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芸人と思えぬ合コン、そして“しずる”結成


村上芸人自伝も今回で7回目を迎えました。
これまで、NSCに入学してから半年間で起こった出来事を振り返ってきました。
人に歴史あり、とはよく言ったものですね。
僕みたいなものの半生でもそれなりに密度があったんだなと色々と思い出しながら楽しく書かせてもらってます。
そして、それに付き合ってくださる皆さんには本当に感謝しかありません。
そんな今回の記事ですが、2003年も秋を迎えライスや池田たちとのグループでどのように過ごし、しずるがどのようにして結成されることになったか、そんなところをお話したいと思います。



Sくんと“ピスタチオ”を解散し、独り身となった僕。
そして、同じくして“チョコサラミ”解散後、フリーになった池田。
そんな二人はライスを含めた1つのグループで毎日を共にしていました。
授業が終わった後も僕たちは飽きることもなくずっと一緒にいました。
品川駅の港南口の広場でずっとくっちゃべっていました。
ちなみに、西大井駅がNSCの最寄りの駅なのに、何故わざわざ品川まで移動していたかと言うと、西大井の駅前のお店やらコンビニやら何もかも全て、NSCの生徒は全員出禁だったからです。
すぐ騒ぐし、金も落とさない。
そりゃ、経済も回さないうるさいだけの蝿は近隣の人からしたら害でしかないですから(笑)。
夏の終わりくらいにオープンしたマックも二週間も経たずに出禁措置を発動。
秋頃になると、駅前で一秒として立ち止まるなと学校から指示されていた程です。
おちおちSuicaのチャージもできません。
マグロと同じ、止まることは死を意味していました。
だから、そんな僕らは品川駅へと逃げ込み息をしていたのです。
そこでは、ネタ合わせをするというよりただただくだらないことをして過ごしていました。

池田は田所に自分のケツを蹴らせ、「スパン」と声を発しその衝撃を口から逃がすみたいなことをずっとやっていました。(説明しててもよくわかりません)
関町は背中に両手を回し、指で丸い形を作り、それを8を倒したように横に繋げ「ん~ 背中無限!」と言い続けていました。(説明しててもよくわかりません)
田所の誕生日には、みんなで何を送ったら面白いか考え、結果的に生の鶏肉にクリームを塗り付け、そこにろうそくを立ててお祝いをしました。(説明してて恥ずかしくなってきました)
そんな風にして、品川駅ではその時の僕らにできるお笑い(?)に全力投球でした。(ある日、嵐の二宮くんが堤幸彦監督のドラマ撮影をしていたことがあって、圧倒的敗北感に押し潰されたことは忘れられません )
それでも、僕たちは僕たちなりの幸せを感じながら青春を謳歌していたんだと思います。

そして、そのグループで品川駅以外でも一度だけ課外授業がありました。
『合コン』です。
男ばかりでワイワイしてるのではなく、「やっぱり女子を笑わせたりもしないとな」と奮い立ち、ある日に男6人くらいで集結しました。
僕の兄の女友達の方に幹事をお願いして、女の子を集めてもらいました。
しかし、そこで問題が起こりました。 

集合場所に指定されたのは、なんと銀座だったのです。
芸人0年目のイモ野郎の僕らは、それだけで完全に萎縮していました。
そんなバッドコンディションのまま女性グループと落ち合い居酒屋へと向かいました。
ですが、銀座への緊張からなのか誰一人女子と会話することもなくお店に到着。
僕らはマイナスからのスタートを強いられました。
しかし、そこに僅かな光が射し込みます。
辿り着いたのは、『北の家族』。
銀座だからさぞかしお高いところかと想像していましたが、学生に味方のリーズナブルなお店。
安堵した僕らは息を吹き返しました。
テーブルに着き、頼んだ飲み物も運ばれ乾杯。
関町はメガネの下で目をキョロキョロさせヘラヘラしています。
田所は何故かポーカーフェイスでクールを気取っています。
池田は誰も信頼していないのか、ショルダーバッグを下ろさず体の前で抱えたままです。
僕はずっと鼻腔が広がり続けています。
すると、ある女の子が口を開きました。

「皆さん、何をされてる方なんですか?」

男性陣みんなの動きが一瞬止まりました。
互いの様子を伺う男たち。
何故でしょうか、誰一人として「芸人です」「お笑いの学校行ってます」などと言う気配がありません。
これ以上変な間を与えてはいけない、そう思った僕は答えました。


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