人間らしく生きるということ

食事制限を始めてから生活からものすごい勢いで変わっていってる。

いや、生活が…というよりも、私の性格や考え方が変わったのかもしれない。

いや、変わったというか、原点に戻っていってる気がする。

昔から便利すぎる世の中やデジタル製品に関しては違和感があった。

「そこまで便利になる必要があるのだろうか?便利になりすぎて逆に不便になっているのではないだろうか?」

私も生活の中で便利なものやデジタル製品はよく使っている。でも、なんか心の奥底ではアナログが好きだったり面倒くさいことに面白みを感じている自分がいて。

普段都会に住んでいる私は日常の中で「生きてる」と感じられることはあまりないのだけれど、田舎町に行って自然やゆっくりした時間の流れの中にいると、「生きてる」という実感が得られる。

会社員をやっている頃は、生きてるというよりも「日々こなしてる」という感じで、淡々とした事務作業のように、生きてることをただ淡々とこなしている感じだった。

38歳のときに会社員を辞めて独立し、約2年フリーランスとして生活をしてきた。

こういうとなんだか聞こえはいいけれど、実際は会社で働くことに嫌気をさしてスキルも当ても特にないのに見切り発車で会社から逃げ出しただけなんです。

フリーランスというのは自分が働かない限りお金は入ってこないし、自分が休もうとしない限り休みもない。

働く意志があっても仕事がなければ働けないし、そうなると当然収入もない。

フリーランスというと特別なスキルがないとなれない、
フリーランスになるのは簡単だけどそれで食べていくのは難しい

なんて言われてるけど、特別なスキルも貯蓄もない私でも2年フリーランスとしてやってこれた。

もちろん、収入がほとんどゼロの月もあったのだけれど、私はこの2年間を振り返ってみると、あまり働いたという実感がない。

多分、私は「私には特別なスキルがない」と思っていたのだけれど、他人から見ると特別なスキルを持っていたのかもしれない。

特別なスキルって自分にとっては当たり前にできてしまうことなので、特別と感じないだけなのだと思う。

話が少し逸れてしまったけど、何が言いたいのかと言うと、私はこの2年間で「そこまで頑張らなくても生きていける」ということを知り、余白を持つことで自分を見つめる時間ができ、自分の本当に求めているものを知り、人間らしい生き方に近づいてきたなと思ったのです。

そう、私は会社を辞めるまでの38年間、人間らしい生き方をしていなかったなと気付いたのです。

世の中にはいろいろな問題がありますが、一番の問題は私たち人間が人間らしい生き方からどんどん離れていってしまっていることではないでしょうか?

食事改善をきっかけに「人間らしい生き方」に目覚めた私の考えや気持ちを今回は綴っていきたいと思います。

衝撃的な本に出会ってしまった!

私は何か新しいことを始めるとき、それ関連の書籍を読み漁ります。

食事改善をきっかけに健康にハマった私は、「もっともっと快適に暮らしたい!」との思いから、次は片付けに興味を持ちました。

片付けや断捨離の本を読み漁る中、私は衝撃の本に出会ってしまいました。その書籍とは、稲垣えみ子さんの「寂しい生活」。

タイトルからすると全然豊かな雰囲気はなく、地味な生活を送っているのかなと思うのですが、ものすごく人間らしい生活をしていてお金持ちの豪華な暮らしよりも圧倒的に豊かで幸せそうでした。

著者の稲垣さんは東日本大震災で問題となった原発をきっかけに、「電気を極力使わない」という生活を始めたそうなのですが、これがマジですごい。

「帰っても電気をつけずに玄関で目が暗闇に慣れるまで待つ」

というエピソードには思わず笑ってしまったのですが、稲垣さんは私たちが普段の生活で当たり前に使っていて、なくてはならないものを一つずつ手放していくのです。

テレビ、掃除機、電子レンジ…遂には冷蔵庫まで手放したというにはビックリです。

テレビは私の家にもないので分かる。
掃除機は私は持ってるけど、ほうきと雑巾で掃除するっていうのなら私にもできそうな気がする。
電子レンジは普段食材を冷凍しまくりの私にとっては必需品。なかったらなかったでなんとかやっていけそうではあるけれど…

冷蔵庫なしの生活とか考えられない!

いや、冷蔵庫なしでどうやって生活するの!?って感じですよね?

でもね、稲垣さんは冷蔵庫なしの生活をやってのけたんですよ。

冬は外が寒いから食材は外で保管。
夏は太陽の熱を利用して食材を乾燥させて保存。
炊いたお米はおひつに入れて保温・保存
多くは保存できないので食べる分しか買わない。

太陽の熱で食材を乾燥させて保存するっていうのが目から鱗で、こうすることで旨味が凝縮されて調理時間も減るんだそうです。

また、夏でも冬でもエアコンを一切使わない稲垣さんは、四季の移り変わりが肌で感じられるようになり、暑さにも寒さにも慣れ、他の人が暑いと感じる空間でも涼しく過ごせるようになったのだとか。

この本から学んだことは、

人間ってなけりゃないなで知恵を絞ってなんとかするんだな。

ということ。

本来私たちの脳みそってこういう風に使うものなんじゃないの?と思いました。

電気を極力使わない生活をしている稲垣さんは、普段電化製品を使いまくっている私たちからするととても不便な生活を送っているように思いますが、実際のところはその不便を思いっきり楽しみ、とても快適で幸せそうに見えました。

便利なものを手に入れた私たちが失ったもの

世の中にはあらゆる便利な電化製品が出てきましたが、その一方で「家事が楽になった!楽しくなった!」という声はあまり聞きません。

それどころか少し便利になると人間は、「もっと便利に、もっと楽に」とさらにそれ以上の便利と楽さを求め始めます。

私たちの欲求って限界がないんですよね。

便利な電化製品で家事の時間が短くなったのかというとそういうわけでもなく、ではなぜ便利な電化製品を使うのかというと、「時間がないから」「面倒だから」という理由。

便利なものを手に入れるためにはお金が必要で、そのお金を稼ぐには働く事が必要で。

便利なものを手に入れるために働く。
働いて時間がないから便利なものを使う。

結局私たちは便利なもののために働かされているのではないだろうか?とさえ思ってしまう。

便利なものを手に入れた私たちが失ったものは、自由な時間。

便利なものを手放せばそれほどお金は必要がなくなる。
お金が必要なくなれば働く必要もなくなる。
働く時間が減ると自由な時間が増える。
自由な時間が増えると出来ることが増える。

便利なものを手に入れて自由な時間を失うくらいなら、それらを手放して自由な時間を手に入れ、自分の手で出来ることは自分でやった方がいいのではないだろうか。

私たちには何のために手足があるのか?
何のために脳があるのか?

使うためである。

それなのに便利なものを手に入れた私たちは、いつしか自分の手足や脳みそを使わなくなっていった。

人間、このままで大丈夫か?

人間の脳って便利なもの(私たちが楽をするためのもの)を作るためにではなく、今あるものでどう快適に豊かに暮らすか?を考えるために使うものではないのか?

人間は自分たちが作ったもので幸せになったと思っているけれど、便利なものを作るために環境を壊し、便利な食べ物を増やすことで病気を増やし、まるで人間は自ら自分たちを滅ぼすためにいろいろなものを作っているように思える。

地球上で一番アホな生物ってもしかしたら人間なのではないか?

これって本当に必要なもの?

元々ものは少ない方だったけど、ものを手放すことこそ豊かになれる方法だと思った私は、少しずつ持っていたものを手放していった。

お風呂のゴシゴシタオル→体は手で洗う
毎日のシャンプー→シャンプーは3日に1回。あとは湯シャン
食器用洗剤→アクリルたわしとお湯で洗浄
歯磨き粉→歯ブラシと水のみで歯磨き
サプリメント→栄養素は食べ物から摂る

この他にも靴や服も捨て、いっぱいだった靴箱には余裕ができ、衣装ケースは2つ空になった。

まだまだ断捨離の途中だけど、捨てるたびに思うことは、

不要なものを持ちすぎているな…

ということ。

きっと本当に必要なものってものすごく少ないんだろうなって思う。

ちなみに捨てて後悔したものは今のところ一つもなく、捨てるたびにお部屋が明るく綺麗に快適になり、幸福度は確実に上がっている。

ものが少ないと小さい部屋でも快適に暮らせるので、家賃も安くなる。

収入が増えたときにもう少し広い部屋に引っ越そうかなと思ったのだけど、引っ越さなくて良かったと今では思っている。

そんな私は家賃45,000円の小さなお部屋で快適に暮らしています。

豊かになるということは欲求を手放すこと

いっぱいお金を稼いで好きなものがいつでも買えるということを豊かだと思っている人は多いと思うけど、本当の豊かさって「足るを知る」ということだと思う。

「これくらい稼げれば十分だな」と思っていた金額を稼げるようになったとき私が思ったことは、「これで十分」ではなく、「もっと稼ぎたい」だった。

そう思ったときに私は気付いてしまったのだ。

「あ、これ、いくら稼いでも満足できないやつだ。」

「お金稼ぎたい」とか「アレが欲しい」とかの欲求って限度がないんですよね。

だからいくらお金を稼いでもいくらものを買っても満たされるのは一時的ですぐにまた欲求は出てくる。

そして便利なものやサービスを使っていると、「今ここにあるもの」が見えなくなってしまう。

私たちは既に多くのものを持っているのに、世の中に溢れた商品のせいで「持っていない」と感じてしまうのだ。

自分の手と足と脳を使わなくなった人間は、どんどん怠惰になり感覚も麻痺していって、何が必要で何が不要か、何が好きで何が嫌いかも分からなくなってしまったのだろう。

そんな状態で「本当は必要のないもの」をいくら手に入れたところで豊かになるはずがない。

お金やものへの欲求を手放し、執着から開放されてはじめて私たちは「今ここにあるもの」に気付き、豊かになれるのだと私は思う。

常識を捨てて人間らしく生きていく

私、常識とか世間体とかも断捨離しちゃいます。

38歳で独立して現在はフリーランス…と言いましたが、実はフリーランスという肩書にも違和感があるのです。

フリーランスというよりも、無職と言った方がしっくり来るかもしれません。

一応収入源はあるので無職ではないのですが、定職についてないので無職という肩書でも全然OKです。

常識的に考えると40歳で無職とか「この人、ヤベェ…」って感じに思われると思うのですが、そんなことはどうでもいいです。だって、いちばん大事なのは自分が幸せかどうかじゃないですか?

周りからどう思われようが私は今の生活に満足してるし幸せなので、どうでもいいんです。

収入とか肩書とか経歴とか、正直こんなものどうでもいいですよ。なんか最近思うんですが、世間の常識から外れれば外れるほど幸福度が上がっている気がします。

世間で言われている幸せのほとんどが「手に入れること」の幸せなんですよね。でも実際は手に入れるよりも手放すほうが自由になれるし幸せになれる。

でも多くの人は手に入れようとしているから、手放そうとすると世間から浮いちゃう。

だからもしかしたら、世間から浮いている人ほど豊かで幸せなのかもしれないですね。

こんな私も昔は大手外資系企業で正社員として働き、かなりの厚待遇だったのですが、当時はぜーんぜん幸せじゃありませんでした。もしかしたら今までの人生の中で一番しんどかったかも。

お金のために働くってしんどいですよ。私たちはお金のために働くべきではないと私は思っています。では何のために働くのかというと、

自分や他人の幸せのため。

お金のために働いてても全然楽しくないですが、自分や他人の幸せのために働くというのはとても楽しくやりがいのあるものです。

そして自分や他人の幸せのために働いていると、いつの間にかお金も手元に入ってくるようになるのだと思う。

それなのに世の中はお金のために働く人(会社)ばかりなので、必要もない製品を上手い宣伝文句で売りつけたり、不安を煽って買わせようとしたりするんですよ。全く迷惑な話です。

まぁ、そんな会社で働いている人たちが幸せになれるわけもなく、世の中にはどんよりした顔の大人たちで溢れかえっています。悲しい世界ですね。

会社を手放した私は「たいして働かなくても生きていけるんだ」ということを知ったので、世間的に見れば「定職についておらず何やってるかよく分からないヤバい人」ですが、世間の人よりも自由な時間を多く持ち、「毎日幸せ♡」と感じながら生きてるので、社会的地位の高い人やお金持ちの人よりもよっぽど豊かなんじゃないかな、なんて思っています。

世間からちょっと外れた生き方こそ、人間らしい生き方な気がします。

最近は「効率化」とか「時間を無駄にしない」などの言葉をよく聞きますが、効率とか時間の無駄とかを気にしている時点で時間にものすごく縛られているんじゃないの?って私は思います。

私は時間を気にせず、ときには無駄なこともし、面倒くさいことも楽しみながらやっていくという「人間らしい」生き方をしていきたい。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆