批判を幸せに変える方法

SNSやブログなどをやっていると、誰でも一度は「批判」という攻撃を受けることがある。

私もTwitterやブログで批判を受けたことは数え切れないほどある。

前までは批判に対していちいち落ち込んだり傷付いたり、「私が間違っているのかな?」なんて不安に思うこともあったけど、今では批判を淡々と受け入れ、サラリと流せるようになってきた。

というのも、批判をする人の中には一定数、「どんなことでも批判したがる人」がいるからだ。

最近、私が匿名で書いているブログに思いっきり批判コメントが書き込まれた。

その批判コメントを見て、私は「面白いな」と思ってしまった。

なぜなら私は、その批判コメントを見て、「この文章からどうやったらそういう受け取り方ができるのだろう?」と不思議に思ったからだ。

そして考えた結果、私が出した結論はこうだった。

「この人、きっと幸せじゃないんだろうなぁ。だから幸せな人の文章を見ると批判的な気持ちを持ってしまうんだろうなぁ。」

人は自分が幸せであればあるほど他人に対して批判的な気持ちは抱かない。逆に自分の人生に不満があればあるほど、他人に対して批判的な気持ちが生まれる。

幸せなカップルを見て批判的な気持ちになる人は現在の自分のパートナーやパートナーがいないということに不満を持っているけど、幸せなカップルを見て「素敵だなぁ」と思う人はパートナの有無に関わらず幸せで充実した日々を送っていたりする。

自分の人生を生きてる人は、そもそも「他人」にはあまり興味がない。(他人にどう思われるか?とか他人と比べて自分はどうか?等)

他人に対しての批判というのは、自分が何かしらの不満を抱えていて幸せじゃないときに生まれる。

だから批判というのは、自分に向けられた嫉妬や妬みである場合がほとんどで自分の考えや意見が間違っているということではない。

世の中には他人の間違いを正そうとする人もいるけれど、私はそういうことをしようとは思わない。

例え自分の家族や友人や(自分から見て)「間違った方向へ進んでいるのではないか?」と思ったときでさえも、何も口に出さずに「ただ見守る」ことにしている。

なぜかというと、人は自分が正しいと思ったことは例え他人から間違っていると言われても耳を貸さないからだ。

明らかに失敗するのが目に見えていたとしても、私はその失敗はその人にとって必要なことだと思っている。

本当の優しさって「失敗しないようにアドバイスをする」ことではなくて、

「その人がやろうとしていることは何も言わずにただ見守り、失敗して助けを求められたときに手を差し伸べてあげる」

ことだと思う。

だから他人にはアドバイスを求められない限り、自分から何かアドバイスをすることはしないようにしている。

そもそもアドバイスのほとんどは「人のため」ではなく、「自分のため」にしているようなものだと思っている。

私にとってSNSやブログは、ただ自分の思ったことを放出する場所であり、承認欲求を満たしたり情報を集めたり、誰かと繋がるためにやっているわけではない。(昔はそういう目的でやっている時期はあったけど)

もちろん、結果的に承認欲求が満たされたり情報がキャッチできたり誰かと繋がれたりすることはあるのだろうけど、それはただの結果であってそれを目的にやろうとは思わない。

そんな自己満SNSであったとしても、公開で発信している以上、不特定多数の人に見られるわけだし、そうなると批判はもはや避けられない。

批判が嫌ならSNSをやめろという人もいるけれど、批判なんてSNSをやっていなくても生きている限り多少は受けるものだ。

だから批判は受けないようにするのではなく、批判をどう受け取るかが大事なのではないかなと思う。

私は批判をしてくる人に対してはこう思うようにしている。

「私のために貴重な時間を使っていただきありがとうございます。あなたにも幸運がありますように☆」

批判してくる人にも感謝の気持ちを持ち、その人の幸せまでも願えたならどんな人に出会っても、どんなことを言われても無敵になれる。

人は自分が幸せであってこそ、他人の幸せを願えるもの。
人の幸せを願えるということは、自分が幸せであるということ。

他人の幸せを願えば願うほど、自分が幸せであるということが実感できる。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆