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NSCでの木村祐一さんの貴重すぎる授業


村上芸人自伝、これまで5回の投稿がございました。
そこでは、NSCに一人で入り、コンビを組み、コントを作るようになり、評価もされ始め、ライスと池田と話すようになり、Sくんとのコンビ“ピスタチオ”を解散し、池田と… みたいなところまでの流れを書いてきました。
そして、6回目となる今回ですが、今までとは少し角度を変えた記事を上げさせてもらいます。
前投稿の最後にも話しましたが、ここでは一年を通して僕にとって大きな存在となった“木村祐一”さんの授業のことを話したいと思います。
なので、池田とコンビを組むことになるエピソードはまた次回以降に書いていこうと思います。


2003年、春。
17年前NSCに入学する上で、心から楽しみにしていたものがありました。
それは、通称“キム兄”こと木村祐一さんの講義があるということ。
学生時代にかぶりついて見ていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」でヤワラちゃんのパロディー“キムラちゃん”というキャラクターを演じていた、あの木村さん。
「一人ごっつ」で松本さん、板尾さんと大喜利をしていた木村さん。
その憧れの木村祐一さんにお会いできる上に、お笑いを指南してもらえるということに期待で胸がパンパンに膨らんでいました。
木村さんの授業は大体月1のペースでやってきました。
その内容は、他の講師の方々のネタ見せとは違いト ークや大喜利などを披露する、というものでした。
そして、一年を通じてポイントを積み重ねていく(1回の授業につき、最優秀者には200pt、優秀者には100ptが与えられ、年間で1000ptを目指す)システムの授業でした。
その初めての授業のことを今でも覚えています。
失礼な話ではありますが、授業前の教室内に広がる緊張感は他の講師のそれとは桁違いでした。
誰も一切喋ろうとしない静かすぎる空間。
少し離れたある生徒の唾を飲み込む音すら聞こえてきたくらいです。
授業開始時間になると同時に、ゆっくりと扉が開きました。

「(木村祐一だ!)」

まだ素人感が抜けきれていなかった僕は心でそう叫んでいました、完全に呼び捨てで。
とにかく、放つオーラが違いました。
実際の大きさよりも何倍にも見える。
誰かに指示された訳でもないのに、木村先生が登場するや否や、生徒全員が物凄い勢いで起立、大きな声で「おはようございます!!!」と言っていました。

「おはよー、全然座っていいで」

第一声から迫力と優しさが半端ない。
そう挨拶をした木村さんの舌の根も乾かぬ内に、早くも授業内容が発表されました。
前述しましたが、木村先生の時間ではネタ見せは行わない、大喜利などをやっていくとのことでした。
木村先生の前で大喜利ができる、NSCってのは何て夢があるんだ。
そうして、心の準備もできぬまま1回目の授業が始まりました。
その日の内容としては、挙手制で当てられた人間は挨拶がてら“過去に自分の身の回りで起こったこと、自分が思っていることを話す、またはギャグをやりたかったらそれでもいい”という自由なテーマで好きなことを発表するというものでした。
始まると同時に、思い思いに手を挙げていく生徒たち。
発表を聞き終えた木村先生はそれに対してアドバイスや感想をくれます。

「ヤベェ…」

僕は感動しながら、木村先生から発せられる言葉に耳を傾けていました。
4月には一度もネタ見せをしなかった僕もこの授業だけは積極的に参加しようと手を挙げていました。
そして、とうとう僕の番がやってきました。
考え悩んだ挙げ句、女手一つで僕を育ててくれた母親の話をすることにしました。
先に結果を言います。

僕は最優秀賞を頂き、200ptを獲得しました。

それはどんなものだったかこの後に紹介します。
そして、その後の授業で僕が発表したものを沢山書き連ねたいと思います。

※今でこそお世辞にも大喜利が強いとは言えない僕ですが、この一年に関してだけ言えば何故か絶好調でした。僕の大喜利史において、どピークでした。


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