支え無い。

要するに生活必需サービス関連の現場屋である。世の中で最も「常に動いていなければならない」仕事の一つだ。

どれだけ優秀な発案者がいて、生産者やエンジニアが素晴らしい商品を生み出し、種々の仲介業者が活躍し、完璧な流通フローが構築されていたとして、最終的に直接「顧客の元へ届ける」という工程が完了しない事には折角の過程も意味を成さない。
そしてこの「顧客へ届ける」という最終プロセスは往々にして、あくまで「実地で」「人と会い」「手ずから物品を扱って」初めて成立するものだ。遠隔では賄えないアナログな現場仕事、要するに我々の仕事である。


日常と非日常、個人的所感

そんな訳で、我々はいかなる状況下でも普通に出勤する。
雨が降ろうが槍が降ろうが、だ。
「平日」と「土日祝」の概念が無いのと同様、
「平常時」と「災害時」の区別も存在しない。

記録的な集中豪雨の時も、それで取引業者の工場が流された時も、災害級の酷暑の中、あるいは大型台風の接近で暴風警報が発令される中でも、自身の出勤日には通常通りに出勤する。

いかなる非常時であれ例外は無い。

感染症が流行したところで同じ事である。
いや寧ろ、気象災害に比べたら、まだ「感染せずに無事でいられる可能性」が残されているだけ多少マシな方かも知れない。

これが豪雨や台風だと、どう頑張っても逃れる事など物理的に120%不可能なのだ。
事務所から、あるいは社用車から一歩出た瞬間、頭から爪先まで全身くまなくずぶ濡れになる。完全防水の合羽を装備してみても、動いているうちに暴風で煽られ、隙間という隙間から雨水は侵入してくるものだ。似たような仕事をしている人には分かってもらえると思うが、どんなに慣れているつもりでも、雨は体温ごと体力を奪っていく。地面は滑るし、周囲の音が聞こえづらい上、視界も悪い。そこら中で緊急警報が鳴り響き、避難勧告や指示が出され、すぐ近くの川は今にも溢れそうで、方々から色々な物が吹き飛んでくる。
そんな中で普段通りに丸一日、事務所と客先を延々と往復し運転や荷運びをこなさなければならない宿命が絶対確実に決定しているのが、我々の〈 いつもの “非常時” 〉である。

それに比べたら今回のこの “非常時” の方が、私個人にはまだ良心的だ。
何せ出勤しても「感染しない可能性」、すなわち「実質平時と同然の体感で過ごせる可能性」が(低いかもしれないが少なくとも)0ではないのだ。回避の余地無く120%確定している絶望よりは幾分か救いがある。


何を言っているんだお前は、と思われる方がいらっしゃるかも知れない。不謹慎だと言われれば否定しない。
が、何の疑いもなくそう言える人の健全さを羨ましく思ってしまう事は許して欲しい。
蓋し、このほど突然現れて流行し始めた新型ウイルス “だけ” を特別に恐れる事の出来る人とは、それだけ安全で瑕疵のない人生を歩んで来られた人だ。日頃はさぞ平穏な、それこそ新型ウイルスさえなければ、心身共に何からも脅かされる心配の無い生活を送られているのであろう。大変結構な事である。是非そのままで居ていただきたい。これは本当に嫌味でも何でもない。

ただ、一旦ちょっと冷静に考えてほしい。
今現在いくら新型ウイルスが世界のトレンドを席巻しているからと言って「これが流行っている間は他の脅威は起こらない」保証など、残念ながら何処にも無いのである。

新型ウイルスなどあってもなくても、往々にして人は突然死ぬ。

例えば私の場合、通勤途中や勤務中にうっかり交通事故に遭う可能性が、妙な言い方になるが毎日欠かさずある。或いは昨年の台風の日に客先へ向かう途中、視界不良と暴風の中で車の運転を誤り、事故って死んでいたかも知れない。
(まだ二十代なので確率は低いだろうが)明日急に脳卒中や心臓発作を起こさないとも限らないし、多分ないとは思うけれども、道端で運悪く酔客の暴力沙汰や通り魔事件に巻き込まれる可能性だって決して“完全に0”ではない。

時に、最近流行りの感染症だが、罹患したとしても大多数は無症状か軽症で、若年層の死亡率は0.2%と言われているそうだ。
要するにそう滅多な事では死なない訳だが、それでもやはり罹るのが怖いというのであれば、先に挙げたような事例についても等しく怖がらなくては道理が通るまい。

確率というのは、あくまでも複数の事例を総体で見た時の数字である。
ある特定の人間一人の実生活に引き付けて考える場合には、往々にして無力な代物だ。事故にせよ病にせよ、どれほど低確率だろうが、その「たった1回」が偶然、自分の身に一度でも起こってしまったら終わりなのだから。

とすれば、新型ウイルスもそれ以外も全て、発生率や話題性の大小に関係なく平等に扱って同じだけ恐れるのが筋であろう。

だからという訳でもないが、私は前々から無根拠に「自分は大丈夫」などと信じて過ごしてきた事は全くなかった。
地球上に生身で暮らしている以上、事故や災害は起こるし、感染症も流行る。生きていたらある日うっかり死んでしまう事もあろう。
あまり一般的な精神状態ではないのかも知れないが、私は平生から当たり前のように、毎朝起きて歯を磨きながら「今日死なない保証は無いしなァ」などと普通に思って生活している。

元来そんな人間なので、新型ウイルスが流行して初めて現実のものとして身の危険を感じた、などという事は全く無い。

身の危険など、元々そこら中にいくらでもあるのだ。ここにきて少々そのバリエーションが増えたというだけの話である。
そう心配せずとも、罹ろうが、罹るまいが、死ぬときは死ぬ。


そんな訳で、私はこのような状況下でも今なお毎日(と言っても週5日だが)普通に平常通り出勤しているし、その事に関して何の疑問も不満も抱いてはいない。


従容として次善の策を

さて、ここで一つ念入りに強調しておかなければなるまい。
上記のいい加減な放言は全て私という不心得者の個人的な心情に過ぎない。

いくら自分個人の感覚が安穏と平常運行していても、それはそれ、これはこれである。
社内外問わず毎日多くの人と直に接触する仕事柄、何も気にせず無警戒でいいという訳では当然ない。

言わずもがな、ウイルスが厄介なのは「感染する」という点だ。
自分一人が罹患する/しない、重症化する/しない という、個々人の問題で完結し得ない事くらいは重々承知している。


状況が刻々と変わる中、我が勤務先でも試行錯誤しつつ諸々の対応策を採っている。現場仕事を放棄して休業する訳にいかないのであれば、次善の策として可能な限りの対応は全て実施するのみだ。
雨天の下で合羽を装備し、炎暑の中では浴びるように水分を摂り、台風の日に出勤予定だった学生バイトを全員自宅待機させるように。

手洗いうがいの励行、などといった初歩的な事にまでは今更言及するまい。
「うちへ来る直前に必ず検温してくれ」と仰る得意先(ご高察の通り医療福祉系の施設)も出てきたので、先ずは共用の救急セットに新しく体温計を追加した。今までは怪我の手当の為の消毒液や絆創膏ばかりで、あとは葛根湯くらいしかなかったのだ。
マスクの手持ちが無い従業員の為に、徳用のサージカルマスクも支給された。マスクによる予防効果は限定的と言うが、少なくとも手で直接鼻や口を触る事はなくなる訳だし、何より万が一無自覚で感染していた場合に客先へ撒き散らすリスクは少しでも減らしておきたい。あと屋外での仕事中は素顔だと夜風が普通に寒い。無いよりあった方が遥かに良い。


必要物資を整えた後は、勤務シフトの見直しである。
手始めに出勤する人員を絞った。

何せ夜な夜な繁華街を往来しては、不特定多数の店舗や個人宅へ出入りし数百という人々に会いまくる仕事なのだ。こと感染症に関してはハイリスクを煮詰めたような労働環境である。
この状況下でそんなものを、可愛い学生バイト達にまで一律強制するほど我々も愚昧ではない。
希望者は全員休ませた。主に「身近に感染させてはいけない人がいる」「就職活動中である」などといった事情を抱える者達だ。勿論「単純に怖い」という理由でも全然オッケーである。従業員の心身の健康より重要な仕事など無い。我々は君達が可愛い。
働いて稼ぎたい、と言う子にだけ、有難く出て来てもらうようにした。

また、入ったばかりで不慣れな者、翌朝から別の仕事や用事がある者などは、体力温存と睡眠時間確保の為なるべく早上がりさせた。
閑散期とは言え、基本的に始終動きっ放しの職場だ。疲労やストレスで免疫力を落とすといけない。慣れている人間にとっては余裕でも、体力や立ち仕事耐性には個人差がある。
ほんの僅かでも体調に異変がある場合は大事を取って自宅休養させ、その分の穴埋めには他の者達が持ち回りで当たった。


消耗戦の現場、繁華街の残骸に駒

人員を削減した事で出勤メンバーの負担が増えるかと思いきや、蓋を開けてみればまるで杞憂だった。

主要な得意先の大多数が、急激な収益減で息切れし始めたからだ。

先にも述べたように弊社の顧客は企業から個人まで様々で、単純に軒数/人数だけで見れば個人客の方が多いくらいだが、売上額の殆どを占めるのは企業の方、それも主に夜の街の店々である。
理由は単純だ。収支規模の桁が違う。
平均的な一般市民が普通に暮らして使う消費金額など、精々一月で十万~数十万円といったところだろう。
一方”夜の店”はと言うと、一晩で十万〜数十万を売り上げてナンボ、しかもそれを連日連夜コンスタントに維持し続けてようやくトントンの世界である。何せ賃料や人件費といった基本の固定費だけでも、毎月100万、200万がポンポン飛んでいくのだ。賑やかな飲み屋は儲かっているように見えるかもしれないが、多くの場合、内情は寧ろ自転車操業に近い。

(不平を垂らす意図などは無いが)昨今、ただでさえ飲食はじめ接客サービス業界に厳しい世の中である。
多くの町々を壊滅させた西日本豪雨以降、慢性的な客足減により長らく低空飛行気味だった岡山の歓楽街界隈は、昨秋の消費増税で更なるダメージを負っていた。とにかく人が少ないのだ。夜の街に住んで数十年、酸いも甘いも嚙み分けてきたベテラン勢までもが口を揃えて「前代未聞だ」と言う程だった。

そこへきて今度は疫病である。
街が死なない訳が無い。

例えば人間の体組織を生かしているのが全身を巡る血液なら、夜の街にとってのそれはカネだ。血液の循環が止まれば人は死ぬように、金が回らなくなったら店が潰れ街は亡びる。
いくら補助金や助成金があるとは言え焼け石に水だ。何せ毎晩欠かさず数十万を稼ぎ続けてやっと成立する世界である。一ヵ月やそこらで事態が収束へ向かうならまだしも、こうも長期化してきては店々の体力が持たない。

勿論、実店舗での旧来型の営業が駄目ならと、テイクアウトやウーバーイーツなど種々の販路拡大を試行する所も多い。
しかし、それら新形態での成果をすぐに平時同様のレベルにまで持っていくのは決して容易ではない。元々の収益規模が大きいだけに尚更だ。

斯くして多くの事業者が身銭を切りながらの消耗戦に突入しつつある訳だが、当然そんなものには限界がある。

実際、もう既に廃業した所や数ヶ月中の閉業を決めた所が山のように出てきている。それも場末の弱小ばかりではない。どことは言えないが、聞けば岡山市民の大半が「まさか」と驚くような人気店や業界最大手の面々ですら、今や決して例外ではないのだ。
こういう時、夜の飲食関連業界の人的ネットワークは恐ろしい。
もし一年前に聞いていたら「荒唐無稽な虚言を」と笑い飛ばしていたであろう程、現実味に欠ける話が毎夜のようにリークされてくる。最早どこまでがオフレコでどこからが公式発表かも分からんくらい、対外秘の情報がじゃぶじゃぶ氾濫する中で具体的な事は何も言えないのだが、本当に冗談抜きでエライ事になってきている。と言うか、残念ながらもう既になっていると言っていい。

尤も、当たり前と言えば当たり前なのだ。
「水商売とはこういうもの」である。

ただでさえ世の中で最も景気や社会情勢の影響を受けやすい業界だ。
その上、密室に近い空間に大人数が集まり身を寄せ合って、至近距離で喋りながら飲食するという、防疫の観点からはマイナスポイント全部乗せの最悪なフルコースである。
真っ先に粛清の対象となって当然だろう。

今は夜遊びに興じる者など、須らく姿を消して然るべき時だ。
その事に異論は無いのだが、同時に、仕事中の自分以外は猫の子一匹いない街を前に「本当にここまで綺麗に居なくなるものなんだな」と、意外の念が拭い切れないのも正直なところである。

何でも世の中には、新型ウイルスとは全く無関係な紙製品をこぞって買い占める馬鹿が随分大勢いたそうである。他にも、マスクを求めて毎日ドラッグストアに長蛇の列を作ったり、はたまた都会から田舎町の砂丘へ大挙して押し寄せてみたり、かと思えば「行く所が無いから」と家族総出で和気藹々、スーパーや各種小売店でのショッピングを楽しんでみたりしている方々が相当数いらっしゃるらしい。
斯様な人々がそれだけ沢山居る一方で、夜の街へ出てくる人間“だけ”は存外少ないのだな、と思うと純粋に不思議でならない。まさか世の人々にこれほど常識と良識が備わっていたとは。いやはや全く恐れ入った。
今や寧ろ、駅前で夜な夜な飲み歩いた方が、そこらのスーパーやホームセンターへ買い物に行くよりも余程人と会わずに済むという有様である。
何かの寓話にでもなりそうな話ではないか。

閑話休題。

ともあれそんなこんなで、弊社の主要な収入源たる得意先が軒並み瀕死になりつつある今日この頃、折しも近隣エリアにちらほらと感染者が出てきた。

緊縮政策の一環と、アルバイトスタッフ達の安全確保を兼ね、一日の出勤者数をギリギリまで削減。極限の少数精鋭で日常業務を賄うように、とのお達しが出た。

職場の人達が「先ずは人件費削減から」「一部スタッフには休んでもらって、助成金を申請しよう」などと話している所へ嬉々として「休み欲しいです!!!」と名乗りを上げてみたものの、光の速さで「いや、お前は働くんだよ」と一蹴されてしまった。ちくしょうめ。知ってた。

さて、通常の半分程度の人数では、同時にできる事に物理的限界がある。二兎を追うのは諦める事にした。普段は事務所に常駐して司令塔役を担う者と、その指示を受け実際に外で動く者とに分かれるのだが、この役割分担を撤廃した。
と言うか、前者の“留守番役”を切り捨てた。
後者の外回り要員が自ら、仕事の依頼や問い合わせ受付用の端末を携行する。そうして皆が出払っている間、事務所内の業務は放棄。
本拠地を無人にしてでも、あくまで現場の仕事を優先するという訳だ。

テレワークもへったくれもあったものではない。

お陰で有難い事に(?)この春も毎日、桜や木蓮、花水木やツツジや柳の新緑が、往復の通勤路と仕事中の目に楽しい。
人の世で何が起ころうと、路傍の草木にはどこまでも罪が無く綺麗なものである。

私は元来、勤勉家とは真逆の怠惰な自堕落者である。働きたくないです!! と、社長にさえ真っ向から公言して憚らない程度には無気力クソ野郎だ。
新型ウイルスだの感染リスクだのは別段どうでも良いが、普通にただただ働きたくないし、休みだって貰えるだけ欲しい。

しかし当面の間はどうやら黙して働くより他に仕方が無さそうだと、近頃は差し当たり諦観の境地にある。

実際問題、今こんな状態のこの街で、それでも休業せずに仕事はするという事なら、私のような人間を最後まで現場に置いておくのが一番合理的だろうと思う。
学生身分もとうに卒業した良い大人だし、これと言った持病も既往症も無く、元から比較的頑丈にできている方だ。実際ここ十数年間で一度たりとも病欠というものをした記憶が無い。勿論、だからと言って滅多な事にならない保証は決して無いのだが、それでも未来ある学生バイト達や、持病など健康上の不安を抱えている者を出勤させるよりは遥かに良かろう。
幸いにして(?)私は気楽な独身貴族である。家族もなければ将来を誓い合うような相手も居ないし、生き物を飼ったりもしていない。つまり、今後もし倒れてしまったとしても、その所為で(自分自身を除けば)誰が困ったり路頭に迷ったりする訳でも無いのだ。
ちなみに自宅の掃除等も日頃から比較的きちんとしているつもりなので、万一うっかり死んでしまったとしても人様にお掛けする後処理上のご迷惑はそう酷くなかろうと思う。多分。


そんな訳で、勤務シフト上の2連休が明け、私は今日からまた元気に出勤である。寝て起きたら顔を洗って、仕事着に着替えて職場へと向かう。
夜の街は着々と死にゆき、終わる目処の立たない消耗戦は続く。
先行き不透明な毎日だがやる事は同じだ。可能な限りの次善の策を打ち、せっせと自分の仕事を片付け、同僚らが失敗すればケツを拭いて回る。

感染症が今後どうなろうがいずれ死ぬ時は死ぬし、それより先に今の勤務先が立ち行かなくなったらなったで別段それも良かろう。
幸い、私は最早かつてのような貧乏学生ではない。1~2年そこらなら働かずとも遊んで暮らせる程度の蓄えはあるし、その際は次の働き口を見付けるまでの間、気儘に無職生活を決め込むまでの事だ。
想像したらちょっと愉快になってきた。全然ナシじゃねえなこれ。二十代後半の優雅な高等遊民ライフ、中々どうして乙ではないか。

転職して3度目の春、緊急事態宣言の直下で働きながら、概ねそんな事を毎日つらつらと考えている。
4度目の春は果たしてどうなっている事やら見当も付かないが、生欠伸をしながらこの街で生き延びて、馴染みの面々と美味い酒を呑めていたら御の字だ。ついでにそれがタダ酒であれば尚良い。

これは持論だが、不健全な歓楽街が元気である事こそ、その都市が健全である証拠なのだ。矢張り夜の盛り場というのは小汚くごちゃついていてナンボである。
希わくは、我等が愛すべきこの街がいずれ、かつての無秩序と猥雑さを取り戻さん事を。

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