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2人目の子どもが生まれて、さらに知った「自分の存在意義」

おはようございます。複業家のナカタニ ショーです。

2021年12月28日の朝。僕はとある喫茶店で珈琲を飲みながらnoteを書いていました。タイトルは「初めて自分の子どもが生まれるお父さんが、その日に書いた日記」
あの日から丸2年が経った2023年12月29日。再び、同じような想いでキーボードを叩いています。次のタイトルは「2人目の子どもが生まれて、さらに知った「自分の存在意義」
これは、2人目の子どもが生まれた日の夜に、これからの時代を生き抜いていく我が子への想いを綴ったnoteです。


月日が経つのは、早い。自分が歳を重ねるごとに、地球が回転する速度が変わったのではないかと思うほど早いのです。2021年の年の瀬に、令和の時代を歩み出した初めての子どもは丸2歳となった時、次の命を預かることになったのです。

1.家族が増える自分の気持ち

やっぱり、母親はすごいということ。

初めてばかりの2年間を過ごした今、改めて思うのはやっぱり母親はすごいということ。赤ちゃんがお腹の中にいるときは、父親は子どもを育てることはできないけど、生まれたら母乳を与える以外は、ミルクであれば食事もあげられるし、おむつも変えられる。だけども、お腹の中にいるときは母親に頑張ってもらうしかない・・・。これは、今回の妊娠中でも改めて感じました。つわりから始まり、最後には2キロくらいの大切な大切な重りをお腹で守りながら、日々を過ごしていく。この37週間は気を使い、体力を使い、時間を使う。ここに対して、父親はサポートすることしかできません。

そして、2回目であれば出産に伴う体の痛みも、3時間ごとに授乳をする眠れない日々がやってくるのもわかっている。そのわかっている怖さをも受け入れる母親はすごいのです。

ちまたのSNSでは、「出産予定です」「出産しました」と友人たちが投稿を出していくけども、この文面からは見ることができない裏側で、こんな日々が繰り返されているのです。

2回目である自信と・・・

前回は初めての子育てだったので、わからないことの連続でした。というか全てがわかりません。しかし、今回は2回目。昔のことではなく割と最近である2年前のリピートです。今回、生まれるまでは2年前のことを思い出せるかわからなかったけど、生まれた直後、妻の横で赤ちゃんを自分の手で支えた時に、両手の感覚が覚えていました。首の座っていない赤ちゃんの首を自分の手で支えて・・・。つい数分前に母親の体温に守られていた我が子は、すごく温かった。そういう感覚を味わうことができるのは2回目の余裕なのかもしれません。

とはいえ、生まれてくる子どもは一人の人間。だからこそ、前回の経験が全く一緒というわけにはいかないこともわかっています。

そして、上の子どもは大人2人で世話をすればよかったけども、今回は大人2人に対して子どもが2人。前回より圧倒的にパワーが足りなくなるかもしれません。しかも、この2年間で年相応に体力は落ちました。

そして、赤ちゃんの世話だけをしていればいいのではなく、上の子どもとの時間もあります。まずは初日。手術のため家を早く出る母親に付き添って、早朝に起こされた上の子どもは、夕方、病院から帰ってくると共にイヤイヤを発揮しました。これが2歳になったイヤイヤ期なのか、下の子が生まれたことに対する赤ちゃん返りなのか、早起きして疲れているからなのかは全くわかりませんが、流した涙の量は1日の最高記録を更新したのではないでしょうか。そんな子どもと父親が過ごす1週間。僕はやっていけるのだろうか。根拠のない自信と不安が入り混じる1日目でした。きっと、こんな日々がこれからも続くのだと思います。

「今日、死んでもいいと思える毎日」がなくなった。

2年前のnoteを読み返した時「父親になる気持ちは正直なところわからない」と綴られていました。それが2年間、父親をさせてもらい明確になってきたのが、「今日、死んでもいいと思える毎日」がなくなったことです。

これはネガティブではなく、ポジティブな意味でですが、ありがたいことに僕は「今日死んでもいいかな」と思える毎日を過ごさせてもらってきました。それは、人間関係だったり、毎日の仕事だったりと、特にここ数年は、自分のやりたいことをやりたいようにさせてもらい、それで生活ができている。そんな日々がおくれていたのです。「仕事行くのが嫌だな。退職したら、やりたいことをやりたいな。」と今日死んだら後悔する毎日を送っている人もいるかもしれません。そんな中、ありがたいことに僕の場合は「今日、死んでもいい」と思える毎日を過ごすことができていたのです。

しかし、自分に子どもができてからそんな毎日はなくなりました。それは「自分が死んでしまったら、この子はどうやって生きていくのだろうか」ということ。自分だけでは、ご飯を食べることすらできない我が子は、自分がいなくなってしまったら、生きることすら危うくなってしまう。そのことに気づいたのがこの2年間でした。母親もいるし、日本の社会であれば支援してくれる制度もあるかもしれません。しかし、自分がいなければ母親は親子が生きていくための稼ぎを得て、子どもを育てなければいけない。そんな過酷な日々となってしまいます。その結果、子どもの育ちに影響が出てしまうかもしれません。いや、確実に出てしまうでしょう。それは、2泊3日、妻が遠出して、我が子と3日間を2人きりで過ごした自分の経験からわかります。大人1人で子どもを育てることは、自分の余裕をなくし、子供への接し方が悪くなってしまう可能性が上がるということ。

世の中には、様々な理由でひとりで子どもを育てている人が多くいます。そのような人たちの子どもへの接し方が悪いというわけではないです。ただ、大人1人で1人の子どもを育てるよりも、大人2人の方が「余裕ができるよね、人間だもの」ということがお伝えしたいのです。

自分がいなくなってしまったら、命すらも危うくなってしまう子どもを抱えることで、「自分の存在意義」が深くなる。これが人間が持っている「存在意義」を求めているということなのかもしれません。

「今日、死んでも後悔しない毎日」をおくることは大切だけど、「今日、死んだら後悔する毎日」を今後もおくり続けるのだと思います。

そうは言いつつも、存在意義どうこうの話の前に、毎日成長していく子どもを見ていくことを求めている自分がいることに気づいたのも、初めて我が子が生まれた2年前の自分ではわからなかったところなのです。

自分にとって大切な時間を守るなら、選択できる自分でいなければならない

今回も子どもが生まれるにあたり「私的」育児休業を取りました。この「私的」というのは、社会的な育児休業制度ではないというところ。最近の僕は「複業家」として、勤めに行く仕事もあれば、自分が作ったチームでやることもあり、自分個人で動くこともある、そんな収入源で生きています。これを横文字でカッコよく書くと「マルチワーカー」なのかもしれませんが、僕には「複業家」というのがしっくりきています。

2年前にも勤めていた観光関係の仕事では、会社に制度がないということで補償のある育児休業を取ることはできず・・・。前回の同じ週1、2回の在宅勤務を継続。出勤はひとまず3月まではお休みとさせてもらいました。
前回は育児休業制度がない会社に対する不満が多少なりともありました。気持ちの切り替えとして「自分が稼げばいい」と考えるようにしたのですが、既存の収入源の7割くらいを支えていた仕事がなくなることの影響は小さくなかったです。育児休業給付金が出れば、多くはないけども、生活費が安定的に入る。そこが入らなくなった3ヶ月間は、正直なところ収入が下がりました。それでも、仕事を休むという選択ができたのは、会社員だけじゃない複数の収入源があったから。これが、自分で選択できることの大切だと感じました。

あれから2年。今回も勤めに出ている会社での育児休業の取得は制度がないためできませんでした。しかし、今回は正直な気持ちとしても「どうでもいい」と思っています。それは、この2年間で勤めに行っている仕事の収入割合が減り依存度が減ってきたということ、つまり、この仕事を休んでも収入が減る影響が少なくなってきています。

世の中では本業がある中での「副業」が推奨されるようになってきました。とはいえ、副業はサブ的な要素。「本業での収入が足りないから副業する」という状況では、本業に対する自分の選択が限られてしまうようになってしまいます。僕はそれを2年前に少し味わいました。だからこその「複業」だと思います。複数の収入源をバランスよくしておくことで、こっちがダメならこっちの比率をあげれば良い。そんなことが自然とできるようになっていくのです。

2.変化することが標準となった世界を生きていく我が子へ

ここからは、2023年12月末に世の中に生まれてきた我が子に伝えたいことをまとめてみました。

厚労省も引用しているとある海外の研究によると「2007年生まれの子どもの半数が107歳まで生きる」とされています。さらに、寿命が2年ごとに平均2.3年伸びていることを考えると、2023年に生まれた子どもの多くが100歳を越えて生きていくことになるでしょう。人生100年時代がほぼ確実になった今、変化することは標準化されました。そして、変化のスピードは劇的に早くなっているのです。

「それぞれの商品が5,000万人ユーザー獲得までにかかった時間」と2年前に紹介した下記のデータ。

飛行機 68年
自動車62年
電話 50年
電気 46年
クレジットカード 28年
テレビ 22年
ATM 18年
コンピュータ 14年
携帯電話 12年
インターネット 7年
iPod 4年
YouTube 4年
Facebook 3年
Twitter 2年
Pokemon Go 19日

これをさらに更新したかもしれないのが”ChatGPT”
文章を生成するAIツールとして、多くの方がご存知だと思いますが、11月末にリリースされ、2ヶ月後の1月下旬には、1億3000万人を突破。リリースから6日で100万人を突破したということも発表されています。5,000万人を突破したのがいつかが正式には発表されていないので、上記の年数とは単純に比較できないかもしれませんが、めちゃくちゃ早い驚異的なスピード。これが世の中の速度の標準になっていくことでしょう。

ChatGPTで賑わった2023年。その賑わいの一方、アメリカのシリコンバレー銀行の破綻も大きく話題をよんだのではないでしょうか。

このシリコンバレー銀行は、資産規模が全米第16位。そんな大きな会社ですら、経営不安が表面化してから3日間で破綻してしまったのです。

出来上がり広がるのも早いが、潰れ、無くなるのも早い。それが今の時代なのです。つまり、昨日まで信じていた価値観が一瞬にして置き換わられてしまう、そんな時代を我が子は生き抜いていかないといけないのです。

そんな我が子に向けてのメッセージを残しておきます。

アップデートすることが標準。だけども、情報に溺れず選ぶ。

今、世の中で当たり前に使われているスマホ。これにはアップデートという機能がついています。もしかすると、あなたたちが物心ついた頃には、このスマホすらもいにしえの道具になっているかもしれませんね。

けど、スマホやパソコンが登場する前は世の中の道具に「アップデート」という概念すらありませんでした。一度、その道具を手に入れたら、その機能は継続し、新しい機能がほしくなったら、その道具自体を買い替える。そんなことが当たり前だったのです。

これは道具に限った話ではありません、かつては、学校で学んだこと、親から教えられたことは、自分が大人になってもそのままの知識で通用する。そんな時代だったのです。だから、あなたたちよりのおじいちゃんおばあちゃん世代は「アップデートしていく=情報を更新していく」という概念すらない人たちも多いでしょう。

しかし、時代は変わり、あなたたちはよくよく知っているように情報は更新しないといけないというのが標準になっています。

その一方、歳を重ねると新しいものにしていくのが億劫になるのです。お父さんは今35歳ですが、最近そうなってしまっている自分に気づいてしまいました。これは人類が誕生してから何十万年も前から人間に備わっている機能なので、仕方ない部分もありますが、それはそうと受け入れつつ、アップデートをしていかないと時代に取り残されてしまいます。

自分ではその場に留まっているつもりでも、周りが前に向かって歩いていたら、周りが進み自分は置いていかれている。つまり、遅れてしまっていくのです。

とはいえ、今の時代ですら情報に溢れていて「情報過多」で、情報だけを追っかけていては情報の波に溺れてしまうことでしょう。だからこそ、情報は全て受け取るのではなく、自分自身の中で選んでいくことが大切。そして、最後に残るのは「自分の経験」という情報源。これが「なんとなく」「本能的に」の判断につながっていきます。

だからこそ、あなたたちにいろんな経験をしてもらいたい。嬉しい経験も、悲しい経験も・・・。その中で、情報を選んでいくという思考が身につくと思っています。

自分にとっての幸せを見つける

これもいにしえの考え方なんだけども、かつての日本には「中流」とか「これが普通の生き方」というのがありました。過去形で書いたけども、今の時代にもまだ残っています。「みんながこうしているから自分もこうする」という考え方です。

例えば、何歳には結婚して、新築の家を買って、子どもは2人くらいで、結婚指輪は給料の3ヶ月分で、結婚式には友人や親族を呼んで、新婚旅行は海外・・・などなど。

かつては、世の中を発展させるために経済を回す(消費を増やす)必要があり、それに合わせたモデルを作り上げる必要があったのです。だから、様々な人たちが知恵を使い、消費につながるようなことを含めた価値観を作り出していったのです。

しかし、時代は変わりました。消費を伸ばすだけが全てではない時代。それでも今になっても、消費欲を増やされ、お金を使ってものを買わないと満足できない人たちがいます。

あなたにとって、そのものは必要ですか。それはあなたを幸せにしてくれますか。「周りがこうしているから」というのはあなたの希望ではなく、周りからの圧力なだけ。お父さんとお母さんは、「子どもを2人育てる」という選択をしたけども、これは世の中がどうというわけではなく、自分たちにとっては子どもが2人いてほしいなと思ったから。結婚式はしていないし、新婚旅行も海外に行ってません。こうやって、周りがやっていることをしていないけども、それは自分たちにとっては必要ないと感じたから。

だから、自分が必要だと思うもの、自分の生活を豊かにするもの、幸せな毎日を過ごすことができるもの。ものと書いたけども「こと」のような形にないものでも良くって、、、そういう自分にとっての幸せを見つけてください。

あなたが、これが幸せだなと思えたら、周りになんて言われようと気にしない。

自分で正解を作り出すしかない

価値観が多様し、変化がしやすい時代になったというのは、さっきまでで伝えた通り。だからこそ、「こうやって生きたら正解」というのはありません。結婚しても幸せにならない人もいるし、家を買ってもローンで苦しんで幸せを感じられない人もいる。だからこそ、正解は自分で作り出すしかないのです。

正解は見つけ出すのではなく、作り出す。見つけ出すというのは誰かが準備してくれているものにたどり着くということ。つまり、それは誰かの考え方にすぎません。しかし、あなたはあなたであって、正解を作ってくれた人とは違う人間。考え方が似ているというのはあっても、全く同じということはないのです。

だからこそ、正解は自分で作るしかない。自分でオリジナルの正解を作っていってほしいと思います。

それでも続ければ報われる

さっきから変化の時代と言ってきました。だから「時代に合わせてどんどん変えていったらいいか」というとそうでもないだよね。

周りが変わっていったら、自分も今やっていることを辞めて新しいことに変えていかないといけない。と思うかもしれない。

やり始めたことが周りに評価されないから、変えないといけないかなと思うからもしれない。

けど、そんな時にすぐに変えるのではなく、自分の頭でしっかりと考えてほしいのです。変化しやすい時代だからこそ、変わらずに続けているものに価値を感じる人たちもいます。

お父さんは、5年前に福井県で宿屋を始めました。あなたたちがこれを読む頃にその宿屋があるかは分かりません。けど、少なくとも現時点で5年間は続けてきました。稼げる宿屋でもないし、自分の時間もかかる。けど、自分が好きなことで来てくれた人が喜んで帰ってくれる。そんな場所だから続けてきたのです。

そうやって続けてくると、不思議なもので、周りの人たちは見てくれています。「こんな面白いところがあるよ」と口コミを広げてくれる人もいれば、「宿屋の経験を生かしてこういう仕事をお願いできませんか?」と言ってくれる人もいる。これは最初からこうだったのではなく、4年ほど続けた今年くらいから急速に増えてきました。

だからこそ、変化することも大切だけども、続けていくことも大切。変化が大切だったり続けることが大切と言ったり、惑わせてしまうかもしれないのだけど、これが事実なのです。ヒントを言うとするなら、「変化することがめんどくさいから、変化しない」のならそれは変化した方がいいかもしれない。「周りが変えているから自分も変えなければ」と思うなら、変化しない方がいいかもしれない。

3.最後に

2年前に書いたnoteに最後に書き綴った一文

我が子が大きくなるにつれ、親のことでイライラするときが来るかもしれない。逆に僕が我が子に怒りを覚えるかもしれない。けど、そのときに我が子と初めて出会えたときの幸せな気持ちを思い出せるよう、今の気持ちをここに綴りました。

2歳を迎えた我が子は、イヤイヤ期を迎えたのが「いやいや」と言うことが増えました。大人も人間だもの。「怒り」とまでは言わないけども、最近は我が子に対して「イラダチ」を覚えることも正直あります。

けど、この子がいてくれた2年間は、大変だったけど、その何百倍も幸せな日々でした。これがさらに今日からは2人分になり、続いていくのを考えると感謝の気持ちが大きいです。

生まれてきてくれてありがとう。そして、生んでくれてありがとう。

お父さんは、もっと遊んで楽しんで。あなたたちに「いくつになっても楽しく生きられるよ」という姿を見せていきたいと思います。

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