自分に優しくの罠。



自分に優しくしよう!



という言葉から、

好きを仕事に
自由に生きる
やりたいことをやる



そんな言葉を
たくさん耳にするようになりました。



やりたくないことはやらなくていい
気分の良いものだけを取り入れる

綺麗な部分だけが
切り取られているように思う
「自分に優しくしよう」




自分に優しく。

私が思う
自分に優しくの定義は
自分自身の「未熟」を認めること。



「もっとこう在るべきだ!」から
完璧主義が生まれて
未熟である自分が許せなくなる。

「もっとこう在るべきだ!」から
他人に対してもそこを求めて
周りにいる人を不幸にしてしまう


「私は全部知っている」から
傲慢が生まれて
正義や正しいを押し付けるようになる

「私は全部知っている」から
狭い世界を生きるようになり
他人に対して想像力を持てなくなる



自分が未熟であることを知っているから
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言える

自分が未熟であることを知っているから
学びに夢中になる

自分が未熟であることを知っているから
向上心が生まれる

自分が未熟であることを知っているから
世界はもっと広いことを知る

自分が未熟であることを知っているから
他人に想像力をもつという思いやりが生まれる

自分が未熟であることを知っているから
謙虚である姿勢が生まれる



いつか書いた
「味方がたくさんいる世界がいい」は
自分の未熟さを認めることでこそ
存在する世界なんだなぁと改めて思う。

向上心も責任も謙虚も思いやりも
未熟を認めるからこそ生まれるものなんだと
たくさんの人を見ながら
自分自身を観察しながら感じること。



フェーズが違うだけで
というより
フェーズが変わっていくだけで
死ぬまで未熟なんだろうな。





所詮、
自分なんてなにもできないし
知ってることなんてないに等しい。
カッコつけたところで中身がないことは
ほんとうは皆んな気づいてるよ。

傲慢と虚栄心にあふれていた
自分に言ってやりたいと思います。


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