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BTS「Spring Day(봄날)」に込められた彼らのメッセージを考察してみる

BTSの「Spring Day」については、いろんな人がそれぞれの目線で解説したり考察している。

BTSのファンであれば、この歌が2014年4月に起こったセウォル号事件(※修学旅行生たちを乗せた客船が沈没し、295人もの犠牲を出した海難事故)に言及していることや、BTSがセウォル号の遺族へ1億ウォンの寄付をしたことについては知っている人も多いと思う。

BTSのメンバーと所属事務所HYBEが制作した作品なので、彼らがこの歌で何を伝えたのかった本当のところは彼らにしか分からないけど、私は彼らがこんなことを伝えたかったのでないかと思う。

誰かの犠牲の上で成り立つ幸せなんてない

Spring DayのMVには、「Omelas」と書かれた建物が出てくる。
このOmelasとは、短編小説の「オメラスから歩み去る人々」で出てくるオメラスという村のことだ。

オメラスという村には、地下室に閉じ込められている人がいる。村人は一定の年齢になると、その閉じ込められている人間の存在を知ることになる。しかし、その人を助けようとする人はいない。なぜならオメラスは、そのたった一人の犠牲のもとに、その他の人が幸せに過ごせることを補償された村だったからだ。

大多数の幸せのために、たった一人の犠牲を見て見ぬふりをしながら生きる。見て見ぬふりが出来ない人は、幸せが補償された村を去ったと言われています。

Spring DayのMVでも、「Omelas」と書かれた建物の中ではしゃいでいるメンバーの姿が出てきて、その後に同じ空間でなんだか空虚なメンバーがポツンと存在していて。最終的にメンバーたちはその建物を去り、荒野へ到着するという映像になっています。

このMVでは、「Omelas」という幸せが補償された村で生きることが出来たとしても、例え自分自身は幸せだったとしても、その幸せがたった一人とはいえ誰かの犠牲の上で成り立っている幸せだとしたなら、そんな幸せは本当の幸せではない。偽物の幸せだ。

例え村を去った先にどんなことが待ち受けていようが、苦痛や困難が訪れようが、それを自分自身でしっかり受け止め、100人いるなら100人全員が幸せになれる道を探すのだ。それが正しい生き方であり本物の幸せなのだ。

そんなメッセージが込められているように私は思います。

セウォル号沈没事件が世間を騒がせた理由は、事故が起こったときに船長と乗組員が救助活動をすることなく、自分たちが真っ先に避難したことにあります。

もし船長と乗組員が救助活動を真っ先にしていたとしたら、295名もの犠牲者は出さなかっただろうと言われています。事故が起こったことはしょうがなくとも、その後の一人一人の行動が少しでも違えば、結果も大きく変わったということです。

このように世の中には誰かを犠牲にして自分だけが助かろうとする人、自分の利益のために誰かに損害を被る人、自分を守るために誰かを傷つける人、そんな人達がたくさんいる。でもそんな世界は間違っていて、誰の犠牲なくとも全員が幸せになれる世界が正しく、そんな世界は実現可能なんだ。僕たちはその一歩を踏み出したけ、君はどうする?ということを、BTSのメンバーはこの曲を通じて伝えているような気がします。

一人が何もない場所にゴミを一つ捨てると、その後その場所にはゴミがたくさん捨てられてゴミの山が出来る、なんてこともよくあります。このように私たちは「他の人もやってるから」という正当でもなんでもない間違った理由で小さな過ちを日々犯しがちです。

それとは逆に、良い行いに関しては、「自分一人が頑張ったところで世界を変えることなんてできない」とあきらめがち。

でも、たった一人の小さな過ちをきっかけに大きな山となるのであれば、たった一人の小さな行動が世界を変えるようなことだって十分あり得るのではないかなって私は思うのです。

だから私はBTSのSpring Dayを聴くことでそのことを常に思い出し、自分の行動で誰かを犠牲にするのではなく、誰かを救う手助けとなるような行動を日々積み重ねていきたいなって思う。

BTSファンのすべての人が、この曲を聴いたすべての人が、そのような行動を意識し、BTS発信で良い流れが世界中に広がっていけばいいなと思う。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆