見出し画像

後白河上皇が33度熊野詣した熊野速玉大社にいってきた。

那智勝浦の熊野古道の旅。帰路です。仕事を終えた私は、熊野速玉神社に
立ちより、復路の安全を祈願しました。速玉大社にたちよったあとは三重県久居ICで高速を一度降りて給油。そのまま帰る予定でした。

仕事をした那智勝浦からバイパスにのって、新宮市に到着。この和歌山県新宮市の名称と熊野速玉大社は関係があるのです。新宮市に以前訪問した神倉山があるここに降臨した紙が新たに宮を設けたから新宮市というそうです。

曼荼羅絵

この他、新宮市には秦の始皇帝から「不老不死の薬をとってこい」と命令された徐福が遭難してたどり着いた場所といういわれがあります。
そのあたりの伝説が曼荼羅絵にかかれている。左上が神倉山。真ん中が熊野速玉大社、下が徐福です。右の川は熊野川

後白河上皇33回の熊野詣

熊野詣することによって世俗の罪をそそぐという意味もあり、最初は天皇や皇族が江戸時代には武士や庶民が続々と熊野詣をした。
ただ、当時の道は悪かっただろうから大変だったろうと苦労がしのばれます。動画を見ていただければわかりますが、高速道路は海か山を走りトンネルが頻繁に現れます。

神々が鎮座する場所
お参りします

熊野速玉大社にはイザナギノミコト、イザナミノミコトの他12柱の神々がまつられています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?