根底から覆された努力の定義


タイムマネジメントを始めて気付いたこと。



ベビーステップを踏むのが苦手で
なんでもヘビーステップから始めてしまうこと。



継続にフォーカスを当てたものじゃない、
今思うと目的地も見失っている、
とにかくやればいいとやり込めばいい
と、自分を追い込んで結果嫌いになる。

というのが、
今まで繰り返してきたことでした。

(  繰り返してきた辺り
 いかに頭を使ってこなかったかが
 バレバレで正直恥ずかしい )





今回もまた同じようにやってまして。

白目剥きながら本読んでなにが身になった?
と、自分の中から湧いた言葉にハッとして
タスクの組み方と優先順位を変えました。



何を学ぶにしても
何をするにしても

自分自身が壊れてしまえば本末転倒なわけで。

自分という器が不調なまんまじゃ
何も身にならない。



私のタイムマネジメントを始めた目的は

量だけをこなす
ではなく
質を量産すること



だからこそ、
まずは目の前の生活や自分を整えることから。





私は改めて
朝のヨガにしっかり時間を使う。

読書時間が減るのがイヤで
最終15分くらいの朝ヨガになっていたのを
1時間しっかり動くようにしました。




そして、
追加したのが瞑想。

昔はほんとに瞑想するのが辛かった。


雑念が湧かないことが正解
身体が浮くとか光が見えるとか
瞑想をする上でこうなることが正解

というようなものがあると思っていたから
それができない自分が許せなくて
頭の中が空っぽどころか
邪念でいっぱいだったなー。笑






今回久しぶりの瞑想で感じたのは
こんなにボーっとしていいんだね
っていう怠け者🦥に戻れた時間だった。笑

本来はやっぱりこちら側の人間だ。笑





毎日ほんとに時間が足りないと思っていて

毎日時間は同じだけあるのに
常に時間に追われるように
過ごしていたことにも気づけて
意識が、ないないないだったなと。


今日の午前中は
読書して読み終わってはないけれど
読んだところまでの振り返りと感想かいて
自分なりにまとめて
時間が余るという自体でした。笑



ないって不幸だし
あるって幸せ

無限って不幸だし
有限って幸せ



ひとつの学びを通して
後藤澪から学び直させてもらってるような
そんな日々が不思議でたのしい。



土台を整えた上で
どう学んでいくか?このやり方でいいか?
もっと上手くやれる方法はあるか?
を、考えながら改善と修正を繰り返す。

最終の目的地に向かう最善最短。


本にも書いてありましたが
やるだけなんて誰にでもできる

やって、
しんどいです!頑張ってます!
って示せば、凄いね頑張ってるね
なんて言われることもあるだろう。


でも、やるだけは楽してるのと同じ。

それを
努力とは言わない。
ストイックとは言わない。




もっと賢く生きることを軸に
変わらず、タイムマネジメント進めていきます!

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