SNSの縮図~洗脳する者とされる者~

SNSはTwitter、フェイスブック、インスタとアカウントを持ってるけど、どれも今ではほとんどやっていない。やらなくなったきっかけはあまり楽しくなくなったというのがあるんだけど、一番の理由は、

無意識に洗脳されてしまうから。

SNSを「外部者」として眺めていると、洗脳する者とされる者の縮図だなと思う。そして洗脳する者には洗脳しようとしている者と、無意識に洗脳してしまっている者がいる。

この、「無意識に洗脳してしまっている者」が結構やっかいだと思う。

SNSは多くの人が「役立つ情報」や「人のためになる情報」を発信しているが、それらはときに(というかいつもかもしれない)、その発信を見る人を洗脳してしまっている。

「これをすれば稼げる」
「これをすれば肌がキレイになる」
「これをすれば痩せる」

こういう発信は一見役立つ情報に見えるが、「これをしないと稼げない(綺麗になれない、痩せられない)という洗脳をも植え付けてしまう。

ブログが稼げる、Youtubeが稼げるという情報がSNSが溢れれば、「やっていない自分は損をしている」と勘違いしてしまう人がたくさんいる。
そしてたいして興味もないのに、「稼げるなら(今波が来ているなら)やるしかない!」と安易に始め、稼げないとなるとすぐに挫折していく。

こういうSNSの情報に振り回されている限り、人は本当の意味では豊かにならないと思う。そういう情報を元に稼ぐことは可能かもしれないけど。

私はもともとブログやTwitterで発信するのが好きだったけど、いつしかそれらは承認欲求を満たすための道具となってしまっていた。
「何か違う」と違和感に気付き、ある日ブログもTwitterもやめた。

しばらくして私は気付いた。
私は自分の発信をより多くの人に見てもらいたい、目立ちたい、認めてもらいたい、というのではなく、自分の好きなことを自分の好きなように発信したいだけだったんだと。

誰に見られなくても書いてる自分が楽しければそれでいい。

それなら非公開で発信すればいいじゃないかという批判の声が聞こえてきそうだけど、私は公開で発信したい。
もしかしたら私が書いている内容が誰かの役に立つかもしれないから。

「誰かの役に立つように発信する」のではなく、「発信したことが(結果的に)誰かの役に立った」というのがいい。

そうすれば「役に立つ情報を発信しなければ!」というストレスもないし、「役に立つ(と思った)情報を発信してるのに誰も認めてくれない!」とジレンマを感じることもない。

現在は匿名で違うジャンルのブログを2つ書いてるんだけど、「人の役に立つように」と書いていた以前のブログよりも、なぜかよく読まれている。
多分、余計なことを考えずに書いた方が、人の心にダイレクトに届くのだろう。匿名だからこそありのままの姿で書くことができ、私の個性が上手く出ているのかもしれない。

私はただ自分の発信したいことを発信しているだけだから、それが誰からも認められなくてもそれでいい。他人からの評価で自分の価値が決まるわけではないのだから。

私は私が素晴らしいと思えばいつでも素晴らしい自分になれる。
SNSのいいねやフォロワー数がゼロでも、私が私を素晴らしいと思っていれば私は間違いなく素晴らしい。

職業、肩書き、実績、学歴、収入、フォロワー数、そんなのどうだっていい。これらで自分の価値を決めるということは、常に他人と比較して自分の価値を決めているということ。それだったら他人が変われば自分の価値も変わってしまう。

どんな仕事をしていても、どんな肩書きでも、どんな実績でも、どんな学歴でも、どれだけの収入でも、どれだけのフォロワー数でも、自分の価値はいつでもいつでも自分で決められる。そして自分で決めた価値は、絶対に揺るがない。

SNSやメディアを見る機会が多ければ多いほど、洗脳の数も多くなる。
自分の考えと思っていることでさえも、本当は洗脳によって植え付けられた考えであって、本当の自分の考えではないかもしれない。

私は自分がどんな人間なのかを知りたいし、何を考え、何を求めているかをちゃんと知りたい。

だから私はSNSを見る時間よりも、一人になる時間を大切にしたい。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆