「書きたいときに読み、読みたいときに話し、話したいときに書く」

「書きたいときに読み、読みたいときに話し、話したいときに書く」。

 いまぼく、そしてぼくら全員の心に渦巻く感情、その内実は「知識欲」と近いのかもしれないが単純にそうと言明してしまうことに対しては一抹の不安を抱かざるを得ないものなのだが、それをどう解消あるいは昇華するかの問題に対してぼくの出しうる答えはやはり文章を読む、声であったり動く画であったりを浴びるのではなくテクストを目で追い、そこに書き付けられ伝えられようとした内容らしき像を結節しようと努力する行為なのであるということをわかってきている。しかしまた、このぼくがこの行為を行おうと思うときに同時に浮かび行くこの微妙な感情、要領をえない言い方をすればそれは「どう読むか」という新たな疑問について如何に考えるか、そのやり方は全面的にぼくに委ねられており、それこそがここに潜む真の問題の正体であると感じつつも悩まざるを得ない。

こんな駄文は少なくとも書くべきではない。たぶん。ウルトラタブン。

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