ユニゾン流シングルツアー×2を堪能する――UNISON SQUARE GARDEN Tour 2022「kaleido proud fiesta」「fiesta in chaos」感想
Tour “Ninth Peel“ nextが始まる。私も何公演かお邪魔させてもらう。とても楽しみだ。ダブピのアライグマ可愛すぎる。
ツアー開幕記念……というわけではないのだが、まあいいタイミングなので、kaleido proud firstaとfiesta in chaosの感想文を書いた。1万文字を超えた。2本ともいいライブだったな……と改めて思う。
音楽的知識はないのでそのへんは薄い。割と新米なので過去についての記述に信憑性はない。
以後、ツアーとしてのkaleido proud firstaを「kpf」、fiesta in chaosを「fic」、Ninth Peelを「NP」と表記する。曲名とアルバム名については都度言及する。頭文字が出たらツアーのこと話してんなって思って。
「シングルツアー」に特有のセットリスト
絶賛開催中のアルバムツアーと、今回言及するシングルツアーとでは全く性質が違う。
何が違うかって、簡単に言えば、盛り上げ方だ。
アルバムツアーは、「やることが確定している曲」が5曲〜10曲程度あり、セットリストにはそれらを散りばめつつ、観客の空気を盛り上げていかなければならない。
これはセトリおじさんこと田淵智也氏も言及している。以下はTour “Ninth Peel“に関しての言葉だ。
これは、NPのセットリストを見ると顕著であろう。↑のリンクのインタビューでもかなり詳しく言及している。
3曲目にアルバムの新曲「ミレニアムハッピー・チェーンソーエッヂ」を入れて「おお! これはまさしくNinth Peelのツアーなのだ!」と観客を盛り上げたり、その後もターニングポイントとなるようにアルバム曲を配置したり、最後はアルバムの中でも最強の1曲「恋する惑星」で気持ちよく締めたりする。
このように、NPではセットリスト全体が全力で「Ninth Peel」というアルバムを盛り上げにかかる。
シングルツアーはどうか?
「やることが確定している曲」は、ツアーの名称になっている曲のみだ。
つまり、セットリストは、そのたった1曲を盛り上げにかかる。
いや、カップリングあるじゃ〜ん、と思うかもしれないが、これは物好きへのご褒美に他ならないと思う。アルバムは全曲がサブスクで配信されるのに対し、カップリング曲はこのご時世にCDを買うような物好きにしか聴かれないようになっている。たとえばこういう文章を書いたり読みに来たりするような物好きに。
カップリング曲はあくまでご褒美だ。「このシングルツアーではどんな旧譜(愛を込めてこういう言い方をしている。いつかの新曲たちが『いつものユニゾン』に溶け込んでいく感覚が大好きだからだ)が演奏されるかな?」という物好きしか持たない疑問に彼らが叩きつけてくる答えと同じような、ご褒美。
話を戻すと、今回感想文を書くkpfとficは、たった1曲を盛り上げるためにセットリストの約20曲を存分に使っているように感じた。
kpfでは「kaleido proud fiesta」、ficでは「カオスが極まる」だ。
今回はこの点をフィーチャーしながら感想文を書いていく。
ちなみに、ficでもkaleido proud fiestaは表題に掲げられているので特異な立ち位置ではあるのだが……このためにセットリストが作られているかというと違うなと思う。詳しくは「前作主人公の立ち位置」の項で長々と話している。
セットリストから浮かび上がる「主人公」――「kaleido proud firsta」より
セットリストをなぞる
開幕して盛り上げて、クールにガンガン攻めて、ちょっぴり感傷的になって、徐々にギアを上げて跳ねて、大団円。
非常にオーソドックスで綺麗な起承転結である。クールにガンガン盛り上げてくるパート(05〜09)が早めに来ることを考えると「気転承結」というほうが相応しいか? 少しのスパイスを交えながらも、基本的にはクセのないとても綺麗な流れだと思う。まるでツアーの表題曲から受ける印象と同じような、王道の流れだ。
かといって先が読めて飽き飽きしてしまうような構成でもない。シングルツアーならではのさまざまな「旧譜」たちが驚きを与えてくる。新譜たる弥生町ロンリープラネットがここで初披露されるのも同様だ。
曲に付随するインタールードが多めの「途切れさせない」構成もさすがだ(CAPACITY超えるとかワールドワイド・スーパーガールとか)。インタールードから入る曲に旧譜が多めなのは、これも物好きへのご褒美のように思えた。聞き慣れない前奏ながらも「あ、これあの曲だ!」とにやりとしてしまう瞬間が多かったように思う。
ナノサイズ・スカイウォーク。この曲、新顔なのに「ずっといましたけど?」みたいな顔してセットリストの中に平然と居座っているからすごい。
ワールドワイド←→ナノサイズでの対比が綺麗に決まっていたし、Own Civilization (nano-mile met)とも「ナノ」で繋がっていた。「弥生時代からバレている」も弥生町ロンリープラネットとの繋がりなのかしら。
ということで、ナノサイズ・スカイウォークはこのライブでの新譜かつ物好きへのご褒美枠だけど「あれ、この曲5年前くらいからあった?」と思ってしまうくらい馴染んでいたのでした。すごいなあ。
「主人公」に向けて
さて、このセットリストの「主人公」は言うまでもなく「kaleido proud fiesta」だが、この曲を最高潮に持っていくためにさまざまな工夫が凝らされていると思う。
まず、TIGER & BUNNYの一代前の主題歌であるharmonized finaleでセットリストの幕が開くと、この時点でharmonized finale内のさまざまな歌詞がセットリスト内で回収されることが確定するし、そして我々は瞬時にそれを察する。
なぜなら、kaleido proud fiestaとこの曲はさまざまな部分で繋がっている、と既に分かっているからだ。リリース時に歌詞の繋がりで大興奮したのはきっと私だけではないだろう(よね?)。
そんな1曲めは「ここからまた始まってく(中略)君を追いかけるよ その未来まで」で締めくくられるが、「finale」と銘打っていながらも始まりを予感させるこの曲はなかなかずるいなと思った。だってその始まりが結実するのが「主人公」たる曲であるのが容易に想像できるんだから。ここでもう我々はセトリおじさんの罠(?)にかかっているわけだ。
次3曲で空気を盛り上げつつ、観客はユニゾンの生み出す「世界」に飲み込まれていく。「現実に負けないスケールで新世界が描けるのなら」だし「The world is fancy」だし「世界が始まる音がする」のだ。
(まあこの辺の「世界」というワードの一致は偶然な気もする。割と頻出の抽象的なワードだし……。世界はファンシーという『強さ』と『準新作』を兼ね備えた曲でテンションを上げようとした、のかも? 箱庭ロック・ショーとシャンデリア・ワルツは『始まり』を想起させる曲として開幕にどーん、みたいな)
ちなみに「この街はまだ単純自在システムで動いてるんだな」と「問いただしてくれ この街を誇る権利」、「整合性とれちゃったからハッピー?」と「つまり整合性なら後日譚でわかるから」は繋がっているかも。
中頃、fake town babyの「愛してる この街を愛してる それでも」は「問いただしてくれ この街を誇る権利」と繋がっているように思えるし(シャンデリア・ワルツのそれよりこっちのが強そう)、
5分後のスターダストの「5分後のシーンが見えてきて きれいな景色になりそうだ」は最後に「きれい過ぎて忘れられないような ような 景色になる」という形で見事に回収される。
ワールドワイド・スーパーガール→ナノサイズ・スカイウォークで入り方の天丼を決めながら徐々にギアを上げつつ、「街の風や 笑い声や 不思議な建物全部 愛して更新しよう」とfake town babyからのバトンを受け継ぎ、次の曲に進む(このバトンはシングル表題曲とカップリング曲で意識して繋いだものなのだろうか。そんな気がしている)。
そして始まるサンポサキマイライフで、観客は(少なくとも私は)身構えることとなる。
あ、本腰を入れた。この流れはそのままkaleido proud fiestaに繋がるぞ、と。
サンポサキマイライフは、明らかにkaleido proud fiestaに向かう意思を持ちながら演奏される。ミドルテンポの曲で締めに向けてじわじわ上げてきているな〜、とは感じていたが、ここで明確に舵を切るのだ。基本的に観客を驚かせながら進んでいくユニゾンのセトリが、分かりやすく方向を示す。その珍しい現象は、観客に期待と焦らしをもたらす。
曲調だけの話ではない。歌詞もだ。「5分後のシーン」が「3分間のドラマ」に、「史上最重要なドラマが控えてる」になりつつあるし、「何十億も用意される「絶景かな」のあみだくじ」が「きれい過ぎて忘れられないような ような 景色になる」ための下準備になっているのだ。
ここに気づいたとき、すごいなあ〜と思った。
まず第一に、初参戦でこう感じたこと。歌詞がどうとかそういう言葉のこねくり回しより前に、直感的に「あ、これ、来る」と思えたこと。
次に、直感的に「来る」と感じた曲の歌詞をよくよく見ると、伏線がばらまかれていること。
つまり、曲調と歌詞と、両方の要素がぴたりと同じ方向に向いているのだ。
どこまでが意図的なのか、どこからが偶然なのか、それは分からない。私の考えすぎかもしれないし、逆にすべてはセトリおじさんの掌の上なのかもしれない。「たまたまこの位置にぴったり合う曲があったぜ! HAHAHA! バンドを18年もやってるとこんな奇跡があるんだなあ!」ぐらいのものかもしれない。
極論、それはどうでもいいのだ。私がこうしてすっごいな〜最高だな〜と感じていること、それが最も大切なのである。
私「UNISON SQUARE GARDENっちゅうのはすごいバンドだなあ」
これで充分だ。
そんな相性抜群の曲のあとでオリオンをなぞるが始まるのだ。TIGER & BUNNYの始まりの曲。こうなると次はもうkaleido proud fiestaである。確定だ。歌詞の繋がりがどうたらとかいらないぐらいの自明。期待と焦らしが最高潮に膨れ上がって、そして、
かくしてまたストーリーは始まる。
はい、楽しかったです。最高でした。それくらいしか言うことがないのです。
これが運命だったんだ、期待してたかい? って、はいそうです! しか言うことないし。きれい過ぎて忘れられないような景色になってるし、見逃さずになぞっていくし、つまりI miss youはもう要らないし、あなたと僕だけで夢を見続けるわけです。
かくして快進撃は始まり、祝祭の鐘が鳴って、この曲はアウトロに向かうけれど……
「主人公」のその後に?
期待と焦らしを大爆発させてkaleido proud fiestaが演奏された。
それはそれは楽しく、最高で、幸せで、言うことがない4分間だった。
いやあ、最高の大団円だったねえ。
ただしライブはまだ続く。
さて?
という状況を一気に打破したのが、次曲だ。
全体的にものすごい完成度を誇るセットリストだと思っているが、私が一番好きなのはここだ。
この瞬間のためにチケット代を払っていたと言っても過言ではない。……いや過言か。でもそれぐらい痺れたところだ。
kaleido proud fiestaで「頂点」を味わった後、どうするのか。
下手なことをすれば興醒めしてしまう。かといって主人公以上に盛り上げることはできない。
そんな難しい役どころを担ったのが、to the CIDER ROADだ。
kaleido proud fiestaが終わって、止まない喝采の隙間から、なんだか聞き覚えのあるイントロが聞こえるような気がする。
あ! と思ったときには、既にその曲が始まっている(というか、よく聞くとkaleido proud fiestaが終わってすぐ、間髪入れずに始まっている)。
最高潮になった気分を一切盛り下げることなく、彼らは「もう迷わないで 早々に出かけよう」と、「本当は弱さは強くて 涙こそ道しるべ」と、「さあ、次はどこへ どこへ行こう?」と投げかけてくるのだ!
まるで「喝采のロードサイド 止まない未来の向こう側で 倒れちゃいそうな不安をみんな持ってる」へのアンサーではないか!
祝祭の鐘は鳴り続け、快進撃の勢いは衰えることなく続いていくのだ!
すごい! すごすぎる! イントロも曲調も歌詞もここに嵌めるのにぴったり! おまけにサイダーロードってなんかロードサイドって言葉に似てるし! 約10年前の曲がそのままアンサーになるなんて! UNISON SQUARE GARDENっちゅうのはすごいバンドだなあ! ほんとに!
……と、本当に思っている。最高の化学反応だった。ライブCDを聴くだけで泣ける。
to the CIDER ROADが終わると、少し切なさをはらんだセッションと共に「どうもありがとうUNISON SQUARE GARDENでした最後の曲です!」という言葉が飛び出る。
どうやらもう1曲あるらしいが、最高難度のポジションを埋めたto the CIDER ROADを次ぐに相応しい曲とは何だろう? ここでも主人公以上に盛り上げることはできないし、やはり難しい役どころであろう。「ラスト」と「主人公ではない」を両立できる曲なんてあるのだろうか?
あった。10% roll, 10% romance。
知人に同じく物好きがいるのだが、その人が「この曲で締めるのが意外だった、そういうイメージの曲じゃないから」と言っていて、確かにと思った。いわゆる締め曲のような底抜けの明るさは、この曲にはない。
この曲にはこんな歌詞がある。
「あちこちの街角がざわつく そうか どこにでも主人公は芽を吹く だってそうじゃなきゃページはめくれないんです わびさび 気を付けて!」
こういうことを言うのは、主人公ではない。主人公以外が、主人公を見て言うことだ。
つまり、この曲は「主人公」たりえない。
だが「片足ずつでいい キャンバスに ta-ta-la-ta 踏み込んだら You see the light! 奏でたまえ! ねえ」と、未来を見据えている。
主人公ではないが、未来を見据えた歌詞。それにぴたりと沿うメロディーライン。
普段はラストの曲が頂点だからこの曲はその役割を担わないけれど、今回は?
今回は、今回は……これしかないじゃん……すごい……すごすぎる……UNISON SQUARE GARDENっちゅうのはすごいバンドだなあ……
と感嘆させられっぱなしで、kpfは終わりを告げるのだった。
本当にとんでもない構成を見せられた。ほぼすべてが主人公たるkaleido proud fiestaに向けた伏線で、それが終わってなお未来に向けて快進撃は続くし祝祭の鐘は鳴り続ける。ライブの名前である「kaleido proud fiesta」を最大限に輝かせる構成だった。まじですごい。
ところで、最近のユニゾンにとってアンコールはおまけだと思っているので(=物語性とかないと思っているので)特に言及しない。
が、シュガーソングとビターステップの使い方については目を見張るものがあったと思う。
この曲はいろいろな要素を取りそろえた万能薬みたいなもので、どこに入れてもいい仕事をする。
今回はテンションが上がり切ったライブのアンコールに入れることで、その知名度と完成度の高さからくる「爆発力」を最大限に活かしたように思う。
ああ〜いいライブだった。大好き。
セットリストで体現するカオス――「fiesta in chaos」より
セットリストをなぞる
このセットリストについて、セトリおじさんはこう語っている。
この言葉通り、ficのセットリストは「起転結」だろう。「序破急」ともいうか。オーソドックスな起承転結とはまったく違う、まさに「カオス」な構成となっている。予測不可能なジェットコースターみたいだった。
ficはkpfの続き扱いのツアーであるため、歌詞の繋がりがどうたら、みたいなものはあまりない印象を受ける。それよりは、いかに既存の曲で違う味を出せるか? みたいな縛りプレイをしているように見える。本編の締め曲で開幕するのもまさに「正統派続編」と言う感じでワクワクするし、「7枚目!」からの「I need 8」も続編っぽさ(?)を感じる。
つまり言うなればこのficのセットリストは「新規」ではなく「続編」とか「味変」になると思う。違ったらごめん。
といっても、今回の新譜「放課後マリアージュ」を異端者にしないための下準備はかなりされていると思う。
ficの追加曲であるcody beatsには「何度も繰り返して大人になる そんなのちっともかっこ悪くないよ」という歌詞があるが、これは「これが大人になる手順だからポッケに入れとこうね」に繋がってくる。
スロウカーヴは打てない(that made me crazy)のラストのリズムを変えてイントロに入る遊び心も加わって、放課後マリアージュもまるでずっと「いた」かのような馴染みようになるのである。
前作主人公の立ち位置
さて、前作主人公であるkaleido proud fiesta、今回この曲はかなり曲者というか、立ち位置がすでに固定されていたように思う。
最後の方で満を持して登場するのは前回やったし、アンコールの頭で出るのもfun time HOLODAY 8でやった。
でも今回のライブは「fiesta in chaos」なので、この曲は表題曲である。無碍に扱うわけにはいかない。というか扱えない。曲単体が持つポテンシャルが高すぎてどこに入れても強いし、カオスが極まると喧嘩する可能性だってある。それは困る。カオスが極まるこそ今回の新譜、肝心要になるのだから。
ということで決まった位置が盛り上げ役の華としての3曲目、かつ「起転結」の三部構成であるように思う。
三部構成であるがゆえに「起」の部分が長いので特にその後のブロックに干渉しない。
長めのブロックであるが、kaleido proud fiestaは強いので、その中の核をきちんと担えている。
配置が「起」なのでライブ全体の核にはならない。
いい位置だ。kaleido proud fiestaの強さも、カオスが極まるの強さも余すことなく利用できる、とてもいい配置だったと思う。
極まっちゃう? 極まっちゃう!
ficでも、kpfと同様に「あ、来る!」と身構える瞬間がある。フィクションフリーククライシスのイントロだ。
この曲の状況、わけがわからない。自意識がクライシス迷子しているらしい。まあ、まさにカオスの始まりって感じなのだろう。またまた曲調でも歌詞でも「来る!」を確信させるユニゾンすげえなあって話。
Hatch I needも、「十人いりゃゆうに二十色」らしいし、これもカオスである。ちなみに「散々ぱら端折って 行儀良く侮ってんじゃねえよ」は「邪魔だ、すっこんでろ」に進化する。つよい。
流れ星を撃ち落せは「好き勝手やる君はマジでヤバイ」が、この次に来るのが「やばすぎんだろ」なのも痺れる。
カオスなダウナー系クール曲(という分類が正しいのかはわからん)3連発ののち、満を持して追加同期音のイントロが会場中を揺らす。
話が逸れるがこの追加イントロがすごく好きだ。ficでもNPでもブチ上がってしまった。問答無用で「キターーーーーー!」という気持ちになれる。あれすごい。カオスが極まるはしばらくセットリストの核からは外れそうな気がするが、いつかまたやってほしい。
入れどころを見失ったからここに書くが、スロウカーヴは打てない(that made me crazy)は「How crazy is that feeling?」で繋がっているのだろうな。
さて、kpfと同様、この曲はライブのラストではない。
でも大盛り上がりだった。じゃあ次はどうする?
という疑問は、最後の歌詞がそのまま体現している。
「極まる」は「ぎりぎりの状態まで達する」という意味であるが、この完了系の「極まってしまった」には「ぎりぎりを超えた終わり、完成、ブラックアウト」のようなイメージがあると思う。
そう、「かつてないデッドヒート 極まってしまった」で、この転パートはスパッと終わり、なかなかの長さの静寂が訪れる。この盛り上がりは「極まってしまった」ものであり、後に続けるものではないのだ。
曲の持つイメージ、歌詞の持つ意味両方に沿ったきれいな終わり方だと思う。奇しくもkpfとの差別化もできている。大胆かつ心地よい味変だ。
その後の結パートでは、春が来てぼくらで柔らかい雰囲気を作りながらシュガーソングとビターステップでボルテージを上げ、フルカラープログラム、箱庭ロック・ショー、シャンデリア・ワルツといった定番の曲で明るく締める。
まるでつい先ほどまでカオス一色だったとは思えないほどの明るさ・ポップさである。これもやはり「極まってしまった」の言葉に準じているのだろう。「曲の雰囲気では匂わせない」ことで「歌詞の意味を匂わせている」ように感じた。粋だね。
ちなみに私は毎回、kpfのto the CIDER ROADの「多分まだ世界が好きで 飽きたらないから」を踏まえてフルカラープログラムの「ちょっとだけ世界と仲良くなったあなたは 今 誰よりも高く 高く飛んだ」を聞いて「よかったね……」と思っていた。
おまけ。
君の瞳に恋してないが本当に大好きで、もうこの曲に何度救われたか! ってくらいなので、初参戦のときイントロが流れた瞬間泣きました。生で聞けて嬉しかった。またやってね。
18年目、最新のシングルツアー
2022年のシングルツアー2本では、ずっと続く祝祭とやがて生まれた混沌とを、どちらも余すことなく堪能できた。
タイトルに掲げられている曲を全力で盛り上げること。カップリング曲、旧譜といった物好きへのご褒美。祝祭と混沌という相反する要素を双方殺さないこと。半分同じ曲を使いながらの味変。
これらを全て叶えられるのは、18年バンドを続けてきた彼らだからこそであろう。それは積み重ねてきた年月と曲数の話でもあるし、彼らの進化がとどまるところを知らないからだともいえる。
結成18年、2022年のUNISON SQUARE GARDENが成せる至高のシングルツアーを2本も堪能できたのはこの上ない幸福だった。現場で何も考えずに浴びても楽しいし、こうして終わってからちまちまと意味とか伏線とかを考えても楽しい。総じて本当に楽しいツアーだった。
さて、次はNPの2本目だ。
1本目では、熟した彼らの変わらぬ核を見られた。
では、2本目では、何を見せてもらえるのか?
以下にセトリおじさんの言葉を引用しよう。
うーん、わからない。一介の物好きには到底予想できないや。でも、面白いらしい。単なる「続編」には収まらないらしい。とにかく驚きに満ちた2本目になりそう? 「長く続けるとこんなことができるのね」って、やっぱり19年の積み重ねは奇跡のような合致を産むのだろうか? 期待は膨らむばかりだね。グング〜ン。
グッズやリリース状況より、フレーズボトル・バイバイ、いけないfool logic、あまりに写実的な、この3曲が入ることだけがなんとなく期待できる……というなんとも不安定なツアーを、今回もまた楽しんでいきたい。
↓私にしか見えないコメント欄
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