母はいくつになっても偉大だ

最近、「お母さんってスゴイな」と思うことがよくある。
年齢を重ねるたびに、母の偉大さを改めて思い知らされる。

母は今年で76歳。後期高齢者である。
とはいえ、今まで大きな病気はしたことがなく、とても元気だ。

そんな母が先日私に、「病院に付き添ってほしい」と言ってきた。

話を聞くと、市の健康診断の大腸検査で引っかかったらしい。
どういう状況なのか母に確認すると、母からよく分からない回答が返ってきた。よく分からないというか、敢えて詳細を言わずに濁しているような感じだった。

母は普段からケガをしたこととか、体調が悪くて病院へ行ったことを私には言わない。私が心配しないように言わないようにしているのだと思う。
だから大腸検査で引っかかったことも、私が心配しないように詳細を伝えず濁したのだと思う。

母の母は大腸ガンで亡くなっていることもあり、もしかしたら大腸ガンかもしれないと思っていたのかもしれない。

母の体調はもちろん気になるところではあるけど、母が敢えて言わないという選択をしているなら、私も細かいことは聞かないでおこうと思った。
当の本人が「大腸ガンかもしれない」と不安に思っているなら、私は不安になったり心配するのではなく、「大丈夫だろう」と楽観的に考え、物事を深刻にしない方が母へ精神的な負担を与えないだろうと思った。

こういうときこそ、私は母に「安心感」を与えてあげなくてはいけない。

病院へ付き添う数日前、母に時間を確認すると、「当日にならないと分からない」という答えが返ってきた。
「?」と思っていると、どうやら母は大腸の内視鏡検査を受けるらしく、前日から下剤を飲み、当日朝も飲まなくてはいけない薬(下剤?)があるらしく、その量が1.8Lもあるので全て飲みきらないと検査が出来ず、その確認のために当日の朝に病院から確認の電話がかかってくるらしかった。

76歳で1.8Lもの水分(下剤入り)を飲むのは、相当キツいだろうなと思った通り、母は当日の朝までに病院から指定された薬を全て飲むことができなかった。それに加え、トイレを何度も往復しなければならず、かなり大変そうだった。

話を聞いた私でさえ「めっちゃしんどそう…」と思ったのに、私の前では母は全くツライ表情は見せなかった。
自分が大変な状況であったとしても、娘の私に心配をかけたくなかったのだろうと思う。

76歳という高齢になっても、母は偉大だなと尊敬せずにはいられなかった。

結果的にはなんとか検査できることになり、無事に大腸内視鏡検査を終え、心配するようなことはないということだった。
検査が終わった後も特にツライ表情は見せなかったけど、相当疲れたと思う。

家に帰り、母は母の病状を心配してくれていた友人に電話をかけていた。
いつもは私がいても気にせず電話をする母だけど、そのときはなぜか私を避けるように2階へ行き、友人に「すごくしんどかった」と話をしていた。(声が大きいので聞こえてきた)

相当しんどかったんだろうなということは分かっていたけれど、私の前ではしんどい表情を一切見せず、しんどいと漏らすこともなく、病院までのタクシー代を払った私に、「仕事を休んで付き添ってくれたからタクシー代は返すね」と言ってくる程だった。

母は自分がしんどいときでも、娘の私のことを一番に考えてくれているんだな、母って本当に偉大だなと思った。

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