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【~連載~静岡の歴史を学ぼう136】Toshogu Shrine Museum Part2   久能山東照宮博物館  パート2    ’Sixteenth-Century European Clock’「16世紀のヨーロッパの時計」

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に連載しております。

久能山東照宮博物館と言えば、あの品を思い浮かべませんか?

実物のすばらしさをぜひ博物館でお確かめください。

久能山東照宮博物館


Toshogu Shrine Museum Part2

久能山東照宮博物館 パート2

’Sixteenth-Century European Clock’

「16世紀のヨーロッパの時計」

The most famous item in this museum is the ’Sixteenth-Century European Clock’ that King Felipe III of Spain gave Lord Ieyasu in 1611.

この博物館にある最も有名な品は、1611年スペインのフェリペ3世から家康公に贈られた「16世紀のヨーロッパの時計」です。

It is the oldest Western-style clock that can be preserved in Japan.

日本に保存されている西欧式の時計では一番古いものです。

The same period’s watch in such a good condition cannot easily be found even in Europe.

同じ時代の時計でこのように良い状態のものは、ヨーロッパでもめったに見ることはできません。

すみません。スペイン国王から家康公に贈られた金時計のレプリカです。

Why was such a valuable clock brought to Lord Tokugawa Ieyasu by King Felipe III of Spain in 1611?

なぜ、1611年に、スペインのフェリペ3世によりそのような価値ある時計が徳川家康公までもたらされたのでしょうか。

In September 1609, Rodrigo de Vivero, a former governor of the Philippines and his officials were on the way from Manila to Mexico.

1609年、フィリピン前総督のロドリゴ・デ・ビベロ一行はマニラからメキシコに向かっていました。

However, their ship was struck by a violent storm and it drifted off the seashore of Iwawada (the present Onjuku-machi).

しかし暴風雨に会い、岩和田(現在の御宿町)沖を漂流しました。

The local people managed to save 317 among the 373 people on board.

地元の人々は船に乗っていた373人のうち、317人を何とか救出しました。

The locals took good care of the survivors.

地元の人々は献身的に生存者の世話をしました。

Rodrigo de Vivero visited the 2nd shogun, Tokugawa Hidetada, in the Edo Castle and he also came to Sumpu to meet Lord Tokugawa Ieyasu in November 1609.

ロドリゴ・デ・ビベロは2代将軍、徳川秀忠に江戸城で謁見し、また1609年11月には駿府に来て、徳川家康公にも会いました。

Lord Ieyasu was much impressed by Vivero because the former governor was so loyal to his religion and King, living without any personal desire.

徳川家康公はその前総督が自分の私欲なしで、自身の宗教と王に忠誠を尽くしていることに感銘を受けていました。

At that time, Lord Tokugawa Ieyasu had his servant, William Adams, build two large Western-style vessels (Galleons) in Ito in Izu peninsula.

当時、徳川家康公は家臣のウイリアム・アダムスに伊豆半島の伊東で2隻のヨーロッパ式の船(ガレオン船)を造らせていました。

ガレオン船の模型 イメージとして

Lord Ieyasu had Japanese sailors send about 100 of the survivors to Mexico by maneuvering the ship made in Ito.

家康公は日本人の船員に伊東で作った船を操作させ、100人ほどの生存者をメキシコに送らせました。

The ship safely reached Acapulco in November 1610.

その船は1610年11月、無事アカプルコに到着しました。

The rest of the survivors were sent to Manila through different ships.

残りの生存者たちは別の船で、マニラに送られました。

The following year, Sebastián Vizcaíno came to Japan as an ambassador in the place of King Felipe III.

翌年、セバスティアン・ビスカイノがフェリペ3世の代理大使として日本にやってきました。

This clock was brought as a gift of gratitude at that time.

この時計はその時、お礼の品としてもたらされたものです。


参考資料:日本スペイン交流400周年記念

     通商交渉に夢をかける徳川家康と夢ついえた伊達政宗

     ~ロドリゴ・デ・ビベロの救出から支倉常長慶長遣欧使節へ~

     御宿町国際交流協会 編集・発行  

    家康公の時計  

    久能山東照宮博物館ホームページより

家康公の時計 右側面

  重要文化財『洋時計』のレプリカを「駿府城跡天守台発掘調査 発掘情報館きゃっしる」にて発見。左右の側面に精巧なデザインが施されています。

左側面

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