見出し画像

018 コロナ禍によってズレた世界線

実際のところ私も殆ど外に出ていない。もう1ヶ月以上は経つから、すっかり慣れてしまった。前の世界を正確に思い出せないほどだ。

世界は、この「奇妙で強制的なオールリセット」によって、「異なる世界線」に移行しようとしてる気がしてならない。まるでパラレルワールドへと、強制的にシフトチェンジされてしまったようにさえ感じる。虚構と欺瞞に満ちた「全ての余計なもの」が、気持ちよく葬り去られる瞬間に立ち会っている気分だ。

「かつての」インスタ映えに変わるものは、せいぜい手づくりのごはんと、ズム飲み会くらいしかない。(アイスバケツチャレンジも嫌いだったけど、チェーンメール的なものが死ぬほど嫌いな私は、その手のシリーズものをみると北極のマイナス気温もびっくりの低温度の反応になる。まぁ、それもひとそれぞれだからいい。私の鬱陶しい投稿に辟易してオフにしてる人も多いはずだ。)
いずれにせよ、手づくりごはんや、ズム飲みや、大して読書家でもなさそうな人の本の表紙ばかり見せられても、心は「1ミリも」動かず、「なんの感想も持ち得ない」。そのことに気づいた人々は、このSNSという虚構の中での振る舞いに心底愛想がつき、すっかり忘れていた「内側から湧き出る創造性」に歓喜しているはずである。

そこら中で「やるやる詐欺」が、一気に解消しているはずだ。若かりし頃のように理由もなく「何か」を生み出すことに、夢中になっているはずだ。料理をすることは、誰かに見せびらかすものではなく自分自身をあるいは隣の人を喜ばすものであり、チーズケーキを作り続ける理由が「100パーセントかんぺきなチーズケーキ」のためかもしれない。見たかった映画や、読みたかった漫画を、山ほど読んでるひともいるだろう。思い切り昼寝して、意味のなく夜更かしして星を見上げているひともいるかもしれない。

すきなように自分のやりたいことを、各々が勝手気ままに思う存分、楽しんでいるに違いない。「国が推奨しているまたとないチャンス」なのだから。

もちろんこのコロナ禍のために、失業の危機に陥ってる人もいるだろう。しかしFacebookで立ち上がる「コロナ支援」として農家や海産物や食材が、投稿したそばから売り切れていくのをみるにつけ、この世の中は捨てたもんじゃないとつくづく思う。「どうせ買うなら誰かの役に立てるところから買おう」というのが、心情である。そのことで生産者も、リスキーな巨大なイベントに照準を合わせるのではなく、日々の個人の消費に照準を合わせるほうが、より安定した健全な暮らしができると気づいてしまう筈だ。「助けて!」と声を上げる小さな勇気さえあれば、きっと生きていけると思う。

それでも生き残れない業界もあるだろう。加速しすぎたホテル業や、観光業。「見せびらかすためだけ」に存在した、さまざまな、ブランドや、ファッションや、飲食もそうかもしれない。なぜなら見せびらかす場が存在しないのだから。ブランドや、イベント業界は来年の今頃、いくつ存在しているのだろう。

このコロナで航空会社も倒産してしまったら、前のように気軽に旅行にも行けなくなってしまう。私の趣味は、旅くらいのものだったから、気軽に旅に出られない世界は実に寂しいと思う。けれども物理的にできないことは、綺麗さっぱり諦めがつく。

行政的からの「おひま」が与えたれた「オールリセット」を経たあとで、今までの行動や振る舞いが「実にバカバカしい」と思う人もたくさんいるだろう。どうせ生きるなら、自らの「実にバカバカしい意味不明な欲求」に対して、忠実に生きてみようと思うに違いない。コロナ明けには、コロナ離婚とコロナ退社が続出し、東京から脱出する人も続出するだろう。

そうなってくると、「10年先の計画」をすることも、烏滸がましく思えてくる。オリンピックさえ、中止になるのだから。民間の巨大プロジェクトを「本当にやる」なんて、誰に約束ができるというのだろう。

この世の中に「かつて存在していた」過剰なまでの「欲望」や、あの懐かしい「承認欲求」や、烏滸がましい「計画」が、このコロナ禍によってすっかり消え去るのだ。

まるで、今の「澄み切った空気」のように、実に清々しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?