リニューアル版 19才の時の話 0話

18才の時、僕は上京しました。
18才から19才までの1年間は、僕の人生で一番つらかった時です。なぜなら友達が一人もいなかったからです。この1年間、ひと言も他人に対して言語を発していないのです。独り言で「朝の来ない夜はない」を唱え続けたあの日々…。
18才だった1999年4月、僕は一人、予備校に通うために徳島から上京してきました。
最初に住んだのは代々木ゼミナール南平寮というところです。
高校時代はそれなりに楽しかったのですが、学校の進路指導に反発しまくっていました。地方の公立高校に必ず一人位はいるであろう「何がなんでも早稲田」なキャラを地で行っていた訳です。
しかしあえなく全滅し、恥を忍んで代々木ゼミナールに通うことになったのです。ただ、ちょっと代ゼミに通いたいという気持ちもありました。高校時代、代ゼミのカリスマ講師の授業をサテラインで受けてたので、生で観てみたいという気持ちも少なからずあったのです。
で、夜行バスで東京の地に降りたちました。向かう先は代々木ゼミナール南平寮。僕はこれから1年間、ここで新しくできた友達と切磋琢磨し、みんなと一緒に受験勉強を頑張るつもりでした。
しかし、4月になっても、5月になっても、友達の輪に入れません。寮の食堂では好きな席に座って食べるのですが、日一日と、少しづつ仲良しグループというのは固まっていきます。そこで勇気を出して「僕もその輪に入れてくれよ!」と言えばそれで終わった話なのですが、どうしても、それが言えませんでした。6月に入る頃、どうせ来年3月までの我慢だからもう一人ぼっちでいいやと思うようになりました。
僕の18才は南平寮と代ゼミと紀伊国屋書店をひたすら往復するだけの日々でした。ちなみに、18才の時に一番衝撃を受けた事は、5月に買ったブブカという雑誌に、「一ヶ月前まで女子高生だった素人のヌード」みたいな袋閉じコーナーがあり、自分と同学年であろう女性が早くも脱いで雑誌に載っているのを見て、異様な程衝撃を受けたことです。
あと、日野市南平を流れる川が「浅川」という河川で、場所を越えて感じる同じ名前の「浅川」に対する親近感が沸いたことは大きいです。あと「浅川」が何となく故郷を流れる川、「那賀川」に規模や雰囲気が似ていたので、土日は「浅川」の土手をひたすらウォーキングしていました。
とにかく僕の18才の頃は人との関わりが一切なかったので、暗かったです。

続く

ルサンチマン浅川と申します。