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だから、僕は学び続ける

こんにちは!福井県で地域まるっと体感宿 玉村屋を運営している”複業家”のショーです。

あなたは、勉強することが好きですか?
僕は、昔から勉強は嫌いでした。

というか勉強が好きだったという人は、少ないかもしれません。

今日は、勉強嫌いだった僕が大人になった今、「学び続けなければならない」と考えている理由についてまとめてみました。

○ 勉強と学びの違い

・勉強とは強制的されること

それもそのはず、勉強というのはその文字の通り「勉めを強いる」ことだからです。少し調べると、さまざまな解釈が出てきますが、概ね「無理して努力する」とか「受け身」といった意味になってきているようです。

人は誰でも、自らではなく、受け身の姿勢であれば積極的になれないし、好きになることも少ないかもしれません。

・学びは自ら進むこと

それと似ている言葉に「学び」があります。これは、勉強に対比すると「能動的」な意味合いが強くなります。

教育や学びを研究し続けてきた信濃教育会教育研究所所長であり東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授の佐伯胖先生は、この二つの違いをこう定義しています。

私が考える勉強と学びの定義とは
◦『勉強』=教えに従って『身につけるべきこと』を身につけること
◦『学び』=自分から『こうありたい』自分になること

こういうところから見ても、学びというのは「自分の意思」があり、そして「目指したい姿」がある。これを実現するための能動的な手段として、知識を得たり、スキルを得ることが学びであることがわかります。

◯ 学びをやめることのデメリット

・現状維持は、時代に置いていかれる。

人は、知識を取り入れる勉強を最終学歴の確定と共に置いてくることが多いでしょう。つまり、高校や大学の卒業が勉強の終わりとなり、その後はそれまでに勉強した知識を使って生きていくというのが人生なのかもしれません。

かつては、学校で勉強した知識がそのまま役に立つ社会がありました。そろばんでの計算力が、仕事を始めてからもずっと役に立った。学校で身につけた筆で文字としての漢字を書く力が、社会人になってからも手書きで文章を作成する時代を生きていく力になったのです。

しかし、変化の激しい現代は、学校で勉強したことだけで生きていける社会ではなくなりました。学校を出た後にも、新しい考え方や仕組みが世の中にリリースされ、その時々に必要な知識やスキルが変化していったのです。

そんな時代で知識をアップデートせず「現状維持」で生きていると、変化する時代に取り残されていってしまいます。自分はその場にとどまっていて、後退していないつもりでも、周りが進んでいるから、そこと比較すると結果的に置いていかれてしまっているのです。例えるなら、学校で「そろばん」を習ったから、社会に出ても電卓ではなく「そろばん」で計算問題を勝負するということ。今なら電卓ではなくExcelかもしれません。もちろん、単純な計算問題なら、そろばんでも高速で指を動かし、勝てることもあるかもしれません。しかし、社会に出てから必要な計算は単純なものだけではなく、複雑な計算をしなければならないことも多いでしょう。そこにきて、そろばんVS Excelの構図で、そろばんが勝てることはないことははっきりとわかるでしょう。

こう聞くとイメージができて、「置いていかれている」ということがわかるかもしれませんが、いざ自分を見ていると同じようなことをしている。これが人間なのです。

学ぶことをやめ、現状維持をしようとすること。これは時代の進み具合と比較すると後退していることに他なりません。

・ 無知だと、自分の子どもが辛くなる。

時代の変化についていけなかったとしても、自分一人が生きていくのはなんとかなるかもしれません。しかし、家族がいると話は変わってきます。

ネイティブアメリカンのことわざに、こんなものがあります。

父が無知だと貧乏になる、母が無知だと病気になる

現代の「父親の役割と母親の役割が平等だ!」という風潮はさておき、この言葉には次世代を育てる深い意味が入っていると思います。

ここでいう母とは生活習慣だったり、食生活のことへの影響力が大きい存在のことでしょう。父とは、仕事などの経済活動、お金にまつわること、社会との関わり方を教えてくれる存在だと思います。

つまり、母が無知だと、食事が偏り人間に必要な栄養素を摂ることができなかったり、深夜まで起きてしまう習慣となり、睡眠を確保することができなくなります。その結果、身体に悪影響があり、病気になってしまうのです。

続いて、仕事などの経済活動、社会との関わりを教えてくれる存在である父に知恵がないと、いつまでも働き続けないと生きていけない、そして将来性がない分野で自転車操業をしなければいけないかもしれません。お金の知識がないと、金利の高いローンを払い、いつまでも支払いに追われる人生かもしれません。だから、父に知恵がないと貧乏になるのです。

この言葉はもっと噛み砕くことができると思いますが、それはまた今後。

◯ 勉強ではない「学び」だから楽しい。

大人になってからも「学び」が必要と言われると私たちの脳裏をよぎるのは、あの退屈で面白くなかった学校での「勉強の時間」
そんなネガティブなトラウマがあるからこそ、学ぶことに対しても億劫になり、後回しになるのかもしれません。その結果「(遊びを優先して)学ぶ時間がなかった」と言うでしょう。

しかし、学びは勉強と異なり「こうありたい」と思う自分に近づくことができる、ワクワクする行程の一つなのです。

自分のため、自分の周りの人のため、そして理想的な自分となり幸せに暮らしている未来の自分のために、学んでみませんか?

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