気晴らしに書いてみた

内戦について【前篇】
 
 
 まず、「統合する力」がやってくる。混沌に秩序をもたらそうとする試みはまぎれもなく統合であり、それにとどまることなく他の秩序をも併わせようとするのもまた統合する力の顕れである。
 個を一に併わせようとするこの力は、ある時点まで拡大を止めない。一度その力を発現させ、単一秩序をできうる限り遍く行き届かせようとする思潮が生まれたとき、やがてどうしてもその秩序に従わず、起こりうる衝突が混沌をもたらすと明白に理解されるまで、統合する力は顕在だ。「妥協」と「脱落」、あるいは「完了」が試みを停止させるまで、人間は内に統合への情動を持つ。
 人間に対する「分離する力」は、統合に対する抵抗として顕れる。統合する力にその手を委ね、新たなる秩序建設に参加しようとする者が活動を始めるとき、そこには必ずやその秩序を毛嫌いし、統合を破壊しようとする者も現れる。彼らは秩序を嫌うわけではない。彼ら自身の個としての共同体を至上のものとし、その固有性を強調し、彼らならざる者が唱える普遍にひれ伏すことを拒絶する。帝国に反抗する彼らは、帝国の内部から湧き上がる。統合する力のなかから、分離する力が顕れる。
 あるいはここに、別の問題を見出すことも可能だ。つまり、人は統合するためにこそ分離するときもあるのではないか。ある共同体の統一を強めるために、一に決して結合されえない者を排除し、隔離することもありうる。統合の理念としてあらかじめ排除の論理が組みこまれている場合もあれば、より強い統合するかを発揮するために、より強く分離の力を働かせる場合もある。
 いずれにしても、統合する力、すなわち帝国においては「包摂する力」は、いつかは尽き果てる。そのとき、排除する者が排除される者におよぼす一方的な暴力が数々の悲劇をひき起こしたことは隠しようもない。
 
 広く大衆による政治参加は、リベラリズムの基盤の一つである。現代においては、一般に「民主主義」体制以外にも、ほとんど全ての体制において、市民、または人民による統治がその正統性を保障している、近代以降に現れた独裁的な体制とされるものについてさえも、近代以前のそれとは対照的に大衆の支持をその基盤とし、その正統性を強化する材料として利用している。このようにして、近代とは「政治の拡大」を特徴とする時代となった。いまや政治は、人々の生活のほとんどの領域を覆っている。
 それはつまり、「公的領域」が「私的領域」を侵食しつつ拡大しているということだ。リベラリズムが浸透している社会において、その構成員が自らの私的領域のみにとどまることなく、公的領域へと積極的に介入していくことが善とされている価値観が人びとを支配しているのも、その拡大の顕在化の現象の一つだろう。もはや我々は中世の農民ではない。市民としての自覚が必要とされている。その自覚とはすなわち、倫理と責任感を持ち、政治参加の意志をもつべきとする規範である。この規範を獲得することを、近代社会は「成熟」と表現する。
 さて、政治とは、多を一にする営みをいう。その過程において、友と敵との峻別が必要となる。この作用は、政治を行う際の前提だ。人びとは政治参加のために徒党を組む。そして、自分たちの主張をできるだけ大きな盛り上がりのなかで実現させようとする。そのために、他との連帯を模索し、あるいは相入れない勢力を排除する。こうして、あるひとつのイシューに対して、味方と、その反対者たちとの峻別が為される。あとは、表決、判決、妥協、圧倒のいずれかの方法により、方針はひとつに定まる。
 内戦は、政治という営みを無秩序、無制限に拡大させた結果として起こる。社会のなかで、諸勢力の均衡を図る作用が失われてしまうと、ときとして悲劇的事態に至るまで暴走の歯止めも失なわれ、内戦にまで発展する。そして、その国の内部の社会を徹底的に破壊し、混沌がもたらされる。内戦は、社会内部に起こる最大の問題である。いったい、人びとに内戦を引き起こさせる力の源泉とは何だろう。その一つに、先に述べた「成熟」の問題があるのではないか。人びとが成熟し、より良き市民へと変化するということは、政治に敏感になるということだ。揺るぎない信条を持ち、正義が何かを常に考え、自分にとって決して同意することのできないものを意識する。そのような思考が個人的なレベルにとどまっているならまだしも、集団的に行なわれる場合、もはやそれは党派性を際だたせる機能しか持ちえない。峻厳な党派対立は、否応なく激しさを増してゆく。そしてときとして、内戦という悲劇に至るのだ。
 
 内戦は戦争の一形態である。古代以来人類は、国家という枠組を基本として、戦争を繰り返して来た。時代と地域ごとの差異によって、戦争の形態は変化する。近世ヨーロッパにおいては、主権国家体制の下、絶対君主たちが常備軍を整備し、彼らの利益をめぐって戦いを展開した。時代が下り、国民国家のシステムが浸透すると、リベラリズムの影響により国家の戦争遂行体制は強化された。近世以前、戦争は君主の資産が尽きると停止した。ヴァロワ朝フランスの君主フランソワ1世との幾度にわたる戦争の中で、ハプスブルク家のカール5世は財政難に悩まされ、ドイツの富豪であるフッガー家から借財を重ねた。そうした事情はフランソワ1世にとっても同様であり、両者がついに首が回らなくなったとき、長年続いた戦争は終わり、カトー=カンブレジ条約で両者は講和した。
 近代では、フランスのナポレオン3世は人民投票により帝位を手にし、大衆的支持を基盤に対外侵略を繰り返した。イギリスは議会制民主主義によって、国民の支持得られる限り、予算の議決によって無制限に戦費を捻出できるようになり、国立銀行制度による国債の発行ともあわせて強力な体制を構築し、このことは帝国主義の時代にイギリスの覇権の源泉となった。リベラリズムとは、ある一面では国家の権力を増大させる機能を果たす。ヨーロッパのいくつかの国はリベラリズムを基調とする社会の改革を行い、産業革命の成果とともに国力を発展させた。その結果、19世紀の中頃には数カ国の強国が世界の覇権を握る列強体制が確立した。この体制により、少なくともヨーロッパ内部では戦争が減った。この見かけの平和は、20世紀初めまで続いた。
 1914年に勃発した第一次世界大戦は、いわば列強体制によって保たれていたかりそめの平和を破り、新たな戦争の時代をひらくものとなった。近代ヨーロッパの生み出したもの全てが第一次世界大戦になだれ込み、変容し、衰退し、強化され、そこから流れ出す地下水は現在もなお我々の目前にその脈流をあらわし続けている。それは帝国主義であり、全体主義であり、ナショナリズムであり、共産主義である。この戦争が発明した総力戦という概念は、その講和のあまりの拙なさゆえにすぐさま次の大戦に流用された。人類は1945年までのこの時代に想像を絶する悪を為してしまったのだ。これは、近代という時代の敗北であり、後続する時代を導くものとなるはずだった。しかし、我々はまだ両大戦のあと処理を終えてはいない。実際、悲劇はいまもなお続いている。
 第2次世界大戦後、徐々に形成された国際秩序は新たな列強主義とも呼びうるものだが、人類は教訓めいたものを手にし、秩序の安定に活用した。2度の大戦はいずれも、列強同士による2つの同盟が勢力の均衡をくずしたときに勃発した。新列強体制は、米ソという2つの超大国が核兵器を保有し、相互に破滅の恐怖を確証することで確実な勢力均衡を図るという体制だった。こうして人類は、いつ自分たちの星の命運が尽きるとも知らぬ不安に打ち震えながら、多くは冷たい平和を享受できた。列強のメンバーには少しばかりの交替がありながらも、1990年代に至るまで均衡は破られていなかった。誰もが予想していた第三次の大戦は起こらなかったばかりか、いくつかの例外(フォークランド紛争、中越戦争、イラン=イラク戦争、4度の中東戦争)を除いて、国家間戦争も鳴りをひそめた。
 
 我々は20世紀の間、いくつかの「大きな物語」が見せる幻影に酔わされていたのだ。世界各地に残る戦争の傷跡は覆い隠され、いつまでも続く安定の時代をついに得たのだという錯覚が蔓延した。米国をはじめとする西側諸国は、ソ連の脅威を意識しつつも、これまでの戦費を経済発展のための投資に回すことができ、開放的な社会を実現した。若者による戦後秩序への異議申し立てを受けつつも、高度な産業資本主義に基づく大衆消費文化を謳歌した。東側諸国は、ソ連による強力な統制に苛まれ、ときに反発の動きが大きな波となったこともあったが、いずれも強い秩序の力によって抑え込まれた。計画経済と全体主義の下で人びとのかつての活気は失われたが、停滞ただようなかでも豊かな文化が紡がれた。近代以前の歪みの構造が共産主義という普遍理念の下でないものとされ、民族対立は存在しないとされた。あるいは宗教についても緩やかな弾圧政策が採られ続けたが、その他の文化政策も含め、粛清の時代と比較すればはるかに穏やかで、人びとは小さな安定をしていた。第三世界と呼ばれた地域では、人びとは抑圧的な体制の下におかれた。帝国主義支配から脱したこの地域において、アジアの開発独裁の国は政治的安定と引き換えに国民の権利は制限され、ラテンアメリカとアフリカ諸国では度重なる軍事クーデターによって混乱が続いた。
 冷戦期という名の新列強体制の時代は、世界全体の均衡と、これら「周辺」の各国の無秩序が両立し、見せかけの平和の裏では内戦が相次いだ。内戦はいずれも、国内の党派対立が表面化したものだが、東西対立の構造をそのまま反映し、代理戦争の様相を呈したものが多かった。その中でも朝鮮戦争とベトナム戦争はとりわけ悲惨であり、時代の問題点を浮き彫りにした。民族対立と同様に、イデオロギー対立は人びとに膨大な憎悪を呼び起こし、内戦を泥沼化させた。大国による新たな帝国主政策による介入も事態を悪化させた。こうして、世界平和の到来への希望は砕かれた。世界規模の秩序が各地域のレベルでも維持され、しかし民族やイデオロギーのすれ違いにより生じた憎悪が均質を崩すと、途端に内戦へと発展した。「戦争」の形態は、もはやほとんど内戦によって占められた。
 1990年代に、秩序は揺らぎ、力を失った。そこから前時代に蓄積されたものが一気に墳出し、混沌が満ちあふれ、収拾がつかなくなった。その混乱はソ連の権威の失墜と、その後の崩壊により始まり、決定的に拡散された。
 ソ連は以前からのブレジネフ体制下の停滞の淀みのなかで、その国力の陰りを見せていた。陣営対決のために積み上がった過大な軍事費の圧迫は顕著であり、このままでは体制の存続がありえないのは明らかだった。そこに登場した若きリーダーであるゴルバチョフは、ウクライナのチェルノブイリで発生した原発事故を契機に改革を進め、外交的な融和も図った。彼は、ソ連体制の強化のための政策を周辺の党官僚とともに進めようとした。しかし、その政策の性急さや独善さが目立ち、また体制自体への批判の封じ込めは引き続き行なわれた。この態度は内部の保守派と急進改革派の双方を反発させた。ソ連による統制下にあった東欧諸国は、50年代からの十数年では達成されなかった自由を達成するべく大衆的な運動を展開し、各国は共産主義を放棄した。
 しばらくしてソ連も、91年の8月クーデターなどの保守派の巻き返しに急進改革派が対抗するかたちでゴルバチョフのソ連共産党主流派を抜きにした目まぐるしい情勢が展開され、結局ソヴィエト共産主義は排除され、のみばかりか連邦自体さえ瓦解し、連邦構成共和国は独立した。連邦の下に集った諸民族を結び付けていた共産主義が取り払われたことは、後に大きな影響を与えることになる。
 連邦内で主要な地位を占めていたロシア・ソヴィエト社会主義共和国はロシア連邦に改まり、民主派のエリツィンによる政治、経済分野の改革が進められたが、急激な資本主義化は不平等を拡大させ、不満が高まった。そのなかから、プーチンの全体主義政権があらわれてくることになる。いち早く連邦から離脱したバルト3国は欧州の輪の中に加わっていった。ベラルーシとウクライナは同様にはならず、ロシアと欧州との間で独立を保つことに悩まされ、ウクライナは複雑な変遷をたどりながら欧州への接近を図ったが、国内に民族対立を抱え、簡単にはいかなかった。中央アジアの五カ国は、独立後徐々にソ連時代の影響を排除しながら周辺国の間での立場を模索しつつ、イスラーム過激派への対応に苦慮することになった。
 90年代以降自由化の道を歩むことになった東欧諸国のうち、チェコスロヴァキア、ポーランド、ハンガリーは平和的に非共産主義化、民主化の改革を進めた。少しして、チェコスロヴァキアは従来の形式的な連邦制を終了させ、チェコとスロヴァキアが独立した。これには、共産主義時代からの部分的自治によりスロヴァキアの人びとがプラハのチェコ人たちによる支配への反発を感じていったことが大きい。こうして、1918年10月18日以来存続したチェコスロヴァキアは、1993年元日、幕を閉じた。チェコスロヴァキア主義を唱え、強力な民主主義を確立したトマーシュ=ガリグ=マサリクの思想をどのように受け継ぐかがいま問われている。
 一方で、ルーマニアとユーゴスラヴィアでは、大きな波乱のなかで共産主義からの離脱の試みを実行していくことになった。ルーマニアでは、チャウシェスクを指導者として、個人崇拝が盛んな独特な全体主義体制を建設し、国民は圧政の下におかれていた。1989年にそれが一挙に暴発し、政権が崩壊するとまたたくまたチャウシェスク夫妻は銃殺され、その後も不安定な政情が続いた。
 ユーゴスラヴィアにおいては、共産主義が覆い隠してきた様々な対立がまさに堰を切ったかのように表面化し、そこで流れ出た憎悪は、人間の諸々の悪を白日の下にさらした。ジェノサイドが今日的な問題であることが明らかになったのもこのときだ。ティトーを指導者とするパルチザンによりナチスドイツからの支配を自力で押し除けたコーゴスラヴィアは、ソ連とは異なる独自の自主管理社会主義体制を構築し、第2次世界大戦の負の遺産から国民の目をそむけさせることに成功していた。戦中、ヒトラーに心酔したクロアチア人ファシストのパヴェリッチは、クロアチア独立国という全体主義国家で多数のセルビア人を虐殺し、ぬぐいきれない歴史の汚点をのこしたのだった。そして、パンドラの匣に包まれていたその血ぬられた過去はつい湧き出て、悲惨なユーゴ内戦へと発展した。
 
 このジェノサイドの問題は、現下のウクライナ、イスラエル情勢においても黒々と我々の目の前にあらわれている。21世紀は、まぎれもなく内戦の時代である。それをとめるべき秩序はもはやない。後には、混沌だけが残った。
 
 
 では、希望はどこにあるのか。現実からは絶望が匂い立ってくる。世界は終わりへの疾走を始めたかのように見える。安易な逃避をことさら言い立てるのは浅ましいことだ。ぼくたちはここで、人文学の力を借りよう。人文学の知恵の源泉は、現実を超越する想像力にある。文学とはまさに言葉の力によって世界を再構成し、希望を導きだす鍵を我々に示してくれる。永きに渡る人びとの思想は、汲めども尽きぬアイディアを与えてくれる。世を満たす浅薄な言葉の数々は今の現実世界からあまりに遠くのものに見えてしまい、変わらぬ現実に苛立ちが募ることも少なくないが、ほんとうの価値を内にひめる人文学の豊かな蓄積は、それを乗り越えてゆく力を持っているのだ。これから書かれるべき後篇は、必然、希望を見出す作業となってゆく。
(終)

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