飽き性って実はものすごく長所なのかも

私は小さい頃から飽き性で、幼稚園のときは水泳を3ヶ月でやめたし、小学生のときも進研ゼミをすぐにやめたし、中学生に入ってからも塾は半年も続かなかった。

社会人になってからは仕事が続かず、2年も働くと飽きて転職を繰り返していた。

そんな私のことを家族は「我慢が足りない」とか、「何をやっても続かない」と言い、自分自身も飽き性の性格はダメな部分なんだと思っていた。

ところが最近、飽き性って実はものすごく長所なんじゃないか?と思うようになった。

人は変化を嫌う性質があるようで、同じところに留まろうとするらしい。やっぱり慣れた環境は心地が良い。

ただ、この慣れた環境もあまり長く続くと私は居心地が悪くなる。無理矢理にでも変化を起こしたくなるのだ。

飽き性は短所のように言われてきたけど、思い立ったらすぐに行動をするというところは、「行動力がある」と羨ましがられることも少なくなかった。でも私は逆に、「みんな嫌だ嫌だと言いながらなぜ行動しないのだろう?」と不思議だった。

すぐに行動するというのは私にとって勇気のいることでもなんでもなく、ただ行動せずにはいられないだけなのだ。

多くの人は「行動すること」「環境の変化を受け入れること」にストレスを感じるけど、私は変化のない慣れた環境に長く身を置くことの方が変化よりもストレスを感じる。だから行動して変化を起こすだけ。

物事への興味がコロコロ変わるってそんなに悪いことなんだろうか?私はそうは思わない。なぜなら表面的には興味の対象は変わっているものの、本質的なものというか、芯の部分の興味はきっと変わっていないと思うから。

人間誰しもそうかもしれないけれど、私はワクワクするようなこと好きだ。だから私の興味は「ワクワクすること」なんだ。

幼稚園の頃に習った水泳も小学生のときに始めた進研ゼミも、中学生で通い始めた塾も最初は「ワクワク」していた。

でもこのワクワクは長く続かなかった。だから興味を失いやめた。ただそれだけのこと。

飽き性の私も興味が長く続いていることもある。
一番長く続いているのは「読書」でその次が「旅行」だ。

読書も旅行も未だに私にワクワクをもたらしてくれるので、長年やっていても全然飽きない。やっている行動が同じでもそこから得られる体験に変化があるからだと思う。

飽き性の人って自分にすごく素直な人だと思う。自分の興味のあることは何でもやってみるし、興味がなくなったらすぐにやめるからだ。

「せっかく始めたんだから…」という理由でやりたくないことを我慢してやり続けることもない。

社会的に見れば仕事をすぐにやめるって人としての信用を失ったり地位を失ったりもするけれど、そういうものを失ってでも自分に正直に生きるってスゴイことだと思う。

これからの時代は変化の時代だから柔軟な人や変化を受け入れられる人が強いなんて言われてるけど、正直そんなことはどうでもいい。

どんな時代になろうが、社会がどうあろうが、自分に正直に生きてる人が一番強い。

変化が激しい時代だからって変化を嫌い同じことをやり続けている人が取り残されるのかというと、そうではないと私は思う。

例え同じことをやり続けていたとしても、自分がやりたくてやっているならそれでいいと思う。変化したくないのに変化しようとしたり、周りが言うからといって無理に時代の波に乗る必要もない。

時代の波に取り残されて誰もいない静かな海で、優雅にプカプカ浮かんでいるのもそれはそれで楽しいのではないかと思う。
私はむしろ、そちらを選びたい。

こんな情報過多の時代だからこそ大切にしたいのは、「何がいいのか?」ではなく「自分は何がしたいのか?」だ。

いろんな情報に触れることよりも、情報を一切遮断して自分とトコトン向き合うことが今一番求められていることなのかもしれない。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆