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芸人を志してから初めての評価、そこからの人間関係

吉本の養成所に入り、最初の1ヶ月はネタ見せなど何もせぬまま過ごし、ようやくSくんと“ピスタチオ”というコンビを組み、漫才をするも撃沈し、次はコントに切り替え、生まれて初めてネタをしてウケるという体験をし、コントというものに開眼した17年前の僕。
村上の芸人自伝、前回までのあらすじはざっとこんな感じでしたね。
そんな今回は、Sくんとどんなコントを作っていったか、クラスでどんな位置になっていったか(ライスと池田も含め)、夏合宿というものに参加しどのように局面が変わっていたか、ライス池田との初めての接触、そこら辺を書いていこうと思います。


“子供電話相談室”というコントで何とかウケることができたピスタチオですが、NSCの一年はまだ始まったばかり。
週に2回あるネタ見せの授業はそれからどんどん続いていくことになります。
そして、僕たちが次に披露することになったコント、それはアラビア語を取り扱ったものでした。
前々からアラビア文字って何か面白いよなと思っていたので、それをコントに取り入れようと思ったのです。


إشتقت إليك كثيبخير شك


これです。
しかも、これ右から書いてるんですよね。
このヘンテコな形の字は何かになりそうだなと思った僕は、アラビア文字を大きな白い紙に何行か書き連ねて、それをホワイトボードに貼り付け、僕が先生役となって生徒役のSくんとテストを振り返っていくというコントをしました。
内容としては、アラビア文字を前にしても日本の普通の授業のように、普通によくある先生と生徒の日本語の会話をし「ここは引っかけ問題でした」などと言うんですが、見てる人からしたら文字の判別がつかないのでおかしく映るんじゃないかという狙いのものでした。
文字に起こして説明するとなかなか伝わりづらいものかもしれませんが、このコントはどうだったかというと、無事ウケました。
僕は単純で安直な人間です。
自分は天才だと思い始めていました。
そして、次に披露したコントは“セミクリニック”というものでした。
セミの患者がセミの先生のいる病院に訪れるというもの。

村上「最近調子悪いんですけど、僕4日目なんですよ。後、3日しかないじゃないですか?」
Sくん「ふんふん、じゃあ焦るよね~」

みたいな会話をするもので、これはややウケでした。
それでも、その前に2回ウケてるのでまだ貯金はあると、何故か僕は平気な面をしていました。

そして、それと並行した話を挟みますが、あの池田は池田でコンビを組んでネタ見せに積極的に参加していました。
その池田が初めて組んだチョコサラミというコンビは、結果から言うと、ウケまくっていました。
そこに加えてライスもずっとウケ続けていました。
そのようにして、6月までそれぞれのコンビが凌ぎを削る毎日を送っていました。
そんなネタ見せの日々が続いていく中、とあるシステムがあることを学校が発表しました。


《選抜クラス》というものです


それは、2、3ヶ月ネタを見てきた各講師が400人いる生徒(当時のNSCは4クラスに分けられていてその合計の数です)の中から優秀だと判断した10組前後を、新たに作られる選抜クラスというものに昇格させる、といったものでした。
それを聞かされた僕らはにわかにザワザワし始めました。
自分たちのクラス以外にも勿論色んなコンビがいる。
その中で選抜に選ばれることは誰もが望むこと。
僕は何としても選抜クラスに入りたい、そう強く思っていました。

そして、その週から次の週にかけて5人ほどの講師の選抜クラスに選ばれたコンビの名前が掲示板の紙によって次々と発表されていきました。
僕は少なくとも3つは選抜クラスに入りたいと思っていました。

その結果、他のコンビから言うと。

ライスが4つのクラス。
チョコサラミが2つのクラス。
(他のクラスだと、オオカミ少年が全部、ハリセンボン全部、囲碁将棋4つ、天狗4つなどというものでした)

そして、僕たちピスタチオは…

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