人生には足し算ではなく、引き算が必要だった

食事制限を始めてからあることに気付いた。それは、

人生は引き算によって豊かになる

ということ。

40年間生きてきて、今まではずっと足し算の人生だった。

学生時代は学問という知識を足し、
社会に出てからはスキルや経験を足す。

足せば足すほど人生は豊かになっていくものだと思っていた。

でも、それは大きな間違いだった。

きっと人生は足せば足すほど「あるもの」を失っていくのだ。

これに気付かない限り、人はどこまでも何かを手に入れようと人生の時間をそればかりに費やし、本当の「幸せ」や「豊かさ」からは遠ざかっていく。

こんなにモノが溢れていて便利な世の中になったのに人類が幸せになっていないのは、引き算をせずに足し算ばかりしているからなのだと私は思う。

モノが溢れすぎた今、引き算をしない限り私たちはいつまで経っても幸せにはなれない。

手に入れると失い、手放すと手に入るという法則

この世には手に入れると何かを失い、手放すと何かが手に入るという法則が働いているのではないかと思う。

ギブアンドテイクなんていう言葉にもある通り、何かを手に入れるためにはまず何かを手放す(差し出す)必要があるのだ。

いろんなモノが溢れかえっている現代は、多くのものを手に入れた代わりに多くのものを失ってしまった。例えば、

自然環境
健康な肉体
社会とのつながり
人間関係
平和

便利なモノを手に入れるために自然環境を破壊し、
豊富な食べ物を手に入れた代わりに病気になり、
テクノロジーの発達とともに社会とのつながりが薄くなり、
人間関係も希薄になり、
モノを奪い合うことで平和も失う。

多くのものを手に入れた代わりに失ったものは、あまりにも多すぎたのではないかと思う。

必要なものしか持たないミニマリストと呼ばれる人たちが注目を集めるようになったのも、そろそろ引き算していかないとヤバい、引き算をすることで豊かになれるんだ、ということに気付く人がだんだん増えてきたんだと思う。

食事を引き算することで手に入れられるもの

私の人生の引き算は食事制限から始まった。

もともと食は細い方で1日1食~2食だったんだけど、お菓子やチョコレートなど間食を常にしていたし、食べたいときに食べるという食事スタイルだった。

それに加えて夜型の生活をしていたので、夜中の1時や2時にラーメンやチャーハンなどのご飯をガッツリ食べるなんてことも珍しくなかった。

そんな乱れた食生活を見直し、

・食事は12時~20時までの8時間内に摂る
・糖質を制限する
・1回の食事量を減らす
・加工物はあまり食べない
・間食はナッツもしくはフルーツ、お菓子類は極少量のみ

という制限を設けることにした。

これが辛いのかというと意外とそうでもなく、特に無理をすることなく3週間続けることができた。(現在も継続中)

3週間続けることで夜型の生活はすっかり朝型になり、8時間以上寝ていた睡眠時間が3時間になった。

最初こそ食事制限によりスタミナ切れを起こすことがあったけど、現在は体が慣れたのかあまり食べずにあまり寝ていないにもかかわらず、食事制限をする前よりも脳はスッキリしていて体もすこぶる調子が良い。

人間は食べることで消化にエネルギーを使い、血液も胃腸に集中するので他の器官への血液供給が減るらしい。

そのため冷え性が起こり、内蔵に不調を来すのだとか。

だから食べる回数や量が減ると、消化に使うエネルギーが減りその余力で内蔵を修復したり毒素を排出することができるようになる。

これによって体は健康に元気になる。

私は食事を引き算することで健康な体と脳・精神を手に入れた。また、睡眠時間が短くなることで時間も手に入れた。

巷ではよく、

「健康のためには1日3食しっかり食べること」
「朝ごはんをしっかり食べないと脳が働かない」

なんて言われているけど、1日に3食なんてどう考えても食べすぎで健康に悪いし、朝ごはんは食べない方がよっぽど脳が働き、効率良く作業をこなすことが出来る。

現在はレストランやコンビニ、デリバリーなど豊富なサービスによりいろんな食事が出来るようになったけど、これらを手に入れると引き換えに健康な体を失ってしまう。

現代病のガンや糖尿病・心筋梗塞や脳卒中、また、うつ病などの精神病も食事内容や飽食(食べすぎ)が原因となっている。

だから豊かな食事を手放せば、健康な体と脳、精神が手に入る。

「好きな食べ物を我慢するくらいなら病気になって死んだ方がいい」なんて言う人もたくさんいると思うけど(私も以前はそう思っていた)、一時的な食べる楽しみよりも、健やかな体と脳・精神を手に入れた方が圧倒的に幸せだと私は感じている。

食事制限とは言っても食べる楽しみが完全になくなるわけではないし、以前の好きなだけ好きなものを食べていたときよりも、食事制限をしている今の方が食べる楽しみや幸せは倍増したと実感している。

物を引き算することで手に入れられるもの

食事制限の次に私が興味を持ったものが、「片付け・断捨離」だった。

もともと片付けや整理整頓は苦手で、「とりあえず置いておく」というクセがあったので部屋内の物の配置はバラバラでまとまりがなかった。

片付けに興味を持った私は部分別に早速断捨離をしていくことにした。

服、化粧品(道具)、本、小物…必要なさそうなものはどんどん捨てていった。

また、めんどくさくて出しっぱなしにしてあったものは、一回一回片付けるようにした。

そうすると部屋内にスペースがどんどん増えていき、かなりスッキリした見栄えになった。

部屋がスッキリすると掃除もしやすくなり、朝型生活になったことで朝掃除をするということが習慣になった。

今までは見えるとこだけ掃除機をかけていたのも、物を動かしたりベッドの下までも綺麗に掃除するようになった。

掃除や片づけが習慣化されると、部屋がいつも綺麗な状態となり、汚い光景が目に入ることがないので快適度がかなり上がった。

それだけではなく、不要なものを捨てることで残ったものに愛着が湧き、大切に使うようになった。

今では外から帰ってくるたびに、靴にありがとうと感謝の気持ちを込めて丁寧に磨いている。

物は大切に使うと長持ちするし、雑に扱うとすぐダメになる。

当たり前のことなんだけど、私が言いたいのは、

どんな物にも魂が入っている

ということ。

例えば車。

「もうそろそろ買い替えるか…」なんてことを車に乗りながら言っていると、車は故障したりする。

これとは逆に、大事に大事に物を扱うと物はこれに答えてくる。

人気漫画のワンピースのエピソードにもあったけど、麦わらの一味が大切に使っていた船、ゴーイングメリー号も、もうとっくに寿命は尽きてるのに仲間を助けるために自分で傷を修復し、仲間を助けに行き、仲間を次の目的地まで送り届けてくれた。

これは決して漫画の世界だけの話ではないと私は思っている。

植物に話しかけると元気に育つなんてことも言われているけど、これって植物に限らずこの世に存在するあらゆるものも同じなのではないかと思う。

今は次々に最新の製品が出てくるので、まだ使えるのにも関わらず次々と新しい製品に買い換える人が多い。

でもいくら新しいものを手に入れても、またそれよりも新しいものが出てくる。だから手に入れても手に入れてもきりがないし、いつまでたっても心が満たされることはない。

そろそろ手に入れる幸せではなく、そういう欲求を手放し、今あるものの大事さに気付くということが必要なのではないかと思う。

生きてきた中で植え付けられた常識や固定概念も手放していく

私たちは学校教育でさまざなな「常識」や「固定概念」を若いうちに植え付けられてしまう。

いい教育を受け、
いい大学を卒業し、
いい会社に就職し、
いい給料をもらう。

これが世間一般的に言われる幸せだったりするけど、本当にこんな人生が幸せなのだろうか?

多くの人は、

人より優秀に
人より上に
人より多く

と他人と比べて少しでも上を目指そうとする。でも私はこのフィールドにいる限りいつまで経っても豊かにも幸せになれないと気付いた。

だから私は、このフィールドから降りることにした。

人より優秀じゃなくてもいい。
人より劣っていてもいい。
人より収入が少なくてもいい。

私はいつでも今自分が持っているものに満足し、今あるものに感謝して生きていきたい。

現状に満足をしていてはさらなる向上はない、なんて世間では言われているけれど、世間でいう「向上」っていつまで経っても他人と比べて感じる向上である。そんなものに何の意味があるのか。

人は生きているだけで毎日進化しているし、向上もしている。

自分が成長していないって思うのは、他人と比べているから感じるだけであって、他人と比べることをやめればそんなことは思わなくなる。

人生、いろんなものを引き算していくと、常識や固定概念も自然とはぎ落とされていく。

そうすると今までは「当たり前」だったことがとても大事に、尊いものだと気付く。

ご飯を食べるときは食材に感謝の気持ちが表れるので美味しく食べられるようになる。
掃除をすることでさまざまな物に感謝の気持ちが表れ、大切に使うようになる。
特別なことはしなくても日常の掃除や洗濯、料理などの家事が楽しく娯楽のように感じられる。

引き算をすることで今まで見えていなかったものが見えるように、
感じられなかったことが感じられるようになった。

幸せや豊かさって手に入れるものではなくて、そこにあるものに気付くことなんだなって。

人生の折返し地点くらいとなる40歳。

これからは今まで手に入れてきたものを、どんどん手放していこうと思う。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆